百九十七話 指揮官は選択する
あけましておめでとうございます。
本年も、本作品をよろしくお願いいたします。
できれば、その他の作品たちもご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。
ペケェノ国の軍勢をゆっくりと追いかけ続け、十日が経過した。
これで、ノネッテ国からの本格的な援軍が来援する時間までの、折り返し時点となったわけだ。
しかしこの十日で、ペレセ国の戦況は悪化に悪化を重ねている。
「押し込まれ続けて、残る国土は元の五分の一か……」
「ノネッテ国からの援軍の第三陣が防衛に当たって、どうにか持たせている状況です」
戦場を抜けきたという、ノネッテ国からの伝令からの報告を受け、俺は状況の整理を頭の中で行うことにした。
十日間の追撃では戦闘らしい戦闘もなかったこともあって、俺たちの位置は、もともとあったペレセ国とペケェノ国の国境近くにまで至っている。
それでも、もしこのままペケェノ国の軍勢が自国へと逃げるのなら、俺は追撃する積もりでいた。後でノネッテ国からの本格的な援軍と合流して、その大戦力をもってペケェノ国を迅速に攻め落とすための、橋頭保を確保する狙いがあったためだ。
しかしながら、ペレセ国の押し込まれっぷりは予想以上に悪い。
ノネッテ国からの本格的な援軍は、ペケェノ国とカヴァロ国の連合軍を押し返すことに先に使わなければ、こちらとの合流すること自体が難しいだろう。
このまま行くと、状況が悪くなるばかり。
となると、現時点が事前方針を変えるべきタイミングってことだな。
「ペケェノ国へ入るのは止めだ。この近くにも、ペレセ国が放棄した砦や城があるよね?」
キコス千人長に尋ねると、彼は懐から一枚の地図を取り出した。
俺が覗き込むと、キコス千人長は「もう、無用の長物だと思っていたのですが」と微笑む。
「ペレセ国の戦線に加わる際に手に入れた、国境付近にある砦の位置が書き込まれた地図ですよ」
「そんなものをどうやって?」
「我々が戦線に加わった時点で、ペレセ国は国土の半分を奪われてました。なのでペレセ国の指揮官にとっては、この地図に戦術的な価値がなくなっていたのです。多少の酒と引き換えを打診したら、すぐに手放してくれましたよ」
「それって、俺たちが逆侵攻をかける際に、その地図が使えると思って手に入れたってこと?」
「ええ。泊まるにしても、籠るにしても、既にあるものを使ったほうが効率的なので」
キコス千人長の抜け目のなさを、褒めるべきだな。
「後で物資が届いたら、払った酒の倍を渡すとするよ」
「ははっ。それほどの量となると、貰っても持て余しそうですな。そのときがきたら、部下に振舞うとしましょう」
俺はキコス千人長が持つ地図と周囲の地形を見て、砦がありそうな方向に目星をつけた。
「この砦に入ることにしよう。そこで行軍は一先ず中止にする」
「追撃を取りやめるので?」
「俺の事前予想より、ペレセ国の戦線が遠い。翻って、俺たちの位置が深すぎるんだよ。その分、ノネッテ国からの本格的な援軍の到着が遅れる見込みなんだ」
「つまり、これ以上深入りすると、敵の逆襲で負ける目が増えると考えるわけですね」
「加えて、副次効果を期待している部分もある?」
「副次、効果とは?」
オウム返しの質問に、俺は詳しく説明することにした。
「ここまで兵士たちには野宿ばかりを繰り替えさせてきた。適宜休憩を入れていたけど、心から休まる時間はなかったはずだ」
「そうですな。敵の夜襲があっても対応できるよう、心の底から気を抜くことはできなかったかと」
「そこで、砦での休憩だよ。砦という防壁があるだけで、兵士たちが必要とする警戒度は、各段に低くできる。それは心の負担を和らげ、ここまでに溜まった心身の疲れを芯から癒すことにつながるんじゃないかなってね」
俺の見解に、キコス千人長は頷いて同意を示した。
「たしかに、天幕の薄い布の中で眠るのと、砦の壁に背を預けながら眠るのとでは、安心感が格段に違いますからな。納得できる、副次効果ですな」
「実はもう一つ、期待しているけど、効果が発揮するか微妙な、副次効果があるんだよね」
「それはどんなもので?」
「上手くいくかは未知数だけど。俺たちが砦に籠ることで、敵側に意識の変革を迫ることができるんだ」
詳しい副次効果を伝えると、キコス千人長は疑うような表情になった。
「ミリモス王子。それはいささか、都合が良過ぎる考えでは?」
「敵指揮官の性格と有能さを考えると、確かにね。だから、効果が発揮されるか微妙だって言ったでしょ」
「なるほど。つまりは、兵を休ませる副次効果の、さらにオマケの副次効果というわけですな」
「その通りだけど、オマケの副次効果って、言い得て妙な表現だね」
とりあえず、砦に入って籠城し、後方からの援軍を待つという方針は決まった。
久しぶりの屋根のある寝床を夢見て、行軍を続けることにしよう。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
儂ことペケェノ国の第二師団の師団長ディヴィザ・ゾーガノーズは、配下の千人長たち五人に詰め寄られていた。
