十八話 被害と転機
砦の片づけは終わった。
ノネッテ国兵士の死体は、補給物資と入れ替わりに後方へ輸送され、それぞれの家庭に帰還する運びとなる。戦死者の家族には見舞金か税の軽減が約束されるらしい。
破壊された吊り上げ式の扉は、倉庫にあった予備のものがつけられた。作業中は厳戒態勢で行われ、俺も木製の鳥を操って監視任務をした。
こうしてとりあえずの砦の防備が整ったところで、メンダシウム国の兵士の死体の回収作業に入る。
砦の内側で死んだ者たちを外側へと追い出し、外側に転がっていた死体たちと一緒に、ひとまとまりに積み上げた。
病気の蔓延が怖いので死体を焼いてしまいたいのだが、メンダシウム国側が返却を求めてくれば応じないわけにはいかないため、十日ほどはこのまま置いておくらしい。
敵兵の死体回収時に装備品を外して回収してあるが、防具は薄い革鎧なので、焚き付けにしか使えない。
槍の穂先や剣も鉄の鋳造品なうえに身幅が薄くて壊れやすいようで、製鉄し直さなければ使えない粗悪品らしい。
よくそんな装備で戦争を吹っ掛けてくると思ったが、農民兵ではないメンダシウム国の兵士の装備は、鋼鉄の剣と鉄製の胸当てだった。
「農民兵は数合わせだから、この程度の装備でいいってことか……」
なんとも世知辛いことだ。
そんな雑兵として死んだ人たちを、うんざりするほど運んだからか、味方を百人近く殺した敵の死体だというのに憎しみが沸いてこない。
それどころか、両軍の兵たちは戦争という虐殺機械に放り込まれた被害者のような気になってきて、逃げ帰っていった敵兵へも憎しみを抱けないでいる。
いまの俺の気持ちを表すなら、『戦争だから人が死ぬのは仕方がない』と達観している感じだろうか。
自分が薄情になったような気がして、少し落ち込んでしまう。
さて、約百人死んだノネッテ国の兵士のうち、三分の二ほどが砦の内側で槍を持って戦った者たちだった。
やはり、帝国製の杖を使用され、出入口の扉を破壊されてしまったことが、被害の主な原因であるように感じてしまう。
「ねえ、アレクテム。俺が帝国製の杖をもっとしっかりと焼けていたら、この百人は死ななかったかな?」
「その考え方は間違っておりますぞ。ミリモス様はその知恵と勇気で帝国製の杖の大部分を破壊し、自らと三百人の兵の生命を守ってみせたのです。戦場跡でご覧になったでしょう、メンダシウム国が捨てた杖の残骸の姿を」
杖の残骸からわかったことだが、砦の扉を破壊した帝国製の杖は、燃え残ったものを無理やり使ったものらしく、扉を破壊した前後に壊れてしまって使い物にならなくなっていたようだった。
そのお陰で、砦での直接戦闘では敵側から強化された火球の魔法が飛んでこなくなり、外壁上で戦っていた兵士たちの損害が少なくて済んだ。
そもそも帝国の杖を夜襲で壊していなかったら、砦は容易く破壊されて、敵兵はノネッテ国内まで進出していたはずだ。それに比べたら、はるかに良い結果だろう。顔見知りな新兵三人と、その指導役のセンティスも無事だったしね。
「そうだね。誰かに百人の命を失ったことを責められても、俺は三百人の命を守ったことを誇りにするよ」
「そうですぞ。ミリモス様は、国を救った英雄ですからな。死した者の家族以外が変なことを言ってこようものなら、ワシが許しはしませんぞ!」
「ははっ、そんなときがきたら、アレクテムに任せるとするよ」
俺が苦笑いしていると、砦の中が騒がしくなった。
俺が事情が分からずに警戒すると、アレクテムが大声を発した。
「何事か! メンダシウム国の兵が紛れでもしたのか!」
砦の中に声が響き渡ってから少しして、誰かが大声で返答してきた。
「商人が、砦を通り抜けさせろとゴネているんです!」
俺とアレクテムは「商人?」と首を傾げ合い、とりあえず騒動がある方へと歩いていくことにしたのだった。
ノネッテ国側の出入口にやってくると、数台の馬車が止まっていた。
その周囲には、怪我に巻かれた包帯が真新しい兵士たちと、上等な仕立ての服を着た大人が立っていた。
商人らしきその人物は、焦げ茶の髪を油で撫でつけてオールバックにし、力士一歩手前のふくよかな体系をしている。細目で丸るいその顔の輪郭から、七福神の大黒様を思い起こさせる風貌だ。
「もしくは、古典的な怪しい中国人商人って感じだな」
「ミリモス様。なにか言いましたかな?」
「独り言が出ちゃっただけ。さて、あの商人だけど、例の帝国に本店があるっていう」
「はい。スシャータ商会、ノネッテ国支部の長、ドン・サビレ氏ですな」
頭なのに寂れるって、なんだか商人として嫌な名前だな。
まあこれは日本語ではの言葉の響きで、この世界の言葉では違う意味があるんだろうけどね。
