閑話 『聖約の御旗』は混乱す
ルーナッド国が、フォンステ国と戦争を行っている間に、ノネッテ国に王都を攻め落とされた。
その知らせは、カバリカ国を始めとする『聖約の御旗』に参加する国々に多大な衝撃をもたらした。
あまりに衝撃的な内容に、ルーナッド国が陥落した翌日には、『聖約の御旗』の参加国の代表たちが盟主のカバリカ国に集合していた。
そして会議が始まるや、それぞれの国の代表が声を大にして主張を始める。
「ルーナッド国が落とされた! この事実は『聖約の御旗』の存在意義を揺るがすものだ!」
「そうだ! そも、この連合は、小国が集まり、大国に対抗するためもの! 連合の参加国が、こうもあっさりと陥落しては、連合を組み続けることを考えなおさなければならない!」
ペローデン国とペルデン国の代表が、口から唾を飛ばす勢いで主張する。
この二国。『聖約の御旗』の参加国の中で、ノネッテ国にもともと近い国々。ノネッテ国の軍隊の精強さと『侵略王子』の逸話を何年も前から耳にしていて、恐れていた。
その恐れがあったからこそ、この二国は『聖約の御旗』の参加を決めたという背景がある。
それなのに、ルーナッド国が陥落した――つまり連合がノネッテ国の対抗手段として使えないとなれば、連合に参加する意義がない。
そんな心情を言葉に乗せて語る二人に対し、その他の国々の代表は呑気なものだった。
「ルーナッド国には悪いですが。今回のことは、運が悪かったとしか言いようがないでしょう。サグナブロ国という背後の壁があったはずなのに、まさか戦争中に、その背後を突かれるとは」
「サグナブロ国には、内々に連合の参加を打診していたので、ノネッテ国が優位になるような動きはしないと思ってたんですけどねえ」
ノネッテ国から比較的遠い、コンタマ国とカルペルタル国の代表は、『やるべき事はやっていた』と言いたげに語り、運の問題という形に片付けようとする。
ルーナッド国がノネッテ国ルーナッド地域に変わったことで、ノネッテ国と国境を接する形になったアコフォーニャ国の代表も、呑気な一人だった。
「私どもも、ノネッテ国のルーナッド国への侵攻を感じ、同じ『聖約の御旗』の参加国であるルーナッド国を救わんと、援軍の兵士を集めてはいたのですよ。それを出発させようとしたところで、ルーナッド国陥落の知らせ。あまりに早い侵攻で、虚報かと疑ったほど」
「貴様ら、なにを『隣町の灯りを眺める』ような物言いをしているか!」
「ルーナッド国がこうもあっさりと攻め落とされたのですよ! 『隣家の火事』と思っていただかなければ!」
温度差のある双方を取りなす形で、カバリカ国の代表として参加している、フレッサ・リリドコロ宰相が言葉を放ち始める。
「確かに、ノネッテ国の侵攻っぷりには焦らねばならないでしょう。しかし、我ら『聖約の御旗』の参加国に攻め入る大義名分が、ノネッテ国にはないのも本当。ここは下手に焦らずに、建設的な話し合いをした方が、我々の未来のためになるのではありませんか」
説明口調で教え諭すような物言いに、ペローデン国とペルデン国の代表たちが不愉快そうに顔をしかめる。
「そもそもだ。フォンステ国の一騎討ちに敗けたことが、今回の事態を引き起こした切っ掛けではないか」
「そうだ。テスタルド殿がノネッテ国の侵略王子に敗けなければ、フォンステ国は『聖約の御旗』の一員となっていた。ルーナッド国が滅びることもなかったはずだ」
痛いところを突かれて、リリドコロ宰相の顔も不愉快げに変わる。
そこにコンタマ国とカルペルタル国の代表が、擁護に入ってきた。
「勝負とは時の運。一騎当千のテスタルド殿とて、敗けるときは敗けるもの」
「それに、テスタルド殿との一騎討ちで敗けた我らが、テスタルド殿が『敗けなかったら』と考えるなど、恥知らずも良い所では。彼以上の使い手を、我らが用意することができないのですからね」