「閣下! いつまで逃げ続けるお積りか!」
「この体たらくを、栄えある第二師団が続けては、後の問題になりかねませんぞ!」
千人長ともあろうものが、後退行動を『体たらく』呼ばわりとはと、儂は頭が痛くなった。
「同胞たる第一師団や、同盟たるカヴァロ国がペレセ国の軍勢を封殺すれば、連中は干上がって自滅すると説明したであろう。楽に勝てるものを、なぜ自ら苦戦しに向かわねばならんのだ」
儂が二度三度と説明したことと同じことを再び言えば、千人長たちは烈火のごとくに怒鳴り返してきた。
「閣下! なんと弱腰な!」
「緒戦での敗北は痛烈ではありましたが、我々は未だに精強! 次こそは、あの奇怪な大きな鎧兜相手だろうと、打ち倒すことが可能でありましょう!」
「物見によれば、数日前から連中は砦の中に籠り、出てこなくなったとのこと。きっと、物資が底をつき始め、慌てて防御を固めだしたのでしょう!」
発言を聞いていて、そうだと思った。
千人長たちがこう強く言ってくるようになったのは、ノネッテ国の軍勢が追撃を止めて砦に入ってからだった。
「……お主らは、敵が砦に入っているというのに、それを攻めろというのか? 攻城戦は、攻める方が兵力を失いやすいのだぞ? それに、お主が主張する、連中が干上がりかけだという発言が正しいのなら、手を出すまでもなく干乾しで殺せる。それなのに戦いを選ぶとは、意味がないではないか?」
兵法の道理でもって説得しようとするも、千人長たちからの反応は芳しくない。
どういう思考回路をしているのかと呆れかけたところで、ふと、これはという考えに至った。
「もしや。手柄欲しさからの提案なのか?」
口に出して問いかけると、千人長たちの顔つきが、より厳めしくなった。
なるほどな。
第一師団は、破竹の勢いでペレセ国を攻めているため、これに参加中の将兵は手柄に困ることはない。
一方で儂ら第二師団はというと、安全策をとって損耗が激しそうな戦いは避けてきた。手柄という面においては、乏しいと言わざるを得ない。
そして将兵というものは、手柄によって階級が上がるものであるため、手柄のなさが不満であったわけか。
考えれば、後退を『体たらく』呼ばわりで、後の問題になると言い放った部分に、手柄への不満が見え隠れしていたな。
「手柄に逸る気持ちはわからんでもない。だが、何事も命あってのこと。無為に命を落としかねない戦端を開く必要はあるまい」
「そんな悠長なことを言っていたら、この戦争が終わってしまいますぞ!」
「終われば良い、戦争など。手柄など、後の統治作業で得ればよいものだ」
征服した土地には、反逆者が湧くものだ。それを討伐すれだけで、安全に手柄が入る。
なにも、大人を玩具のように投げ飛ばす恐ろしい巨大甲冑に、命がけで挑む必要なあるまい。
そんな儂の考えは、千人長たちには受け入れられなかったらしい。
「閣下は、緒戦での戦いに敗れたことで、腑抜けになってしまわれたらしい」
「腑抜けで結構。そう謗られるぐらいで兵の命を不必要に失わずに済むのなら、それこそが最上であろうよ」
「……兵の命をいたずらに慈しむとは、将としての気概すら失われたと見える」
「ふんっ。儂は元から、無駄に命を散らす突撃や、功名欲しさでの無意味な戦闘は嫌いな性質だ。変わったと言うなら、お主らの見る目が曇っていたということだ」
話は終わりだと身振りで伝えるも、千人長たちは出ていかない。
どういうつもりだと睨みつけると、返答が抜かれた剣として返ってきた。
「……謀反する気か?」
「いいえ。これより閣下が、病気療養に入っていただくだけのこと」
「弱気の虫という、一軍の将にとってあるまじき病気が治るまで、静養していただく」
巧妙に逸った馬鹿どもが。現実が見えておらん。
とはいえ、一対五の構図は、いかんともしがたい。
視線を参謀へと向けるが、我関せずという態度が返ってくるばかり。
儂は、千人長たちの判断を受け入れるより他に、選択肢はなかった。
「好きにすると良い。儂が陣内に居っても、お主らの負担にしかならんだろう。幸い、この場所は母国はすぐ近く。母国の町で療養するとしよう」
「監視はつけさせていただく。無用な混乱は避けたい」
儂が千人長たちの謀反を喧伝せぬようにという、当然の措置だな。
「検閲してもよいが、王に病気だと詫び状を書くことは許せよ。それと儂の監視に兵を出したことを悔やむような、一兵すら惜しい状況にならんとよいな」
「そんな事態にはなり得ない――『病気』の閣下をお連れしろ!」
病気を殊更に強調した大声に、天幕の外から兵士が二人やってきて、儂の両腕を掴む。それを儂は振りほどいた。
「抱えられんでも歩けるわ! それよりもお主、台車を持ってこい」
「え? ええっ?」
「儂は病人なのだろうが。後送するのに必要であろうが」
儂が指した兵士は、困った様子で千人長の一人へ目を向ける。
ほう。アイツの手下か。復讐相手として、覚えておこう。
いや、覚える必要はないかもしれんな。ノネッテ国の軍勢に殺される可能性が高いわけだしな。
「いいか、台車を用意するのだぞ。儂は手荷物を纏めておくからな!」
儂は兵士の片方の腕を掴むと、引きずるようにして師団長用の天幕へと向かったのだった。