閑話 心の芯
我が名は、テスタルド・ジュステツィア。
神聖騎士国家ムドウ・ベニオルナタルに生を受け、神の教えを信じて育ち、兵の身分から騎士にまで至った者。
しかし今は、騎士の身分を剥奪された流浪の野騎士にして、カバリカ国の客将。
そして小国同士による協力連合である『聖約の御旗』の我が役割は、一騎討ちの代表者である。
今日もまた、その一騎打ちのために、フォンステ国に赴いている。
一騎討ちの会場に用意された陣幕の中に入ると、いつものように身の丈ほどの大剣『懲罰と慈悲』を磨きながら自分の気持ちを高めていく。
その最中、カバリカ国の宰相であり、一騎討ちの差配をしてくれてもいる、フレッサ・リリドコロ殿が近づいてきた。
「先ほど代表者と名乗ったミリモスという人物は、どうやらこの国のものではないようですよ」
「つまりは、我が身と同じということか」
「もともとフォンステ国の代表と決まっていた国民は、ミリモスが陣内に入るや否や、逃げだしたようですよ。ふふっ、情けないことですね」
リリドコロ殿の口振りに、少々腹立たしさを感じた。
「弱き者が逃げることは、生存戦略として当然のこと。しかし、そういった弱者が強者の食い物にされない世の実現のため、我らは『聖約の御旗』を立てたのだ。弱者を悪しざまに口にすることは、我らの心情に悖るというものではないか」
「おっと、そうでした。いまの失言は、忘れてくれると助かります」
リリドコロ殿の愛想笑いに、本当に理解したのかと不安がある。
「……一騎討ちに集中する。会場の用意が整うまで、一人にしてもらいたい」
「ええ、それはもう。貴方様には勝っていただかないといけませんからね」
リリドコロ殿が離れていき、周囲に人の姿がなくなる。
集中しやすい環境となり、大剣『懲罰と慈悲』を磨きながら、再び気持ちを高めていく。
その間、脳裏に浮かんでは消えていくのは、我が人生である。
我は、神聖騎士国家ムドウ・ベニオルナタルの国内にある、僻地の寒村の生まれだ。
正しさを信奉する大国の保護の下、毎日満腹とはいかないものの、冬に凍えたり飢え死ぬことのない幼少期を送る。
しかし、そうした裕福な村には、常に盗賊の脅威が付きまとう。
それが騎士王様の住む都から遠く離れ、その御威光が届きにくい僻地の村となれば、脅威の頻度は高くなる。
その脅威への防備のため、村に駐留しているのは、たった一人の兵士。しかも前線から退いた老兵だった。
早朝に槍を振るって稽古する以外は、その皺の多い顔と、常に酒を口にしている態度から、兵士っぽくなくて心許ないと村の誰もが思っていた。
そんな評価を村人から去れていると知っているのに、老兵が朗らかな様子でいるのも、さらに心許ないとされる原因になっていた。
当時から正義感の強い我は、その老兵に詰め寄った。
『酒を飲むことを止め、真面目に仕事をしろ。そうすれば、村人から悪く言われることはない』
子供の自分なので多少言葉遣いは違うだろうが、そんなようなことを言ったのだ。
すると老兵は笑ったのだ。
「兵士など、村人に疎まれる程度でちょうど良いのだよ。人からの尊敬が貰えない? アハハ! そんな腹が膨れないもの、受け取ってなんとする。尊敬などより、酒を一口の方がよっぽどありがたい」
老兵の言葉に、なんと不真面目かと、これが騎士王様の下に集った軍の兵士なのかと、失望を覚えたものだった。
この老兵に村の防備を任せていたら、盗賊に滅ぼされてしまう。
そう考え、我が身を鍛え、戦う術を見につけることにした。
しかし村で戦う術を知っている人物は、悲しいかな、その老兵しかいなかった。
苦渋の決断で、老兵に頭を下げて、教えてもらうことにした。
すると感心した顔を返された。
「村を自分の手で守りたいと考えた意気ごみは良し。ならば、教えてやろう」
老兵が教えてくれたことは、軍の新兵がまず習うという、体づくりのための訓練だった。
「この訓練を続けることで、立派な兵士となれる。幼い頃より始めるお主ならば、騎士にまで至れるかもしれんぞ」
「そうか。なら騎士になる!」
老兵は『兵士』。その上に行きたいという、子供ながらの短慮な発言だった。
しかし老兵は、笑って応援してくれた。
「おうおう、なると良い。ならば訓練はさらに強くしなければならんか」
そうして老兵と訓練を続けていき、数年が経たった。
我が体は成長し、少年から青年への過渡期に入った。
その頃、他国から流れてきた盗賊が、村に襲撃してきた。
存在をいち早く察して、槍を手に跳び出した。
老兵との訓練で、我が身は大人に負けない武力を修めていた。
食い詰めた盗賊など、物の数ではないと、うぬぼれていたのだ。
しかし、盗賊が現れた現場に到着して、我が身は何もしない内から竦んでしまった。
飢えでギラつく、人を食い物としか見ていない獣の瞳が、獲物を求めて周囲を睥睨している。
