二百六話 対コウガン・クイッタア師団長
俺は砦の外壁から飛び降り、地面に着地した。
これは格好つけではなく、砦の門を開けて出ようとすると、その隙に敵側が突撃してくる可能性があったからだ。
そんな一応の警戒は正しかったようで、師団長と名乗ったコウガンの後方にいる騎馬隊が、出鼻をくじかれたように足踏みしている姿があった。
きっと、一騎打ちが成立する前だったと、不意打ちを正当化する気だったんだろう。
卑怯だなと感じると同時に、人が嫌がることをすることが原則な戦術に置いては正しいとも思った。
そんな潰した敵の策より、いま気にするべきはコウガンだろう。
一定の距離を離して対峙し、俺は名乗りを上げる。
「あの砦の責任者であり、ノネッテ国のロッチャ地域の領主。ミリモス・ノネッテだ。一騎打ちの申し出を受け、参上した」
「おお! 貴殿が噂に聞こえる、騎士国の姫を妻とした猿王子か! その豪胆ぶり、その猿の名に恥じぬ性豪と見受けたぞ!」
いやいや。なんだよ、その解釈は。
コウガンの見当はずれな物言いに気勢が削がれてしまったけど、気を引き締めるために俺は腰から剣を抜き放った。
「この一騎打ち。こちらが勝てば、そちらは包囲を解いて撤退するのだな」
「その代わり、こちらが勝てば、猿王子とその配下は捕虜になっていただく」
条件が確認できたところで、すぐに決闘に突入した。
合図はなかったものの、お互いに一歩を踏み出す足は同時に出していたのだった。
こちらは剣で、相手は槍だ。
間合いはコウガンの方が広い。
そのため、俺が近づききる前に、コウガンが槍を突き出してくる方が早かった。
「しああああ!」
鋭い呼気の音と共に、槍の穂先が俺の顔面へと迫ってきた。
第二師団のゾーガノーズは戦えそうにない体型をしていたけど、目の前のコウガンは率先して戦いに出るタイプの師団長だったようだ。
そんな思考を行いながら、俺は首を傾かせる。
俺の頭の位置が変わったことで、槍は俺の左横を通過する。
俺はコウガンの懐に入ろうと踏み出そうとするが、槍の軌道が変わり始めたのを見て、素早く後ろに一歩分だけ跳ぶ。
「しぃああああ!」
呼気の音と共に、槍が横に振られる。仮に俺が立ち止まっていれば、穂先の側面が俺の顔に叩き込まれていただろう。踏み込んでいても、槍の柄で殴られていたことだろう。
しかし俺は後ろに跳んでいるため、眼前を槍の先が通り過ぎていく。
「ぬうぅ!」
俺が避けきったと理解したのだろう、コウガンの短いうめき声。同時に槍が急制動される。
槍の動きが振りきる途中で止まる姿を見つつ、今度こそ俺はコウガンに近づく。
槍は間合いが広い分、柄の内側にまで接近されると、対応できる手が限られる。
穂先の近くの柄を持つことで間合いを短くする。
槍を旋回させて柄で払う。
槍の前後を入れ替えて石突で殴る。
コウガンは槍を振った体勢だ。
槍を引いて短く持つには、時間がかかり過ぎる。
そして槍を急制動させたことで、槍の動きは止まっている。
旋回には勢いが必要なので、これも難しいだろう。
なら選択は、槍の前後の入れ替えての、石突の攻撃の一択になる。
「ぬぅおおお!」
コウガンは持ち手を操って、槍先を下に、槍尻を上に移動させていく。槍先が地面を擦る、ギリギリで前後を逆に入れ替えていく。
槍の石突が描く軌道は、見事なことに、俺の頭を打ち据えるもの。
流石に戦い慣れているな。
俺は横に跳んで回避しつつ、剣をコウガンの右腕へと振るう。ガツッと当たる音がして、コウガンの鎧の腕の装甲がへこんだ。
再び間合いが開いたところで、コウガンが一気に攻め立ててくる。
「しぃいああああああああ!」
突きに次ぐ、突き。狙いも、顔、腕、足、腹と散っている。
速射砲のように間断なく繰り出してくる槍を、俺は剣で逸らしつつ間合いの外へと逃れるために後ろへ引き続ける。
俺を追い、コウガンは前へと出てくる。
「ぬぅあああああ!」
この機を逃さないとばかりに、槍の勢いは増していく。
汗が顎下から滴り落ちるコウガンの表情は必死で、余裕はない。
まるで、この数十秒の間で体力を全て使い果たしてでも、俺を討ちたいと意思表示しているかのようだ。
