二百二十四話 正しさと正義の違い
お待たせいたしておりました。
投降再開します。
今日も今日とて、俺はロッチャ地域で執務を行っていた。
新たにノネッテ国となった地域も、段々と落ち着いてきているようで、書類の数もかなり減った。
帝国の方からの働き掛けも、いまのところはない。
ノネッテ国は大きな戦争を終えたばかり。無茶をさせて潰れてしまっては、元も子もないからだろう。
砂漠の通商路に関係する国に争いの予兆はあるが、まだ現実に何かが起こっているわけではない。伝え聞くところによると、千のロッチャの武具を入手したことで、敵が安易に攻めてくることを止めたという。
そんなとりあえずの平和の中で、今一番の関心事と言えば、パルベラの妊娠についてだった。
ファミリスが目をつけていたという腕の良い医者と産婆に話を聞いたところ、経過は順調で問題はないそうだ。
俺の初めての子か。生まれてくるのが楽しみで仕方がない。
子供のためにも、俺は帝国が裏で糸を引いて起こす戦争で死ぬわけにはいかない。
だから自然と、ファミリスとの訓練にも力が入る。
「うらあああああああ!」
俺の剣での連撃を、ファミリスは涼しい顔で剣で打ち払う。
「勢い良し。剣撃に重さもある。良い太刀筋です」
「そりゃ、どうも!」
少しは焦らせてやろうと奮闘するが、どうも俺の攻撃はファミリスに読まれている感じが強い。
それならとフェイントを入れてみようとすると、その途端にファミリスから手痛い一撃がくる。
「虚実を入り混ぜようという試みは感心しますが、ミリモス王子にはまだ早いです。虚がわざとらし過ぎて、バレバレですよ」
ファミリスは忠告しながら、大上段から斬りかかってきた。
受け損ねたら死ぬという予感がして、俺は剣を掲げて受け止めようとする。
そう俺が行動した瞬間、ファミリスの剣の軌道が変化。するりと上段から中段に剣の位置が変わり、そのまま俺の腹部を剣の側面で叩いた。
「ぐぎっ――」
まともに食らってしまった。慌てて跳び退いて距離を取るけど、腹部を殴打された息苦しさは付きまとう。
俺が呼吸に苦労していると、その回復を待つように、ファミリスが講義する。
「いま見せたように、虚の攻撃は実かのように迫力を見せ、実の攻撃は虚かのように迫力を霞ませる。これが虚実の正しいやり方です。ただ剣の軌道を変えるだけでは、逆に自分に隙を産むだけですよ」
「骨身に染みて理解したよ。文字通りにね」
呼吸を落ち着かせて、再び訓練に戻る。
そうして何合か打ち合ったところで、今日の訓練の時間は終了となった。
常設されている井戸から水を汲み、手拭いを濡らして絞ってから汗を拭いていると、汗一つないファミリスが近づいてきた。
「ミリモス王子、少し良ですか?」
「良いけど、さっきの訓練の総評でも?」
「いいえ。少し、気になる情報がきたもので」
ノネッテ国の主な情報は、俺に伝わるような仕組みになっている。
それにも関わらず、ファミリスが伝えてくるってことは――
「――騎士国からの情報ってことだね」
「はい。少々、拙い事態になりつつあるようでして」
俺は手早く身支度を済ませると、ファミリスと共に執務室に戻る。
部屋の中にはホネスの他に、パルベラの姿もあった。
俺の妻同士が同室している状況だが、二人は仲良く朗らかに談笑していた。
「あっ、おかえりなさい。ミリモスくん」
「おかえりなさい、センパイ。今日は勝てましたか?」
「ダメだった。それどころか、まだまだ教わることは多いようだったよ」
二人から笑顔で迎えられる中で、俺は自分の椅子に腰を下ろした。
「それでファミリス。騎士国からの情報っていうのは?」
俺が会話の水を向けると、ファミリスは視線をパルベラに向けた。
どうやらその話は、パルベラがしてくれるらしい。
「例の件ですね。では私が、お話します」
パルベラは居住まいを正し、話し始める。
「ミリモスくんは、知っていますよね。いま小国の間では、連合を組み合う流れになっていることを」
「聞いている。大きな勢力に対抗するため、小国同士が手を組み始めたって。連合を組んだときの序列は、代表者による一騎討ちで上下が決まるとも」
「その認識で、間違いありません」
「連合の話を持ち出すってことは、騎士国からの情報もそれに関連しているってことだよね?」
騎士国は『正しさ』を標榜する国だ。
それが嘴を挟んでくるってことは、一騎討ちの作法なり、連合の行動に悪い部分があるってことだろうか。
そんな俺の疑問に答えるように、パルベラは困った顔に変わる。
「どうやら連合を組む際の一騎討ちに、騎士国の者が関与しているようなのです」
「姫様、情報は正確に伝えねばなりません。そこは、我が国の『元騎士』がです」
「そうでしたね。言い間違えてしまいました」
照れ笑いする、パルベラ。
しかし、パルベラが語った内容は、かなりのインパクトを持っていた。
「騎士国の元騎士が、小国の争いに加担しているんですか?」
「そのようなのです。彼が所属している国が『正義』であり、その下につくべきだと主張してです」
元騎士だとはいえ、騎士国の騎士らしい主張の仕方だなと、俺は思った。
しかしその俺の考えを訂正するように、ファミリスが吐き捨てる。
「『正義』かぶれめ。だから騎士の身分を剥奪されるのだ」
ファミリスの苦々しい口調に、俺は疑問を抱く。
ファミリスは騎士国の騎士らしく『正しさ』を行動の指針としている。