奴らが持つ剣や槍には血錆びが浮いていて、人を殺す武器だと分からせる凄味を放っている。
そんな存在が二十人ほど集まり、血なまぐさい雰囲気を漂わせている。
そんな非日常の光景に、思わず怯えた。
今まで訓練して育んだ自信など、鍛えて培ってきた肉体など、怯えで役に立たなくなっていた。
そんな怯えて竦んだ哀れな獲物を、盗賊は見逃さない。
捕まえて村人を脅す材料に使おうとしたのか、武器を持っていない方の手を、盗賊たちが伸ばしてくる。
その手が、到る途中で、切り飛ばされて宙を飛んだ。
攻撃したのは、あの老兵だった。
「おうおう。弟子にちょっかい出すのは止めてもらおうか」
普段のように酒で赤くなった顔で笑い、老兵は槍を振るう。
一対二十など無謀と思ったが、そんな考えを払拭するほど、老兵の猛攻は凄まじかった。
槍の一振りで五人を吹き飛ばし、突き出せば確実に一人を即死させる。
その姿は、寝物語に聞いた騎士王様に侍る騎士もかくやという勇猛っぷりだった。
あっという間に盗賊を倒し尽くした老兵は、止めの一撃を全員に入れてから、こちらに近づいてきた。そして拳骨を頭に食らわせてきた。
「馬鹿者が。勇んで敵に挑むのは良いとしても、戦う前に怯んで腰砕けなど、体を鍛える前に心の芯を定める方が先だったか」
心の芯とはと疑問したところ、老兵は真面目な顔で語ってくれた。
「それさえ持てば、仮に強大な相手と戦うことになっても、決して臆さなくなる心棒のことだ。我が国の兵や騎士であれば『正しい』ことが、それとなる」
語った後で、老兵はこちらをじっと見つめ、何やら決心をしたようだった。
「お主、兵士になってこい。いや、騎士にまでなってこい。親の説得もするし、紹介状を書いてやる」
拒否権もないまま、あれよあれよという間に、我が身は新兵用の兵舎へと送られ、兵士としての生活を始めることになる。
老兵の訓練がおままごとじゃないかと思う教練が繰り返され、疲れ果てて眠る毎日の始まりだ。
必死に訓練を頑張り、神聖術が扱える一人前の兵士と成り、任務に就く。
盗賊の討伐や、助けを求めてきた小国の救援、帝国との戦争。
それらの任務の中で武功を上げ、さらには自主的に訓練を重ね、騎士候補に選ばれるまでになる。
しかしそう成れたときでも、この心の中に、老兵に指摘された『心棒』というものがあるとは思えなかった。
他の兵士に心棒について尋ねると、一様に『正しさ』と返答がくる。
ならば『正しさ』とは何かと再び尋ねるが、尋ねた者によって答えはまちまちで参考にならなかった。
イマイチ心棒という存在を感じられずにいて、騎士に任じられれば変わるかと励んでみた。
頑張りもあって騎士となれても、やっぱり『心棒』が得られないことは変わらなかった。
騎士として過ごし、神の教えを守って暮らす。
そんな中で、街の辻説法を遠くに聞いて、そこで『正義』という概念を知った。
正義とは、この世で間違いなく正しいことだという。
『正しさ』はあやふやでよく分からないが、説法で聞いた『正義』はとてもハッキリとしていて腑に落ちた。
その『正義』を心の芯に据えることで、我が身は自身を得ることになった。
自分が正義を信奉していることを、誰にも話すことはなかった。
騎士国の軍内では『正義』は偽りであると信じられているため、誰の同意も得られないと分かっていたからだ。
聡い者はいるもので、我が心の内を看破され、正義を捨てねば騎士の身分を剥奪するという事態になった。
しかし心の芯を失くすよりはと、騎士を返上する選択をして、流浪の元騎士となった。
その身になって最初に行ったことは、師である老兵に会うことだった。
叱責覚悟で、正義を心の芯に据えたことで、騎士の身分を失ったことを話した。
老兵の反応は大笑いだった。
「アハハハハ! お主は、大馬鹿者だな。だが良し。自分の正義を守ることが、そのときのお主にとって『正しい』ことだったのだろう。うむっ、であれば。これからは、その正義を信じて人生を歩んでみるとよい。その果てに、その正義が正しいか否かを知ることができるだろう」
叱責どころか、どこか応援されるような口振りに、面食らったものだった。
回想から復帰して、磨いていた大剣の具合を確かめる。
曇りが消えた、良い剣身具合だ。
「この剣のように、曇りなく正義に準じよう」
決意の言葉を告げた直後、リリドコロ殿がやってきた。
「一騎討ちの準備が整ったようです。ささ、いきましょう」
「うむ。こちらも準備万端よ」
立ち上がり、一騎討ちに向かう。
『聖約の御旗』の下に小国が集えば、大国の脅威に怯えなくてよくなるという、正義の実現のために。
ミリモス・サーガとは関係ありませんが、
カクヨムにて、ゴールデンウイークの暇つぶし用の物語を投稿してます
今日の更新で、一応の完結となります。
魔王候補の傅役さん
https://kakuyomu.jp/works/1177354054896314466