二十二話 お話し合い・後編
俺の返答は予想外だったようで、フンセロイアは唖然としている。
「……はい? いま、断ると言いましたか?」
「はい。お断りいたします」
きっぱりと拒否すると、フンセロイアだけでなく、アレクテムにも驚かれた。
「もしや、賠償額が足らないとでも言う気ではありませんよね!?」
「ミリモス様、なにを言っておられるのですか! あの土地を取得することは、王家の悲願だと言ったばかりではありませんか!」
興奮する二人を、まあまあと言いながら手で押し止める。
「話を断った理由はあるんだ。メンダシウム地域は、ノネッテ国の何倍もあるんだよ。半分に割譲しても、二倍はあるんじゃないかな」
「それがどうしたと?」
珍しいことに、アレクテムの戦略眼が曇っている。まあ、念願だった土地を、俺が要らないと言ったんだから、そうもなるか。
「これほど広い土地を、どうやって治めるっていうんだよ。それに俺らは山の中の暮らしは熟知しているけど、平原の土地をどう運営するかなんて知らないだろ。土地を貰っても、宝の持ち腐れになるだけだよ。人が暮らす土地を腐らせるぐらいなら、そんなもの要らないと突っぱねたほうが誠実でしょ」
「そんなことありません! ちゃんと治めることは可能なはずですぞ!」
「じゃあ聞くけどさ。平原では山では採れない小麦が栽培できるんだけど、どうやって栽培するんだ? どれぐらいの量、税として収集すればいい?」
「そんなことは、農民に「いままで通りにせよ」と任せればよいではありませんか」
「忘れているようだから、あえて言うけどさ。俺たちが撃退したメンダシウム国の軍勢は、大半が農民兵だよ。いわば、彼らにとって俺たちは、親や兄弟や子を殺した憎い相手だ。そんな人たちが、好意的に動いてくれると思う? 税を誤魔化してきたり、ノネッテ国の支配に不満を募らせて反抗してくるのが、目に見えるようだよ」
あえて口に出しては言わないが、問題はまだある。
仮にメンダシウム地域を真半分で割譲された場合、ノネッテ国が治める地域と、帝国が治める地域が隣接することになる。
片や吹けば飛ぶような小国の治政、片や世界の覇権を争っている大国の治政だ。
寄らば大樹の陰じゃないけど、メンダシウム地域に住む人たちがどちらの治政を望むかは、議論にもならないだろう。隣の芝生は青く見えるというけど、青々とした帝国の芝生は、ノネッテ国が治めるメンダシウム地域の住民たちにとって黄金色に見えるんじゃないだろうか。
そうなった場合、ノネッテ国が治める場所では「帝国の一員として暮らしたい」と思う住民たちが生まれるようになり、住民の流出が始まることだろう。
人がいなくなると確定していそうな土地など、税収がなくなるも同じなので、あっても仕方がない。
個人的な本音を言えば、個人的に小麦粉は欲しい。パンを食いたいし、うどんも食べたい。
しかしこれは、俺の欲望なだけだ。
そして、メンダシウム地域の土地が欲しいというのは、ノネッテ王家の欲望。
だけど、ノネッテ国の国民にしたら、山間の土地で生まれる豆を愛して食べ、小麦がないことに不満なんてない。そもそも平原の土地なんて欲しがってもいない。平原の土地を貰ったと触れ回っても、「ふーん、そうなんですか。あ、さっき良い豆が取れたんですよ。どうぞ!」なんて返して来そうなほどにだ。
というわけで、厄介なだけで有用な場所になりそうもない土地なんて、必要ないわけである。
さて、絶句するアレクテムからフンセロイアに顔を向けつつ、外面を整えてっと。
「僕としては、土地よりも欲しいものがありますね」
「ほ、ほう。その欲しいものとは、メンダシウム地域の半分の土地ほどの価値があるものなんですか?」
俺の返しが意外だったようで、フンセロイアの口調が揺らいでいる。
それにしても俺が欲しいものが、メンダシウム地域の土地と同じ価値だって?
