二百二十話 エゼクティボ・フンセロイア、再び
俺はロッチャ地域に戻ってから、ノネッテ国の各地にある物資の調整を働きかけた。
いまのところ一番の問題は、ペレセ国の国民の食糧問題と、戦争で荒れ果てた国土の回復。
そのため、ノネッテ国の各地から食料や肥料など、復興に必要と思われる物資をかき集めることにしたわけだ。
「折角貯めた金が、春の残雪のように、みるみる溶けていく……」
実際に手元にお金があるわけじゃなく、書類上の数字がみるみる下がっていくだけだけど、見ていてあまり面白いものじゃない。
でも、俺の隣で作業しているホネスは、俺ほどに衝撃は受けていない様子だ。
「センパイ。このお金は戦争のためのお金なんですよね。なら、今使わなくてどうするんです」
「いや、分かっているんだよ。必要なことだっていうのはさ」
俺は前世で小市民だったから、その感性が大量のお金が消えていくことに耐え切れないんだよ。
それでも、どうにか復興の筋道を立て終えた。
さあ今度は、ホネスとの結婚式の日取りや招待状の作成に入ろう。
そう思った瞬間、執務室に訪問者が現れた。
手に豪奢な筒を持った、ロッチャ地域の文官だ
「ミリモス王子。帝国からの先触れが到着し、こちらをミリモス王子にと」
「……嫌な予感がするけど、受け取らないわけにはいかないんだろうなぁ」
筒を受け取り、開封する。
中には、丸まった羊皮紙が数枚。
広げて中身を確認すると、差出人は帝国の一等執政官のエゼクティボ・フンセロイアだった。
「ふむふうむ。戦勝のお祝いの言葉と、話したいことがあるから、近日中に俺と面会して話がしたいって書いてあるな」
「センパイ。近日中って書いてあっても、先触れの人が来ているってことは、今日明日にでも来るってことじゃないんです?」
「そうだな。あー、その先触れの人は、なにか言っていなかったか?」
ホネスの疑問をそのまま文官に伝えたが、帰ってきたのは否定の首振りだった。
「いいえ。この筒をミリモス王子に渡してくれとだけ」
「そうか、わかった。先触れの人に失礼のないよう、接待してあげてくれ」
「了解です。それでは、失礼いたします」
文官が去っていったのを見送ると、俺はホネスと向かい合う。
「さっ。結婚式の話を詰めようか」
「いいんです? 帝国の人が来るんですよね?」
「だからだよ。フンセロイアが来て何かを言ってきたら、俺は対応しなきゃいけない。いま下手に仕事を進めると、彼との会談の後でやり直しになる可能性が高い。なら、彼とは関係のない、俺とホネスの結婚式の予定を決めてしまった方が建設的だろ」
「建設的って。センパイ、結婚への情緒が感じられないんですが」
「そう? 俺の気持ちとしては、戦争で延期しちゃったお詫びも込めて、ホネスのことを重視しているつもりなんだけど?」
「むむぅ。納得できない部分もあるけど、その言葉を信用しましょう。さて、結婚式はどんなものにします?」
ホネスはコロッと態度を変えると、結婚式の話題に乗り気になった。
俺はその現金さに微苦笑すると、前に聞いたホネスの望みも合わせて考えた、結婚式のプランを披露することにしたのだった。
ホネスとの結婚式の予定を決め終えてから、二日後。
フンセロイアが俺の執務室に現れた。
「戦勝おめでとうございます、ミリモス王子。やってくれると信じておりましたよ」
手放しで絶賛してくるフンセロイアに、俺は警戒感を強めながらも表情だけはニコやかに保つ。
「準備する時間もありましたから、どうにかこうにか勝ちましたよ」
「ご謙遜を。ペレセ国が滅ぶ寸前までいったのに、それを盛り返したうえで逆襲し、ペケェノ国とは不可侵の条約を結んで、カヴァロ国は攻め落として支配下に置いた。これはもう、完勝といって差し支えない偉業ではありませんか」
