二百三十四話 一騎討ち――決着
俺は自分の両足の間隔を少し広げた状態で、右肩に剣を乗せ、ぐっと上体を倒した前傾姿勢で静止する。
テスタルドは大剣を振り上げた状態で、一歩ずつすり足で近づいてくる。
お互いの距離が縮まるにしたがって、野次馬の声が小さくなっていく。一騎討ちの決着が近いと分かったのだろう、固唾を飲んでいる様子が視界の端に見えた。
そうして俺が意識を他に割いていると、テスタルドは大胆に一歩踏み込んできた。俺の意識が逸れたままなら、突進すると宣言するように。
確かに、俺は認識をテスタルドに固定せず、周囲にも向けていた。
でもこれは、テスタルドを軽視しているわけでも、一騎討ちに集中していないわけでもない。
逆に、戦いに意識を集中させるあまり、高まった集中力が勝手に周囲の状況まで敏感に拾ってしまっているため。
それに、昔にノネッテ国とロッチャ国との戦争で、俺とドゥルバ将軍が一騎討ちをした時、ロッチャ国軍の兵士が槍を投げて邪魔してきたことがあった。一騎討ちでは一対一の状況が基本だからって、周囲に意識を向けなさすぎるのも問題だと、俺は体験から知ってもいる。
だから俺は、テスタルドの踏み込みは気にしないことにして、集中力をさらに高めることを気を付けることにした。
「ぬむっ――」
テスタルドが慎重にすり足で近寄り、さらに距離が縮まる。
テスタルドの口から、うめき声のような呼吸が漏れた。
お互いに、相手が動けば即応しないといけない距離だ。戦いの機運の高まりで変に力が入り、呼吸が音となってしまったのだろう。
かく思っている俺も、呼吸を意識して行っていなきゃ、喉が生唾を飲み込もうと動いてしまいかねない心境だった。
「む、むっ――」
テスタルドが呼吸の声を漏らしながら、じりじりとつま先分だけ近づいた。
ここから先はもう、踏み込んで斬りつければ必殺の距離になる。
お互いの間隔が一ミリメートル近づくことにすら気を配らないと、相手の行動への対応に遅れてしまう。
神経が磨り減るような感覚の中、テスタルドの右肩から血が滴り落ちる。
ぽたぽたと、地面に当たる音。
テスタルドの右手が少しだけ震えている。腕を持ち上げていることと失血で、血のめぐりが悪くなっているようだ。もしかしたら、右腕の感覚がなくなっている可能性もある。
だけど、ここで『テスタルドの右手は役に立ってない』と、軽率に突っ込むことは途轍もない下策だ。
相手は、元であろうと騎士国の騎士。
例え片腕の感覚がなくなっていようと、全力の一撃を振り下ろすことはできると、そう考えて備えないといけない。
「すうっ」
相手の動きを待ってからのカウンターを狙いながら、俺は息を吸う。
肺が膨らむことで、秒にも満たない間だけ、俺の動きは鈍くなる。
その瞬間、テスタルドは踏み込み、大剣を勢いよく振り下ろしてきた。
俺がカウンターを狙っていたように、テスタルドは俺が呼吸する瞬間を狙っていたわけだ。
「獲った!」
勝利宣言のような声と共に、剣先で俺の顔を縦に割く軌道で、テスタルドは攻撃している。
そう頭で理解するより先に、俺の体は反射的に前へ跳び出していた。
「あああああああああああ!」
俺は声を上げることで気合を入れ、肩に担いだ剣でテスタルドの大剣を受け止める。
衝撃。そして、俺を押しつぶそうとする圧力が掛かる。
力に屈して膝が曲がりかけるが、耐えてさらに前へ。
俺の剣の鍔と、テスタルドの大剣の鍔が、ぶつかった手応えと音。
上方向に目を向ければ、手を伸ばせば届く位置に、テスタルドの顔がある。
「ああああああああああああ!」
俺は左手を剣から放し、その手でテスタルドの顎を殴り上げる。
