二十五話 騒動の種
戦勝の宴も終わり、ノネッテ国は冬支度の真っ最中。
俺も兵士と混ざって、山に焚き木を取りに入っている。基本的には、折れ落ちた枝を拾い集めるのだけど、朽ち木や倒木などがあった場合は斧で解体して薪を作っていく。
山の森の探索中に獣に出会えば、食料として狩り、魔物と出会えば害獣として屠る。
魔物――と恐ろしい言い方ではあるけど、実情は魔法が使えるだけの動物だ。
この世界の魔法は、大して強いものじゃない。ましてや、知能が低い動物が行使するものおや、押して知るべしの威力だ。
それでも普通の農民や旅人には驚異なので、兵士たちが武具を装備して出張って狩らなければならないぐらいには、危険な相手ではある。
まあ、魔物の肉は美味しいから、見かけたら兵士たちが好んで狩りにいくので、人的な被害はさほどでないんだけど。
ああでも、俺って元帥のはずなんだけど、どうして兵士と同じ作業をしているのだろうと、つい考えてしまう。
そんな日常を過ごしていると、空からチラチラと雪が降ってくる時期になった。
ここからは十日と経たずに、一面の銀世界となるのが、標高が高い場所にあるノネッテ国の風物だ。
それでも周囲が山に囲まれた山間部なので、それほど雪の量は多くならない。
お陰で、冬用の豆を畑で育てることが出来るわけだしね。
「うー、寒くなってきたなぁ……」
服の上から毛皮のコートを着た状態で、俺は執務机で事務作業を行う。
執務室の中に暖炉はあるけど、冬に備えて薪を節約しなきゃいけないので、重ね着で耐えられるぐらいの気温なら使用を控えなきゃいけないのだ。
寒さで強張りそうな手指を擦り合わせて温めながら、羽根ペンを動かしていく。
その中で、コンコンと扉を叩く音がした。
今日、誰かと面会する予定はない。兵士なら扉を叩いた後で名と用向きを告げてくる。けど、いま扉の前にいる人は名乗り出ないので、兵士ではない。
いったい誰だろうと思いながら、隣のアレクテムを見るが、横に首を振ってくる。どうやらアレクテムも、扉の向こうにいる人物がわからないらしい。
まあ、礼儀よく扉を叩いて待っている相手だ。部屋の中に入れても問題はないだろう。
「鍵は開いているから、入ってきていいよ」
俺が書類仕事を再開しながら言うと、扉がすぐに開く。
入ってきた人物を見て、俺は少し驚いた。
チョレックス王の二番目の子であり、俺の長兄でもあるフッテーロだったからだ。
「フッテーロ兄上、どうして国内に戻ってきたんです? 冬の間は外交で外国を渡り歩く予定だったのでは?」
ついそんな疑問が口をついて出てくると、王子様らしい柔和かつ繊細そうな微笑みを向けられてしまった。
「ミリモスは、元帥が板についてきたようだね。そして初陣を勝利で飾ったそうだし。自慢の弟が立派になって、僕は嬉しいよ」
「母上のようなことを言わないでくださいよ。それで、どうしたんですか?」
戦争で功績を上げた俺に対して、玉座を狙っていないか確認しにきた――ってことは、フッテーロに限ってはないな。
モギレナ紀に性格が似ていて、身内にかなり甘い人だから、弟を疑うなんて真似はしないだろうし。
それでも外国の評価は、やり手の外交官みたいな感じなのが、不思議なのだけど。
そうなると、俺の執務室に足を運んできたのかが、本当に予想つかない。
俺が困っているのが分かったらしく、フッテーロは微苦笑に表情が変わる。
「いやぁ、実は外交で困ったことになってね。それで、ミリモスにも相談しておこうと思ったんだよ」
「やり手のフッテーロ兄上にしては珍しく、外交で失敗したんですか? しかも元帥に相談しなきゃいけないって、よっぽど悪い状況なんですか?」
予想外の事情の連続に驚いていると、フッテーロは困り顔になる。
「失敗とまではいかないけど、騒動の原因の一端はミリモスにあるんだよ」
「どういうことです?」
「ミリモスが帝国と交渉して、帝王の署名入りの書類を貰ったよね。あれが騒動の種になりつつあるんだよ」
言っている意味が分からないと首を傾げると、フッテーロはより詳しい説明をしてくれた。
「あの書類のお陰で、ノネッテ国は帝国と同等――まではいかないけど、兄弟国のような間柄にはなったんだよ」
「他の近隣国のように主従のような関係になると、ノネッテ国の主権が帝国に侵される心配があったので、それを予防するための方法だったんですけど」
それが失敗だったかなと問いかけると、フッテーロは笑顔を返してきた。
「その件に関しては、ミリモスは大手柄だよ。僕でも同じように話を運んだろうから。ただ、ちょっとだけ土地も欲しかったなって気持ちもあるけどね」
うちの家の悲願だったからね、と冗談のように言ってから、フッテーロは話を続ける。
「問題は、その書類があることを他の国が知って、欲しがっていることなんだ」
「他国が欲しがる気持ちはわかりますけど、あれはノネッテ国と帝国の間での約束ですよ。ノネッテ国からあの書類を買うなり奪うなりしても、その国に効力が適用されるわけじゃないと思うんですけど」
「ところがそうでもないんだよ。なにごとも、抜け道というものは存在しているんだよ、ミリモス」
「どういうことです?」
「単純な話さ。ノネッテ国限定の効力なら、そのノネッテ国を手中に収めれば、書類の効力も自然と手に入るってこと」
「ノネッテ国を撃ち滅ぼして、書類を手に入れるってことですか?」