「大陸に覇を唱えている帝国の臣下の方にそう言って貰えると、頑張った甲斐があったと感じますよ」
当たり障りのない返答をしながら、フンセロイアをソファーに座らせ、俺自身もその体面に座った。
「それで、書状では俺と話したいことがあるとのことでしたが?」
単刀直入に尋ねると、フンセロイアはビジネススマイルを向けてきた。
「ミリモス王子に、一つ、耳寄りな情報を伝えようと思いまして」
「情報? その口ぶりだと、タダで教えてくれるって聞こえますけど?」
「はい。ロハで教えて差し上げます」
太っ腹な物言いに、俺は警戒をさらに強めた。
「どこかの諺には、タダより怖いものはない、ってものがありますが?」
「それは初耳ですね。ですが、少なくともミリモス王子にとっては『怖い話』ではありませんよ」
「俺ではってことは、別の誰かにとっては怖いんですね?」
「まあ、情報とは受け取った物の主観で、娯楽にも恐怖にも変わるものですからね」
フンセロイアは曖昧かつ意味深な表現をした後で、その情報を伝えてきた。
「さて。ノネッテ国は、いま八つの小国を内に抱えた、いわば中規模の国となっています」
「八つ? 五つはその通りだけど、三つは別の国として存在しているよ」
「その三つとは、ハータウト国、スポザート国、そしてペレセ国ですね。ですがその三国も、実質的にノネッテ国の属国ではありませんか」
「属国だろうと、別の国は別の国でしょ?」
俺が頑なに表現を譲らないでいると、フンセロイアは「いいでしょう」と融通する言葉を出してきた。
「これはオマケでお伝えしますが、ハータウト国とスポザート国は国体を解体し、ノネッテ国の下に組み込まれる気でいるようですよ。ペレセ国の方も、チョレックス王がイニシアラ王を説得して、ペレセ国を属領化する道筋が立っているはずです」
「……流石は帝国。ノネッテ国の領主よりも、耳が早いようだね」
「いえいえ。ミリモス王子の耳が戦後の立て直しと統治に向いていたために、属国のものまで聞いてはいられなかっただけのことですとも」
変にこちらを持ち上げようとするフンセロイアに、俺は半目を向ける。
「kろえがオマケだとすると、本命の話はなんなんですか?」
「私がしたかった話は、ノネッテ国が八つの国を支配下に置いたことから派生します。つまるところ、ノネッテ国が連戦連破で快勝し続けることに、他の小国が危機感を抱いたのですよ。このままだと、いずれは騎士国、帝国、ないしはノネッテ国に攻め滅ぼされてしまうとね」
「心外ですね。ノネッテ国は、自ら侵略するような戦いはしてきませんでしたよ」
「全て相手側の侵攻を止め、逆襲で攻め落としたものですね。いやはや、帝国もその手腕を見習いたいものです」
侵略に対する逆襲でなら、帝国がよくやるような、回りくどい方法で大義名分を用意する必要はないからだろうな。
「それで、恐怖を抱いた小国たちが、どうするんですか。ノネッテ国が怖いからと、帝国や騎士国に泣きつきでもしましたか?」
「そうであったのなら、どれだけ楽か。現実はもっと手前勝手なものです」
意味深な物言いは十分だと俺が見つめると、フンセロイアは肩をすくめる。
「小国同士で連合を組み始めたのですよ。大国に対抗するには、一致団結するしかないとね」
話の流れ的には、連合は小国が生き残るために選び得る、当然の選択肢の一つだ。
「しかし連合って、上手くいっているんですか?」
「いまは連合が話だけの段階なのに、すでに紆余曲折があるようです。隣国同士、仲が良いとは限りませんからね」
それは当然だ。
むしろ隣国だからこそ、土地や取水などの権利がぶつかり合うことがあり、結果として仲が悪くなるものだ。
前の戦争でのペケェノ国とカヴァロ国の連合軍だって、帝国の暗躍とペレセ国の領土を分け合うという実利がなければ、共同戦線なんて取らなかったはずだしな。