原材料だけを考えたら、比べるまでもなく格安もいいところだろう。
「僕が欲しいのは、帝国の紙ですよ」
「紙、ですか? 帝国製の紙が欲しいと?」
フンセロイアの表情は、貰えるはずだった広大な土地を捨ててまで紙を欲しがるだなんてと、明らかに馬鹿を見る目だった。
俺にとってその紙は、メンダシウム地域の土地なんてものより、多大な価値がある者だ。なんていったって――
「はい。帝国とノネッテ国は同格であると記した書面に、帝国の頂点お方のサインが入った紙を頂きたいです」
俺がにこやかに放った言葉に、部屋の中の空気が凍り付いた。
アレクテムは盲点だったという顔をして、フンセロイアは引きつった表情になり、ファミリスは面白いことになりそうだと考えている雰囲気を発している。
最初に再起動したのは、フンセロイアだった。
「賠償は、その紙でよろしいのですね? 本当に、よろしいのですね?」
「はい。ああ、僕が言ったものを用意することが難しいのでしたら、やはりノネッテ国の王城まで足を運び、僕の父――チョレックス王と会談なさってください。父ならば、土地を賠償することに同意するはずですよ。なんてったって、王家の悲願だそうですから。他に話したい件があれば、その場所でどうぞ」
俺は『紙を用意すると確約しないのなら、これ以上の話し合う気はない』と態度で示す。
というか、俺が国の行く先を決めるような話をすること自体、そもそも変なのだ。王子と言えど末弟で王にはなれないと確定している身なのだから、今代の王様である父か次代の王様になりそうな兄姉に任せるほうが筋だろうに。
そんなことを考えて悠然と構える俺に対し、フンセロイアは憎しげに睨んでくる。
『小国のガキが、大人しく土地を貰っていればいいものを、なんてものを要求しやがる。騎士国の人間がいるから、恫喝して要求を飲ませることもできやしねえってのに』
そんな風に考えてそうな目だ。
睨まれたって、こちらから話すことはないけどね。
俺とフンセロイアは黙ったまま、時間だけが流れていく。
この沈黙を破ったのは俺たちではなく、ファミリスだった。
「それで帝国は、ノネッテの王城に向かうのか? 向かうとあれば、同行せねばならないのだが。ああ、先ほど時間がないと言っていたな。では、この場で返答するしかないな。なに支配した土地の半分をぽんと渡せる帝国だ。紙きれ一つ用意できないはずがない」
「イノシシめ。こちらの気も知らないで……」
フンセロイアは眉間に皺を寄せて考え、そして肩の力を抜いた。
「ミリモス王子はノネッテの王ならば話に乗ると言いましたが、そう甘くはないでしょう。城の赴こうと二の舞を演じる羽目になる可能性が高いのですから、仕方がない。要望を飲みましょう。帝王様の署名入りの約定を、後日をお持ちします」
フンセロイアはそう約束してから、愚痴のように続けた。
「相手が幼い子だと思って油断したりはしなかったのですけどね。まあ、隣国の次代の王が立派な人物だと知れただけで、十分だとしましょうか」
「そう言ってくださるとありがたいですけど、残念ながら次の王は僕じゃない予定なので」
軽口を返すと、フンセロイアは俺が『帝王の署名入りの紙をくれ』と言ったとき以上に驚いた様子だった。
「はい? ミリモス王子は元帥位なのですよね?」
「だからこそですよ。次代の王が、いつ死ぬかわからない軍人になるはずがないでしょう?」
「帝国では、帝王の子が軍人として手柄を上げることが、普通なのですけれど?」
「騎士国でもそうだ。騎士王の子は騎士として軍務につき、戦場に出陣しなければならないという習わしがある」
二大大国の代表にそう言われてしまうと、小国のこちらとしては立場がないんだけどなぁ。
「あははっ。そこはお国柄の違いということにしておいてください」
そう誤魔化し笑いをしてから、フンセロイアには小国の立場としては望外な要求をしちゃったので、少しフォローを入れておくとしよう。
「俺がメンダシウム地域の土地を要らないと言った理由は、実はもう一つあるんですよ」
「ほう、それはどんなことでしょう?」
「帝国は、産出量が少ないノネッテ国の鉄鉱石を欲するほど、鉄鉱石の量を集めることに苦慮していますよね」
「……騎士国の人間がいる前で、そういうことは言わないで欲しいのですが」
どうせ騎士国だって、帝国が鉄鉱石に飢えていることは知っていると思うけどなあ。
まあ、あえて言う必要のない情報ではあったか。
「僕が言いたいのは、この場で話題にしても、問題はなくなるということですよ」
「ノネッテ国は、鉄鉱石を多量に出す用意があると?」
「いえ、うちではありませんよ。メンダシウム地域で採るんですよ」
「メンダシウム地域は平原と丘ばかりの土地で、鉱山はないはずですが?」
「それは誤解です。ノネッテ国の周囲にある広大な山岳部は、有用な鉱山の連なりですよ。それは国境を接するメンダシウム地域の側でも同じはずです。旧メンダシウム国の役人を締め上げれば、隠し鉱山の一つや二つの情報は出てくるんじゃないかと思いますよ」
こちら側とあちら側でも、山は同じ山だからね。採れる鉱石が違うってこともないはずだ。
この情報は帝国にとっても有用だったようで、フンセロイアの表情に活気が戻った。
「それは良いことを聞きました。実は話し合いたいことの二つ目は、鉄鉱石に関することだったのですよ。それがメンダシウム地域で多量に採れると分かれば、今回の交渉は失敗にはならずに済みます」
「咄嗟の機転で有用な鉱山をこちらに渡さなかった名采配、となる可能性もありますね」
冗談の応酬の後で、お互いに「はははっ」と笑い合った。
どうやら、うまい具合に話が落ち着いたようだ。よかったよかった。