「どうかしたんですか、サビレさん」
俺はさも前から知っていたかのような口調で、商人のサビレに話しかける。
サビレは俺が子供――戦闘の後片付けで薄汚れている格好だ――だと見ると、目の前の兵士に顔を向け直して大声を張り上げた。
「わからない人たちですね。責任者を出せと、ワタシが言っているのですよ! こんな意地悪をされるなら、支店にはもう帝国の品を持ってきませんよ!」
言われた兵士は、どうしましょうという目で、こちらを見てくる。
俺に話を向けられても困るので、アレクテムを頼ることにした。
「こほんっ。サビレ氏。ワシの顔は分かりますかな?」
わざとらしい咳払いから前に進み出る、アレクテム。
サビレは細目をさらに細くしながら振り返り、そしてアレクテムの顔をみて驚いたような顔をする。
「おや、アレクテムさんではありませんかー。末の王子の守役となったあなたが、どうしてこの砦に?」
「もちろん、その王子が、この砦にいるからですな」
「ほほう。砦に戦勝の労いに来ているとは、殊勝な心掛けをなさる王子様ですねー。魔法と棒振りしか脳のない人物であるという評価を耳にしていましたが、改めねばなりませんねえ」
俺を侮る言葉に、アレクテムの額に癇癪筋が浮かぶ。
「貴様! ミリモス様のことを、馬鹿にしておるのか!」
「馬鹿にするもなにも、小国の王子で、しかも末弟ですからねえ。帝国の大商会の一支店長のワタシと、どちらが偉いのでしょうねえ?」
後ろ盾である帝国をチラつかせながらの返答だが、アレクテムは腰に佩いた剣を抜こうとする。
俺は慌ててその手を止めながら、サビレに愛想笑いをする。
「どうして、その帝国の大商会の支店長の方が、戦闘間もない砦にやってきたのですか?」
話を勧めようとする俺に、サビレは乗っかってきた。
「当然、戦闘が終わりましたし、冬も近づいて来てますのでね、帝国に帰るのですよ。まったく、砦で長々と戦ってくれて。ワタシの予定が滅茶苦茶です」
先ほどといい、この返答といい、どうやらサビレは俺の顔は知らないらしい。
それなら知らないままにしておこう。俺は名もない兵士Aを演じながら、返答することにした。
「事情は分かりますが、追い払われたメンダシウム国の兵士が帝国への道の途上にいます。そこを馬車で通るとなると、大変危険だと思いますが?」
「敗残兵に襲われると? ほあほあほあー!」
サビレは特徴的な笑い声を上げた後で、馬車の幌に描かれている紋章を指示した。
「これはワタシが属する商会の紋章。そしてこの紋章が掲げられた馬車を攻撃するということは、帝国に弓引くのも同然の行為。そんな恐ろしい真似を、帝国と『友好国』のメンダシウム国がするはずがないでしょう?」
友好国のところに、奴隷とか下僕とルビが来そうな言い方だった。
まあ、そういう理由があるのなら、通してしまってもいいか。
「分かりました。通行を許可するよう、俺もアレクテム殿を説得します。ですが、偉大な帝国を動かし得る紋章を使えるサビレさんには、あることを一筆書き残して欲しいのです」
「ほほう、一筆書くだけで通行が許可されるのなら、書いてもよろしいですよー」
「では、サビレさんがこの砦を通過しようとしたところをノネッテ国の兵士はちゃんと止めたと、書いてください」
「それぐらいのことは、タダでしてあげましょう。ワタシが自ら望んで砦を押し通ったと、書き加えてさしあげますとも」
サビレが自分の使用人に神とペンを持ってこさせて、書き付けをしたためてくれている間に、俺はアレクテムと共に少し場所を離れた。
「いいのですか、ミリモス様。一介の商人に、ご自身が馬鹿にされているのですぞ!」
「サビレがヘソを曲げて、帝国の有力者を呼び寄せる事態になった方が厄介だからね。多少悪く言われたぐらいで、怒ってやる気にはなれないよ」
「むむう。ミリモス様が、そう仰られるのでしたなら」
「おーい。書き付けは、こちらの兵士に渡しましたので、これで通ってもいいですねー?」
「はーい、大丈夫でーす! みんなー、通してあげてー!」
俺が許可を出すと、兵士たちは渋々と言った感じで、サビレと馬車たちを砦の中を通過させてメンダシウム国側の外へ出した。
戦いの直後で荒れている道の上を、馬車たちがゆっくりと進んでいく。
「ああもう! ガタガタと揺れるから、この山道は嫌いー!」
馬車からサビレの癇癪の声が聞こえたが、砦の兵士たちは去り行く存在に気をかけてやる仕草すらしなかった。
俺も変な人が通っていったなと思っただけで、特に特別な感慨は抱かなかった。
なにせノネッテ国の誰もが、この後に帝国で動きがあるとは知らなかったのだから。