言い合いになり、険悪な雰囲気になりかけたとき、アコフォーニャ国の代表が挙手して発言する。
「終わってしまったことを語るのは止めましょう。これからは先のことを語るべき。まずは、我が国に貴方がたの国が、援軍を出してくれる気があるか否か、お聞かせ願いたい」
唐突な質問に、各国の代表が訝しげな顔つきになった。
アコフォーニャ国の代表は、面々の顔つきを眺めて、自論を展開する。
「ノネッテ国が侵攻する気なら、次は我がサグナブロ国か、アコフォーニャ国。しかしサグナブロ国は、ノネッテ国の軍隊を国内通過させた前例もあることから、ノネッテ国に従順する道を選んだ可能性が高い。つまりアコフォーニャ国こそが、次の侵略の標的となるが道理では?」
「それは、その通りか」
「だが、ノネッテ国がアコフォーニャ国を攻める大義名分はないと、さっき出たばかりではないか」
疑問の声に答える形で、アコフォーニャ国の代表が説明を付け加える。
「我らがノネッテ国を攻める大義名分はあるでしょう。連合の同盟国が攻め落とされた、というものが」
「なんと! つまり、こちらから攻めようというのか!?」
「相手は、あのノネッテ国だぞ!」
ペローデン国とペルデン国の代表が鼻白むが、コンタマ国とカルペルタル国の代表は大きく頷いていた。
「なるほど。戦争を終えて気が緩んでいるところを叩くというわけですか。上手く隙を突ければ、ルーナッド国を国土を取り戻すことも可能です」
「それに、ノネッテ国の話を聞くに、今年は戦争続きと手に入れた領地の再生で、物資も兵士も消耗しているとか。今回のルーナッド国への侵攻も、大分無理をしたと推測すると、今はまともに戦えなくなっているのではありませんかねえ」
会議の流れが一方向に向かいつつあることを、リリドコロ宰相は素早く察知した。
「多少の意見の対立はあれど、アコフォーニャ国に軍を集めるということについては、決定としていいのではないでしょうか」
もともと反対しているわけではなかったことと、盟主たるカバリカ国の代表の言葉と相まって、アコフォーニャ国に兵を集合させることは決まったのだった。
ノネッテ国がルーナッド国を攻め落とし、その土地を治めるようになった。
統治者の交代は、必ず混乱を産む。
その隙を突こうと、アコフォーニャ国に集った『聖約の御旗』の連合軍は考えていた。
しかし、各国の軍が寄せ集まったこともあって、仕方がないことではあったが、連合軍の指揮系統の構築に時間がかかってしまう。
どうにか指揮系統を形にした頃には、すっかりルーナッド地域はミリモス王子の力で治まってしまっていた。
「早い、早すぎる。統治慣れしすぎている」
「ルーナッド国にあった仕組みを丸ごと乗っ取って使っているように見えても、領地運営に必要のない者や部署は素早く切り捨ててもいる。如才ないことだな」
「『侵略王子』と仇名されるに足る能力を、ミリモス王子は持っているようだ」
軍人としての彼らは、数々の国々を攻め落としてきたミリモス王子の手腕を評価していた。
だからこそ、ルーナッド国が治まってしまったいま、軽々に軍を攻め込ませることはできないとも判断していた。
そうして連合軍が手をこまねいている内に、良くない噂が飛び交い始めていた。
最初は、連合軍のどこそこの国の隊と別の国の隊が仲違いをした、なんていう他愛もない噂話だった。
件の隊の指揮官同士が会談し、そのような噂は間違いだと訂正し、噂は終息した。
しかし、この噂を切っ掛けに、新たな噂話が次々に生まれ始める。
ルーナッド地域に攻め入ったところで、全ての戦果は『聖約の御旗』のもの。つまりはカバリカ国に全て持ってかれる。
