二百三十八話 軍務大臣ラクティオ・ヤポシスシとの会談
サグナブロ国の王城に入り、ある部屋に通された。
扉から入ると、部屋の大きさは縦長の六畳ほど。
対面の奥には執務机が一つ。左右の壁は、多数の本や資料束が押し込まれた本棚が埋め尽くしている。
内観から、さしずめ仕事人の部屋といったところだ。
俺をこの部屋に連れてきた、サグナブロ国の軍務大臣ラクティオ・ヤポシスシは、当たり前のように執務室の向こうへと移動して、備わっている椅子に腰を下ろす。
俺は左右を見て、他に椅子がないか探したが、ない。
どうやら、俺は立ってヤポシスシと会話しないといけないようだ。
「それで、ノネッテ国のミリモス王子。我が国王に伝えたいこととは?」
ヤポシスシに問われたところで、俺は一つの書簡を取り出して掲げる。フォンステ国王より預かった、ノネッテ国の軍へ宛てた応援要請の書簡だ。
「フォンステ国の王の要望に応じ、ノネッテ国はルーナッド国に攻め入ることになりました。ついては、我が国の軍がサグナブロ国内を通過することを許していただきたい」
「……その書簡を拝見することは可能かな?」
「もちろん。ただし、故意に破損させた場合、サグナブロ国はフォンステ国に宣戦布告をしたものとみなしますから、留意していただきたい」
俺が脅すように言うと、ヤポシスシは恐る恐る書簡を手に取り、広げて中身を確認した。
「確かに、貴殿が言った通りの内容が、ここには書かれているようだ」
ヤポシスシは書簡を俺に返却すると、困ったような表情になった。
「フォンステ国とノネッテ国の間の話はわかった。しかしな。他国の軍隊を、おいそれと我が国の内に引き入れることはできん。安全保障上の問題がある」
「そのこと承知の上で、こうしてお願いしているんですよ」
「予告通知もなしに王城まで押しかけてきて、これがお願いかね?」
「十分にお願いですよ。この書簡があれば、サグナブロ国を通過する大義名分は立つ。俺が軍を率いて、勝手に押し入っても良かったんですから」
と口では言っているものの、無理筋だなと俺自身は思っている。
フォンステ国の王は書簡に、これがあればサグナブロ国も否とは言えないと保証していたが、勝手に他国の軍隊が国内に入ってくるなんて、侵略行為に他ならないんだ。
『正しさ』を標榜する騎士国だって、フォンステ国の王からの正式な要望とはいえ、ノネッテ国の軍がサグナブロ国に侵入することを許さない可能性は大いにある。
俺はそう考えていて、ここでヤポシスシも同じように言い返してくると考えていた。
しかし現実は、フォンステ国の王が記したとおりになった。
「なるほど。押し入りに比べたら、こちらに伺ってきた分だけ、お願いであると言えるか。曲りなりでも、道理を通そうというわけか」
ヤポシスシは納得するように呟くと、話を先に進める。
「ノネッテ国の軍隊が我が国を通過する際、民や町村を傷つけないと、どう保証する?」
あっさりと信用問題へ移行したことに、俺は予想が外れたと肩を落とす。
しかし、この問題に対する言い分は決まっていたので、俺は用意した文言を口にする。
「保証などできない。というより、こちらがどう言ったところで、貴方が信用できないといえば、それで終わりじゃないだからな」
「ならば、通すわけには――」
「ノネッテ国の軍からの被害があったら、損害賠償を要求すればいい。保証はできないが、補償することはできる」
俺が言い放つと、ヤポシスシは不愉快そうに目を眇める。
「何かがあったら、金で解決すると?」
「それが双方にとって、一番良いと思うけど?」
「いや。そもそも、貴殿の軍を入れなければよい」
「その場合、こちらは勝手に押し通らさせていただくことになる。仮にそうなったら、サグナブロ国とは戦争になるな」
「フォンステ国へ援軍に向かうのに、その前に我が国と戦って兵を減らすと仰るか」
「こちらの兵が減る? サグナブロ国の軍の実力は、国境で行っている演習で見たけれど、脅威には思わなかったが?」
俺が正直半分脅し半分に言うと、ヤポシスシはさらに不愉快そうな表情になる。
しかし、俺の評価を真っ当だと判断したのか、反論はしてこなかった。
「……分かった。貴国の軍が、サグナブロ国の内を進むことを許可しよう」
「王に裁可を求めなくてもいいのか?」
「国の治安と軍事にかけては、我が職の範囲。王の裁可は必要としない」
ヤポシスシは本気で言っているんだろうかと、俺は思わず目を瞬かせてしまう。
他国の軍が入ってくるなんて重大事を、国王に知らせないまま、配下が勝手に許可を出すなんて、小国状態の昔のノネッテ国ですらあり得ない。
でも、もしあり得るとしたら――国王が臣下の傀儡ならあり得るだろうな。
そして、サグナブロ国の王が傀儡だと思えば、腑に落ちる部分がいくつかある。
唐突に来襲したとはいえ、重大事を持ってきた俺とサグナブロ国王との面会が叶わなかったこと。
王が傀儡で決定権がないなら、俺が実務的な話をヤポシスシに話すだけで事足りる。
ノネッテ国に事前通告もないまま、サグナブロ国の軍隊がカヴァロ地域の境付近で演習を行ったこと。そして、ルーナッド国への入国を制限する関所を作ったこと。
これらは『聖約の御旗』に取り入ろうとする動きだ。
しかし一方で、サグナブロ国は『聖約の御旗』に参加はしていない。
そのチグハグな行動の理由を、『聖約の御旗』に近い臣下と、それと対立する臣下がそれぞれ行動した結果と考ええば、納得がいく。
なにやら、複雑そうな背景がサグナブロ国にはありそうだ。
そんなことを考えつつ、俺はヤポシスシに念押しすることにした。
「ノネッテ国の軍隊は、サグナブロ国の中を通っていい。間違いないですね?」
「ああ。ちゃんと我が軍に通達しておく。越境しても戦闘はないと保証しよう。ただし貴国の軍も、我が国に被害を出さないよう徹底して欲しい」
「うちの軍は行儀がいいから、乱暴狼藉はしないよ。安心していい」
そう安請け合いをしてから、俺が予想したサグナブロ国の内情を鑑みて、ヤポシスシにさらなる約束を強いることにした。
「ノネッテ国の軍が行進中、サグナブロ国の兵や民や盗賊が襲ってきた場合は、返り討ちにさせていただく」
「待て。盗賊は好きにしてくれて構わない。しかし、兵や民がノネッテ国の軍を襲うなど、あり得ない」
「あり得ないのなら、約束していいはずだ。違うかな?」
「その約束を貴殿が悪用し、民を虐殺しないとも限らんではないか」
「では、襲撃者を可能なら生け捕りにすると、こちらが約束しましょう。あまりに大勢でなければ、と但し書きは付けますが」
「……貴殿の慎重さ故の要望だと理解する。分かった、約束しよう。仮に、我が国に属する者がノネッテ国の軍隊を襲った際は、戦闘行動を許可する。ただし、それ以外の場面において、武力を行使することは控えていただく」
ヤポシスシが約束してくれた。
これで、仮にヤポシスシと敵対する人物が、ノネッテ国の軍隊に襲い掛かって来たり策謀を巡らそうとも、対応することができる。
俺は用事が終わったと判断して、サグナブロ国の王城から去ることにした。
預けていた馬を受け取り、人馬一体の神聖術で、一路カヴァロ地域へと駆け出した。