「いや、ノネッテ国の名前がなくなると効力も消えちゃうからね、併合するんだよ。外交での話し合いとか、戦争での決着とかで、どちらが上位に立つか決めた後でね」
帝国がメンダシウム国を取り込んでも帝国であるように、ノネッテ国と別の国が合わさってもノネッテ国を名乗ったままでいることができる。
そうして書類の効力を確保した後で、実質的な権力をその別の国が握れば、外側と名前はノネッテ国だけど内実は別の国という形にできるわけだ。
「小狡いやり方ですね」
「それが外交手段ってものだからね」
フッテーロは、他愛もない感じで言い放つ。
その余裕の態度に安心感を覚えつつ、俺は外交と毛色が合わなさそうだと感想を抱く。
「それで、こちらに外交の話を持ってきたってことは、戦争になりそうなんですか?」
「言葉で終結できるか、手が出る戦いになるかは、半々といったところだね。だから、覚悟だけはしておいて欲しいんだ」
「わかりました。それで、相手はどこの国ですか?」
「ノネッテ国の東側にある、ロッチャ国だよ」
「武器製造に長けていている、帝国の属国扱いの国の中でも大きいところですよね。帝国が戦争するたびに武器を輸出しているから、かなり儲けている印象なんですけど?」
「メンダシウム国とも国境を接していたから、帝国が領土をここら辺まで領土を広げてくる前まで、メンダシウム国へ武器を輸出していた国でもあるね」
そんな武器商人が国になったような場所が、あの書類に価値を見出したとすると大変だけど――
「――帝国と良い付き合いをし続けているんだから、あの国には必要ない書類だと思うんですけど」
「ところが、そうでもないんだよ。帝国が自作する武装の水準が高くなってきたからね。ロッチャ国の武器は売れにくくなっているんだよ」
ああー。騎士国と対抗するために、魔導の武器を製造しているもんな。
俺の腰にある帝国製の剣は、普通の状態でも上等な鋼鉄の剣だけど、魔力を込めればその鋼すら斬れる超常の武器だ。
そりゃあ、いくら武器製造の腕が良くても、普通の武器は売れなくなるよね。
しかも帝国は、メンダシウム地域を手に入れて、鉄鉱石を大量に入手する方法を確立しつつあるから、将来はもっと武器が売れなくなるだろうしなあ。
「売れなくなりつつあるから、ノネッテ国が入手した帝王の署名が入った『同格国証明』の書類が欲しいわけですね」
「いまは半ば属国扱いだから話を聞いてもらえない。同格になれば強気の交渉ができるようになる。そうロッチャ国は考えているんだよ」
「狙われるこっちは、いい迷惑ですよ」
「本当にそうだよね。幸いなことに、ノネッテ国の周囲にある山岳地帯に降った雪が邪魔をしてくれるから、冬の間は大規模な軍隊を向こうは送ってこれないってことだね」
俺は脳内に近隣地図を思い浮かべながら、首を傾げる。
「南側の山脈は、かなりロッチャ国と近いですよね。フッテーロ兄上も、ロッチャ国を訪れる際にはあそこにある道を利用していますよね。あの道なら、冬でも通れると思うんですけど?」
「峠越えの道があるね。でもあの道は、馬車が通れるほど簡単な道じゃないんだよ。僕が外国へ行く際は、自分で馬に乗って、荷物も最小限で行かないといけないんだ」
「……話に関係ないことを聞きますけど、フッテーロ兄上が乗る馬は白馬だったりしますか?」
「ミリモスは知らなかったっけ。僕の愛馬ビアンは、雪原のように真っ白な馬だよ」
フッテーロは、本当の白馬の王子様だった。
そんな白馬に乗って外国を巡っているんだから、他国の女性にキャーキャー言われているに違いない。
少し羨ましいなと思いつつ、話を元に戻すことにした。
「とりあえず、ロッチャ国の侵攻は考えなくてもいいわけですね」
「まずは外交での話し合いだね。けど、感触は芳しくないから、軍でも用心はしておいて欲しいんだ」
「分かりました。ちょうど国境砦の人員を動かそうと思っていたので、渡りに船ですよ」
さて人員の配置転換の書類を書かねば。
俺が紙を取り出してペンを握ったところで、フッテーロから疑問が飛んできた。
「旧メンダシウム国との境にあった砦の人員を動かす予定だったって、どうしてだい?」
「単純な話ですよ。メンダシウム地域は、もう帝国の領土です。帝国の魔法の武器が相手じゃ、あの砦は壁にすらなりませんからね。連絡と検問として必要な最低人員以外は、引き上げる気でいたんです」
「そうして出る余剰人員を、ロッチャ国の警戒に当ててくれるってわけだね」
「あっちの道には砦はないですけど、監視小屋はありますからね。さらに人員を送って、陣地構築をさせますよ」
「頼もしいね。ミリモスが軍をちゃんと動かしてくれるようだし、僕の方も気合を入れて外交で交渉を行ってくるよ」
「フッテーロ兄上。ロッチャ国の軍事力は、メンダシウム国の比じゃありません。相手が持つ鉄の装備は戦いになったら強敵です。いざとなったら――」
俺はアレクテムが横にいるので明言は避けたが、ノネッテ国を売っても良いと発言に含ませる。
フッテーロもちゃんと理解したようで、力強く頷いてくれた。
「分かっているよ。ミリモスは安心してていいよ、相手は、ノネッテ国を憎んでいたメンダシウム国じゃなく、常識的な判断ができるロッチャ国なんだ。戦争になるのは外交手段が尽きた先だからね」
フッテーロはにこやかに言い切った後で、俺と二、三と日常会話を交わしてから、執務室を去っていった。
俺はその後ろ姿を見送ってから、やるべきことが増えた書類仕事にまい進することにしたのだった。