コンタマ国の軍隊は、やる気がない。仮に『聖約の御旗』がミリモス王子に敗けても、いざとなれば領地を接する騎士国に助けを求めればいいのだから。
ペローデン国もペルデン国も、『聖約の御旗』を脱退して、ノネッテ国に下ろうと考えている。
カバリカ国のテスタルド殿が騎士国の騎士だったという話は、真っ赤な嘘。単なる一兵士で、元騎士だと身分を詐称している。騎士国の騎士であったのなら、単なる一国の王子に敗けるはずがないのだから。
その他、様々な噂が生まれては消え、消えては生まれていく。
それは連合軍内に限ってのことではなく、アコフォーニャ国の全体にも流れているようだった。
自然と耳に入ってしまう噂話の数々に、連合軍の兵士たちは「もしかしたら本当かも」と動揺して、疑心暗鬼になる者まで現れ始めていた。
連合軍の指揮官たちは、頭を抱えている。
「ペローデン国とペルデン国の軍隊の仲が、急速に悪くなっている。居留陣地を離す必要がある」
「あの名前の似ている二国は、もとは一つの国で、王家の長男と次男が仲違いして国が割れ、それぞれが独立したっていう背景がありますから」
「ノネッテ国を脅威に思い、協力する姿勢だったのだがな」
「噂話を真に受けて、どちらが先に『聖約の御旗』を裏切るかと、監視し合っていたようです」
「単純に言え。その二つの国の兵士たちは、どちらが先にノネッテ国に寝返るかを、虎視眈々と狙っているのだとな」
馬鹿な兵士の馬鹿な思惑に、指揮官たちは苦笑いしかできない。
ここで、血相を変えた伝令が走り入ってきた。
「た、大変です! 食中毒が発生しました!」
「なんだと! 食材の管理はどうなっていた!」
「管理体制に問題なかったはずですが、周辺の村から集めた食料の中に、傷んでいたものがあったのかもしれません……」
急に作られた連合軍だ。糧秣に不安があり、周辺地域から食料を融通してもらっていた。
ここら辺は飢饉になることが稀な地域であるため、村の中には保存されていた食料の備蓄管理が甘く、痛んでいたら捨てればいいと軽く考えているところもある。
不運にも、そういった村の食料が運ばれてきて、さらに不運なことに食材が痛んでいたのだろう。
幸い、食当たりを起こした兵士の数は少なかったため、その兵士たちを救護所に押し込めば、それで終わりのはずだった。
しかし、ここでもまた噂話が流れた。
「食中毒ではなく、毒を入れたんだ。そう、流言が飛んでいると? どこの国だと主張した噂だ?」
「それが、『全て』です」
「なんだと?」
「『聖約の御旗』に参加する国の名前の全てが、犯人の所属国として出ています。さらには、この陣地の中に、既にノネッテ国の間者が紛れていて、その者が毒を入れたのだという噂も……」
「これでは、兵の間に疑心暗鬼が深く広まってしまう」
そう危惧して指揮官たちは噂を消す手を打ったが、その甲斐なく、翌日には各国の軍隊の間で不和が生まれていた。
どこそこの国が犯人に違いない。奴らの作った飯は怖くて食えない。
どこそこの国の規律が乱れている。奴らの管理不足で食材が汚染されたはずだ。
どこそこの国の規律は整い過ぎている。毒を入れた犯人が身内にいると知って、綱紀粛正を行ったに違いない。
陰口が悪口を呼び、悪口が悪意を起こし、そして悪意が部隊間の抗争に発展する。
「また喧嘩です。止めはしましたが、不和の熾火は燻っていると思った方が良いでしょう」
もはや収拾不能の域に差し掛かっていると、誰の目にも明らかだった。
「……この調子では、作戦行動はできない。『聖約の御旗』の代表に、この連合軍の解散を進言する。異議はないか?」
指揮官たちは、仲裁に疲れ切った顔で、提案に了承した。
そして、この場にいる誰もが、一秒でも早く解散が承認されることを、心から願ったのだった。