つまりこの攻撃は、コウガンの槍の技術は、これ以上の物はないという証明に通じていた。
俺は冷静に剣で槍の穂先を弾き続けながら、そう気づいて、ようやく安心することができた。
「そうだよな。ファミリスを基準に考えちゃダメだよな」
ここ数年、ファミリスとばかり訓練してきたらから、どうも戦い始めは慎重になってしまって駄目だな。
接敵した瞬間が、隠し玉や初見殺しの威力が一番発揮される瞬間でもあるため、一番危険であるからだ。
訓練の中で、何度ファミリスに初見殺しを食らって、打ち倒されたことか。
口惜しい気分が想起されたところで、その感情を打ち払うかのように、俺は剣でコウガンの槍を上へ強くかち上げた。
「ぬおっ!?」
コウガンの驚きの声を聞きながら、俺は大きく一歩踏み出して、槍の間合いの内側へと入り込む。
すぐさま、コウガンは持ち手を滑らせ、柄を持つ位置を変更。穂先で切りつけるようにして、俺に槍を振り下ろしてきた。
「まだまだ!」
「いや、終わりにするよ」
俺は剣を掲げて穂先を防ぐと、剣身を柄に沿わせて滑らすようにしながら、コウガンにさらに接近する。
柄の上を滑り進む俺の剣の先に、コウガンの槍の持つ手がある。
槍を手放さなければ、指が落ちる。槍を手放しても負けは確定ではないが、指が落ちれば負けが確実になる場面。
コウガンは槍を手放すことを選択して、腰に差していた短剣を引き抜こうとする。
当然の行動だ。
ゆえに、俺はその行動を読んでいた。
「はッ!」
蹴りを放ち、コウガンが短剣に伸ばした手を打ち据える。俺の足がコウガンの手の骨が折れる感触と得ると同時に、目でコウガンの指の数本が折れ曲がったことを確認する。
さらにここで俺は、この戦いで初めて、神聖術を使った。
全身の力を底上げして、大きく踏み込みながら、コウガンの鎧を着けている胸元へ拳を叩きつけた。
「おりやああ!」
「――ごばっ」
俺の拳の形、コウガンの鎧の胸元は陥没した。そして殴られた勢いで、コウガンは後ろへと吹っ飛んで転んだ。
慌てて起きようとするけど、その動きが途中で止まる。
「かっ、かはっ」
へこんだ鎧に胸元が押されて、上手く呼吸ができなくなっている。
俺は悠々とコウガンの槍を拾うと、その穂先を地面に倒れたままのコウガンへと突きつけた。
「俺の勝ちだと認めるよな? 自分の武器で、刺殺されたくはないよね?」
念を押すために尋ねると、コウガンは口惜しそうに頷き、敗北を受け入れたのだった。
さて、これで決闘は俺の勝ち。
一騎打ちの約定に従って、砦を包囲している敵兵は撤退する。
そのはずだった。
「いまだ! ミリモス王子を生け捕れ!」
唐突に響いてきたのは、そんな命令の言葉。
声の元を探すと、それは地面に倒れているコウガンではなく、彼のへこんだ鎧を剥がそうとしている付き添いでもなく、遠巻きに待っていた騎馬隊の一人。兜に目立つ赤い房があることから察するに、騎馬隊の隊長なのだろう。
その隊長の命令に従って、その周囲にいる騎馬隊がこちらに走り寄ってくる。それと同調して、砦を包囲する部隊の一画が、一斉に俺へと走り寄ってくる。
「……コウガン。約束を違える気か?」
なぜ決闘の約定を守るのかというと、違えれば騎士国が『正しい行いではない』と出張ってきて、約定を無理やりにでも履行させようとするからだ。
それを、師団の長ともあろう人物が知らないはずがない。
しかし鎧を剥がされて助け出されたコウガンは、俺の思い違いを笑った。
「約定は守るとも。ただし、我ら第一師団が属するペケェノ国はな。我らとは別の国である、カヴァロ国がどう判断するかは別だ」
コウガンは捨て台詞のように言いながら、付き添いに引きずられるようにして、この場から離脱していく。
「そんな屁理屈、通用するのか?」
ファミリスの気性を考えると、こんな不意打ちのような真似、騎士国が納得するとは思えないのだけど。
そんな疑問はともかくとして、いますぐに騎士国の騎士が助けに来てくれるはずもない。
こうして俺は、カヴァロ国の軍勢と一人、戦わないといけなくなったのだった。