お互いに神聖術で強化しているけど、テスタルドはさっきの一撃に全力を傾けて防御を薄くしていたんだろう、殴った際に伝わってきた手応えは防御を貫いたと確信できたものだった。
「――くあッ!」
顔を上向かせて仰け反る、テスタルド。
晒された首に向かって、俺は右手で引き戻した剣を振るう。
剣の刃がテスタルドの首へ入り、皮膚を破り、肉と血管を割く――そのとき、テスタルドの左手が俺の剣の剣身を掴んで斬撃を止めた。
「いまのは、見事な攻防だった。だが、負けるわけには、いかん!」
テスタルドは右腕を振り上げ、大剣の柄で俺を打ってこようとする。
こちらの剣は掴まれていて動かせない。逃げるには剣を手放すしか方法はない。
しかし剣を失っては、決死の行動をしているテスタルドに対抗するのは難しい。
「仕方がないなッ!」
俺は剣を手放すと、神聖術で強化している全膂力でもって、テスタルドに体当たりした。
俺が体から当たるのと同時に、テスタルドの攻撃が俺の背中を打つ。
「くぅ――」
「なんとッ!?」
俺は打たれた衝撃で息を詰まらせながらも、驚いているテスタルドを押し倒して馬乗りになる。
ここで俺は目に着いたテスタルドが握ったままの剣に手を伸ばして奪い返そうとするが、テスタルドが横に投げ捨てる方が早かった。
俺は剣を手に取ることを諦め、テスタルドが大剣を持つ右腕を踏んで固定する。
そうして攻撃手段を封じたところで、俺はテスタルドの顔を両手で殴っていく。
「おりゃ! この! どうだ!」
「ぐぬっ、まだだ。負けるわけには」
テスタルドは左腕だけで防御しようとするが、こちらは両手だ。防ぎきれるもんじゃない。
拳が当たる度に、テスタルドの顔の腫れあがる部位が多くなっていく。
俺は殴り続けながら、テスタルドが隠し武器を取り出す素振りがないか、野次馬から援護が飛んで来るんじゃないかと、注意していく。
そんな俺の懸念は、結局のところ杞憂に終わる。
俺の拳が良い場所に入ったようで、テスタルドが白目を剥いて失神したのだ。
「ああもう。綺麗には決めきれないなぁ……」
脱力するテスタルドから離れ、地面に転がっている俺の剣を拾い上げる。俺の手の骨は折れてないようだけど、殴り過ぎで軽い痺れがある。
俺は剣を取り落とさないように柄を強く握りつつ、切っ先をテスタルドの喉元に据える。
呼吸を整え、宣言する。
「見ての通り、生殺与奪の権利を握った! この一騎討ちは俺の勝ちだ! 異存のある者はいるか!」
周囲に問いかけながら、俺は視線を一巡させる。
誰も彼も驚いている様子ではあるけど、反対意見は誰からも出てこない。
いや、一人だけ声を上げる人がいた。
「テスタルド殿! なにを寝ているのですか! 立ち上がりなさい!」
フレッサ・リリドコロが大声に、テスタルドの瞳が白目から元に戻った。
「ぐぬっ――」
「動かないで。下手に動いたら、突き殺す」
俺が警告しながら剣先を喉に接触させると、テスタルドは身動きを止めた。
「負けたか。これで我が『正義』よりも、お主の『正しさ』が勝っていると証明されたわけだ」
訳の分からない世迷言を受けて、俺は半目を向ける。
「『正しさ』も『正義』も、この一騎討ちには関係ない。単純に戦闘の技量で俺が勝り、貴方が負けた。それだけですよ」
異議があるかと視線で問いかけると、テスタルドが神聖術を解いた感覚がした。
「――こちらの負けを認めよう! この一騎討ち、フォンステ国の勝利であると!」
「テスタルド殿! なにを言っているのです! 戦いなさい! 負けることは、許されない!」
リリドコロは一人で喚いているが、誰も取り合わない。
俺とテスタルドだけでなく周囲の野次馬も、一騎討ちの決着がついたことを理解していたのだから。