二百六十五話 産後のパルベラ
ノネッテ本国からロッチャ地域に戻った俺は、中央都にある居宅へ。
真っ先に向かったのは、もちろん子供を産んだパルベラの元だ。
「いま帰った」
侍女に案内されてパルベラの部屋に入ると、ベッドの上に寝ているパルベラの姿が目に入った。
産後の肥立ちは良いと聞いていたのにと心配になっていると、パルベラが微笑んだ。
「ミリモスくん。心配しなくていいですよ。ファミリスに起きても良い時間を決められているだけで、体調は良いですから」
こちらの表情を読んだパルベラの言葉に、俺は心の底からホッとした。
「出産までに戦争は終わらせるつもりだったんだが、間に合わなくて悪かった」
ベッドに近づきながら謝罪すると、パルベラが笑顔で首を横に振る。
「戦争が起これば、夫が妻の出産に立ち会えなくなることは当然のことです」
「そういうもの?」
「神聖騎士国の騎士や兵士もそうでしたし、他の国でもそうだと聞いていますよ」
そういうものかと納得しつつ、侍女がベッドの横に配置してくれた椅子に座る。
「それで――俺とパルベラとの子供は?」
部屋の中を見回しても、赤ん坊の姿はない。
それどころか、ベビーベッドや産着の姿形もなかった。
俺の疑問に、パルベラだけでなく侍女の顔にも苦笑いが浮かぶ。
「生まれて直ぐですから、隣の部屋でお医者が付きっ切りで様子を見てくださっていますよ。それと、ファミリスもそちらに」
「ファミリスも?」
「はい。赤ちゃんの顔を見るなり、虜になってしまったようなんです。将来は立派な騎士にすると、今から張り切っているぐらいなんです」
ファミリスはもともと、パルベラが大好きな人間だった。
そのパルベラの子供だ。ただでさえ可愛い存在である赤ん坊が、もっと可愛く見えてしまっても仕方がない。
「それじゃあ俺は、ファミリスを骨抜きにした強者に、会いに行ってみるとしようかな」
そう言いながら椅子から立ち上がろうとすると、侍女に肩を抑えられた。
「どうかした?」
「旅の埃が付いたお体では、合わせられません」
言われて、体に目を向ければ、確かに土埃などの汚れが服についていた。
「なるほど。こんな状態で赤ん坊に会いに行こうものなら、ファミリスに怒られるってことか」
それは拙いなと椅子に腰掛け直すと、侍女の手が俺の肩から離れた。
「水タライを持ってまいります。それまで、パルベラ様のお相手をお願いいたします」
侍女が一礼してから去り、部屋の中には俺とパルベラだけになった。
改めて向き合う形になり、俺は先ずお礼を言うことにした。
「出産っていう大変なこと、安全に終えてくれて安心したよ」
「ふふっ。こちらも、ミリモスくんが戦場から怪我無く帰ってきて、嬉しいです」
パルベラが手を伸ばしてきたので、俺はその手を取って握る。
「これからしばらくは、戦争に巻き込まれることはないはずだ。ゆっくりできるよ」
「ミリモスくんがそんなことを言うと、逆に戦争に巻き込まれてしまいそうですよね」
「あー……まあ、あり得なくはないのかもなぁ……」
俺が言い淀むと、パルベラが不思議そうに見てきた。
「懸念する点があるんですか?」
「そういうわけじゃないけど、チョレックス王から俺に、ロッチャ地域だけでなくルーナッド地域も統治するようにって言われてね」
「ルーナッド地域、ですか?」
「これから先は小国同士の争いが活発になると睨んで、情勢変化に対応しやすい場所に俺を置きたいみたいでね」
「なるほどです。このロッチャ地域は、山と砂漠に阻まれているため、情報伝達が遅くなってしまいますからね」
「そういうわけだから、ロッチャ地域は代官を立てて任せ、俺はルーナッド地域へ行くことになる」
「では、私と赤ん坊も、ルーナッド地域へ同行いたしますね」
当たり前のように言ってくれたけど、俺は少し懸念する。
「赤ん坊は生まれたばかりだ。旅路に耐えられるまで――それこそ一年や二年はロッチャ地域で育てても良いんだよ?」
「私とミリモスくんとの子供ですよ。長旅をしても良いという、お医者の許しだって、そう遠くなく出るはずです」
「俺たちの子供だからって……。実は、パルベラもファミリスのように、赤ん坊の魅力でバカになってない?」
「ふふっ。そうかもしれませんね」
少し笑ってから、パルベラは真剣な顔に変わった。
「ミリモスくんがルーナッド地域へ行くのでしたら、ホネスは連れていくのですよね」
「ホネスの事務能力は手放しがたいし、統治作業を手伝ってもらわないとね」
「もう、ミリモスくん。間違っても、本人にそんな言葉を言ってはダメですよ。愛しているから付いてきた欲しいと言わないと」
「も、もちろん、そういう意図もあるよ」
「そうであるなら、真っ先に愛を口にしないといけませんよ。私が子供を産んで、ホネスは少し神経質になっていますからね」
「ホネスが?」
「当然ですよ。愛する人の子供を、他の女性が産んだ。女性の身なら、気にならないはずがありませんから」
いまさらながら、俺はそういった機微に疎いなと自覚させられた。
俺が反省している間にも、パルベラの発言は続く。
「神経質といえば、アテンツァ様とジヴェルデ様も同様です。いつまで処遇を放置するつもりなんです?」
「チョレックス王にも突っ込まれたよ。嫁に取るなり、他の者に押し付けるなりしろってね」
「ミリモスくんは、どうする気でいるんです?」
パルベラの目は、俺を非難するというより、覚悟を決めろと求めているようだった。
「パルベラはどうやら、俺が嫁に取って欲しいようだね」
「それはもちろんです。領主や王にとって、子は代えがたい宝です。女性が一人で産める数に限りがあることを考えるのなら、複数人の妻を持つことが『正しい』ことのはずですから」
パルベラの理屈は理解できるけど、どうも前世の常識が邪魔をして、俺の腑に落ちない。
「とりあえず、二人に会って話してみてから、決めることにするよ」
「まったく。どうしてミリモスくんは、普段は決断力があるのに、女性関係になると尻込みするのでしょう」
パルベラの苦言に、俺は苦笑いするしかできない。
ここで侍女が、水タライと手拭いを持って入ってきた。
これ幸いと話を中断して体を水拭きしようとすると、パルベラはベッドから起き上がり、手拭いを取って俺の背中を拭いてくれた。
その手付きは、とても愛おしげで、俺への愛情を多分に感じさせるものだった。