「連合を組む前に問題が起きているのなら、自然と瓦解してしまうのではないですか?」
「それがどうも、上手い事『一騎討ち』を活用しているようでして。代表者による決闘で勝った国が、連合で高い地位を得るということになったそうです」
なるほど、上手い手だ。
代表者での決闘なら、死者は最悪でも決闘で相打ちになる二名だけ。国全体の兵力の損害を、極力減らすことができる。
そして決闘で上下関係が構築できたのなら、軍の指揮系統も一様にまとめることができる。
「では今は、連合に参加しようとしている国同士で、決闘合戦を行っているわけですね」
「中々に白熱していて、在野で燻っていた有能な者が登用されたという噂もありますよ」
一騎討ちを開催することで、結果的に強者を引き入れることに成功しているわけか。
「話は分かりました。でも、連合を組むとしても、それはいわば自衛のため。手を出さない限りは、関係ないのでは?」
「ふふっ。ミリモス王子は年若いだけあり、まだまだ人間に対する甘いようですね」
嘲笑するような物言いに、俺は少しだけ腹を立てた。
「甘いも辛いもないでしょう。仮に連合がノネッテ国を攻めるとして、大義名分なんて立てようがないでしょう」
だって、ノネッテ国と件の連合に参加する国とは国交がない。
知らない相手同士では、遺恨もなにもあったものじゃないため、侵攻する大義名も作りようがない。
俺が考えを伝えると、フンセロイアはできの悪い生徒を見守るような生暖かい視線を向けてきた。
「甘いですよ。人間とは、ないものを作り出す生き物です。侵攻理由など、作ろうと思えば、材料はそこら辺に転がっているものですよ」
「……色々と理由をつけて版図を広げてきた、その帝国の役人が言うと重みがありますね」
「なに。ノネッテ国と彼の連合に参加する国とで、実は一つ問題が存在してことを知っているだけですよ」
唐突な爆弾発言に、俺は目を丸くする。
「問題って、知らない国ですよね」
「ミリモス王子は知らないでしょうね。しかし、スポザート国の国王やアンビトース地域の領主は、知っているかもしれませんよ」
どうしてその二つがと首を傾げかけて、共通項を思い出した。
「砂漠の通商路か!」
「はい。あの交易では、砂漠と接する国の一部が栄えましたが、逆に衰退していく国もあるのですよ」
「その衰退の原因はノネッテ国にあるとして、大義名分にしようというわけか」
「経済的な侵略もまた、戦争の理由には十分ですからね」
そこまで説明されて、どうしてフンセロイアが情報を伝えてきたのか、俺はようやく理解した。
「ノネッテ国はその連合を打倒して、連合に参加した小国全てを支配下に治めろ、ってことですね」
「いえいえ。そうハッキリとは申しませんとも。ただ、ノネッテ国と彼の連合とで、戦争になることは確定的だろうなと思っているだけですとも」
面倒な事態になりつつある状況に、俺は思わず天井を見上げそうになった。
それをぐっと堪えて、頭の中で現状を整理し、そしてある気付きを得た。
「『彼の連合』と何度か仰っていましたけど、『彼の』以外の連合もあったりします?」
「ふふっ、どうでしょう。ただ、凡愚は前例を真似するもの、とだけ教えておくとしましょう」
それは実質、他にも小国同士の連合が生まれつつあるということを言っているようなものだ。
しかし仮に乱立し始めた連合が全て戦争に向かうとしたら、それは小国だらけの地域に顕在していた乱世を加速させることに繋がる。
そして『彼の連合』とやらがノネッテ国を標的にしているということは、その加速する乱世に否応なく俺は巻き込まれてしまうということでもある。
やっぱり、フンセロイアは登場するたびに厄介事を持ち込んでくる疫病神だったな。