だが、今の口振りだと『正義』を嫌っているようだった。
意味が分からないと、俺は首を傾げる。
そんな俺に、パルベラは微苦笑を向ける。
「ミリモスくんは『正しさ』と『正義』を同じ意味だと認識しているようですね」
「それはそうじゃない?」
「ところが、神聖騎士国では明確に違うのです」
いいですかと前置きして、パルベラは続ける。
「『正しさ』とは、その時その時によって常に変化するもの。しかし『正義』とは、これが正しいのだと決めて変えないことを指します」
「ん? それだと『正義』の方が良いように聞こえるけど?」
あやふやなものより、明確のものの方が、指針としては確りとしている。
そう感じてしまった俺に、ファミリスが釘を刺してきた。
「正義とは、万人に正しいもので初めて成立する概念ですよ。しかし万人に正しいことなど、あるはずがない」
その話は分かる。
例えば、生き物を殺すことは、通常ならば悪いことだ。
しかし、食料を確保するための狩りや、戦争で相手を殺すことは正しい。そうしなければ、自分が死んでしまうのだから。
では生きるための行為全てが正しいのかというと、この世界では大怪我や病気で助からない人の苦しみを長引かせないことが正しいとされているため、生が正しいとも言い切れない。
「なるほどね。時と場合と状況によって、人が行うべき『正しさ』は違っている。だから『絶対不変の正義』はあり得ないってことか」
「確かなものに縋りつくのではなく、あやふやな指針の下で自分の頭と心で考えて正しい行動をすることを、騎士国では尊ぶのです」
ファミリスの胸を張っての主張で、騎士国の民の精神は分かった。
「でも、小国の代表になったっていう元騎士はそうじゃないんだよね」
俺が疑問を投げかけると、ファミリスは苦々しい顔になり、パルベラは苦笑いで騎士国の騎士について話し始める。
「我が国の騎士であろうと人間です。『正しさ』の不確かさに思い悩むことを疎んじて、『正義』という揺れない柱に寄りかかろうとする者は、どの時代でも必ず現れてしまいます」
「姫様の言葉を否定するようで申し訳ありませんが、正義は揺れない柱に見せかけたで幻想です。寄りかかったところで、ひっくり返るのが落ちなのです」
「ふふっ。私はちゃんとわかってますから、気を落ち着かせてくださいね、ファミリス」
ファミリスが意固地になる様子を見て、どうやら『正義』の問題は、騎士国にとって根深い問題らしい。
さらにここで、パルベラが更なる情報を加える。
「そして我が国の騎士の中には、初代騎士王に憧れる者がいて、剣で立身出世し国主になりたいと夢見ています」
「剣の力で、初代騎士王は国王になったってこと?」
「いいえ、違います。初代騎士王は、正しさを胸に抱く流浪の騎士でした。あるとき、とある国の民に悪行を重ねる国王を倒して欲しいと懇願され、その国王を討ちました。やがてその国の王となるのですが、それは王の悪行で疲弊した民を救わんと国の立て直しに奔走した結果、民から国王として祭り上げられてしまったからなのです」
「切っ掛けは確かに剣の腕なのは間違いないが、初代騎士王様は望まれて国王となられたのだ。それを正しく理解しない馬鹿だからこそ、容易く『正義』にかぶれれるのだ」
ファミリスは、憤懣やるかたないといった様子で、鼻息を噴く。
パルベラは、そんなファミリスを、まあまあと落ち着かせる。
「話が逸れていまいましたね。くだんの正義を信じる元騎士は、初代騎士王に並び立たんという野望を持ち、小国に味方しているようなのです」
「一騎討ちで実力を示し、大連合を作り上げた後は、その責任者に自分を押し込みたいってことか」
小国の連合で起きている状況は分かった。
「この話を俺にしてきたってことは、騎士国は元騎士を討伐する気はないってこと?」
「重鎮の中には、小国の治安を乱す行為だから即刻首を刎ねるべし、と主張する人もいるらしいのです。しかし御父様――騎士王は、件の小国に望まれて戦っていることに代わりないと、元騎士の行動にも『正しさ』はあると認めてしまいまして」
「取り決めを双方合意の下の一騎討ちで行っていることが、処断の是非をややこしくしているのです。これが小国同士の多数の死者が出る戦争なら、騎士王様とて元騎士に悠長な沙汰を出したりはしなかったはずです」
ファミリスの注釈に、俺はなるほどと頷く。
「望まれて代表者になっているから、合意しての一騎討ちだから、行為自体は正しい。ってことか」
つまるところ、騎士国が乗り出してくる事態になるまで、あと一歩足りないってことだ。
そこまで考えて、俺はハテナと首を傾げた。
「どういえば、どうしてこの話を、ファミリスは俺にしたんだ?」
元騎士の話は、小国の連合に関係している。
いまのところ、ノネッテ国と領地を接する小国では連合を組む機運は低いため、関係のない話と言えた。
俺の疑問に、ファミリスは「言い忘れていた」と釈明した。
「以前、ミリモス王子の兄君が来ましたよね。ある小国に、武器を輸出すると」
「ああ、していたね――って、まさか?」
「その小国を狙っていた国は、ロッチャ地域製の武具が配備されたことを知り、軍で攻めかかることを止めました。しかし、連合の下に組み込むことで乗っ取ろうと画策しているようです」
そう話が繋がるのかと、新たな騒動の気配を感じざるを得なかったのだった。