百九十一話 面通し
俺がペレセ国の後方陣地にやってくると、早速衛兵に誰何された。
「その方向からくるということは、前線から来たようだな。もしや、もう前線を抜かれたのか!?」
俺のことを悪い情報を持ってきた伝令と勘違いしているのだろう、衛兵の顔に焦りの色がある。
まあ、この陣地の中にペレセ国の王がいるんだから、前線が崩壊したら大変な事態だもんな。
「いいえ。僕の名前は、ミリモス・ノネッテ。ノネッテ国の王子であり、ノネッテ国が出した援軍の最高指揮官でもあります」
身分を明かすと、衛兵は唖然とした顔の後に、顔色を青くする。
「こ、これは失礼しました! まさか、ノネッテ国の王子様であるとは! ご無礼のほどを、平に、平に!」
「いえいえ。職務上仕方のないことですから、気にしていませんよ。それで、入っても?」
「は、はい! どうぞお通りを!」
衛兵は一歩横にずれて通り道を開けると、陣地内へ大声を放つ。
「おい! ノネッテ国の王子様が到着されたぞ! 作戦会議を行っている天幕までお連れして差し上げろ!」
「は、はい! では、自分がご案内いたします!」
若い兵士の一人が駆け寄り、手を差し出してくる。
俺は馬の手綱を彼に渡し、導かれるままに陣地内を進むことにした。
馬上から見える陣地の様子はというと、端的に表して『意気消沈』という言葉が相応しい。
疲れ切った顔で項垂れている兵士が多く、覇気が全く感じられない。身に着けている武装は、汚れがひどい状態のままで、拭う元気すらない様子。
上官は、そんな兵士たちを怒鳴ったり宥めたりするべきなのだけど、諦めた顔で見過ごしている。
敗残兵の集まりといった有り様を見て、俺は思わず眉をひそめた。
国王が入った陣地にもかかわらず、これほど士気が失墜しきった状態は異様だ。
王が陣地に御座した場合、例え負け続きで士気が底辺であろうと、兵士たちが意気軒昂としている姿を装うことが普通だからだ。
そんな見せかけ上すら整えられなくなっている状況は、ペレセ国の軍勢は軍として足りえなくなりつつあることをうかがわせる。
俺が大丈夫かなと心配になっていると、先導してくれていた兵士が立ち止まり、俺が乗る馬も倣って止まった。
すぐ近くに、二十人が入れそうな巨大な天幕がある。
「こちらが当陣営の指揮所になります。この馬は、厩舎に繋いでおきますので」
「頼みます」
俺は兵士の手を借りずに馬から飛び降りると、巨大天幕の出入口にある覆いを開けて中に入った。
天幕の中には大机が一つあり、その周りに年嵩のある人物たちが立ち並んでいた。全ての人が鎧甲冑姿なので、ペレセ国の将軍階級の人たちだとすぐに予想がついた。
そんな人たちの中で、唯一椅子に腰かけている人がいる。
この人も鎧甲冑姿だけど、頭の上には王冠があった。王冠は豪奢なものではなく、飾りも宝石も最小限のもの。たぶん、普段のものだと大きいし重たいので、戦争用に作った略式のものなんじゃないだろうか。
そう推察して、天幕の中にいる人たちの全ての視線が自分に向いていることに、遅まきながらに気付いた。
そういえば、名乗っていなかったな。
「名乗りが送れたこと、ご無礼を。僕はミリモス・ノネッテ。ノネッテ国が供した援軍の、最高指揮官です。お見知りおきを」
自己紹介をすると、将軍級の人たちが嫌そうな顔をした。
一方で、王らしき人物は破顔する。
「おおー! 名にノネッテを持つということは、精強なる兵士を貸してくれたノネッテ国の王子か! この戦において、主が一番の最高指揮権者。我――ノネッテ国が国主、ヴィリーズン・デ・ペレセの横に立つを許す」
俺は天幕内をもう一度見回し、将軍級の人たちがひしめいているのを確認する。
「他の皆様に場所を開けて貰うのも悪いので、この場で」
そう提案を断ると、将軍級の人たちから非難が飛んできた。
「なんと。王の言葉に反するとは」
「ノネッテ国の兵士が前線で活躍しているからと、調子に乗るなよ」
聞きようによっては、王に侍るしか能がないイエスマンの言葉のよう。
でも、俺が一国の王の言葉に否と言った対応なので、臣下としては間違いではないんだっけか。
礼法をちゃんと学んでいない俺が悪いのだけど、現状を考えると、どうでもいいことだとも言える。
「口が過ぎた部分は失礼を。なにせ、前線に兵を待たせているので、少しでも早く戻りたいと気が急いているのです」
婉曲的に『さっさと用事を済ませたい』と語ってみた。
だけど、相手側には別の意味で捉えられてしまったようで。
「はっはっは! 流石は歴戦の英雄と帝国が注目している、ノネッテ国のミリモス王子。戦場こそが、我が住処とはな!」
大笑いするペレセ国のヴィリーズン王に、将軍級の人たちは渋い顔。
王の度量が広そうなので、俺はさっさと話を進めることにした。
「早速で申し訳ありませんが、我が軍は援軍の第二陣の到着を待った後、反攻作戦に打って出る予定です」
俺の唐突な宣言に、将軍級の人たちは厳しい顔つきをする。
「反攻作戦をすると語る意気込みは買うが、その第二陣は何名くるのだ?」
「五百名です。第一陣と合わせて、ノネッテ国の軍は約千人となります」
「たった五百人増えるだけで、ペケェノ国とカヴァロ国の連合軍に打ち勝てると考えるなど、兵法を知らぬな」
確かに、兵法上は人数が多い方が優勢であり、寡兵が大軍に勝つことは稀有だったりする。
いままで負け続けている側が、五百人の兵士を新たに得たとしても、普通なら勝てると意気込むことはできない。
将軍級の人たちが馬鹿にするように、くすくすと笑い出すことは、無理のない反応と言えた。
でも人数の過多が勝利を決するのは、お互いに同じ程度の装備を持っていたらの場合でもある。
仮に、弾が尽きない機関銃を持つ五百人と、鍬や鎌で武装した一万人がいたとしたら、どっちが有利だろうか。
兵法にあるように、人数が多い方が有利とするなら、一万人の方だろう。
しかし現実として考えるなら、機関銃を持つ五百人が一万人を虐殺する未来図の方が想像しやすいのではないだろうか。
いやまあ、いまの例が適用できるほどに、ノネッテ国の技術力がペケェノ国とカヴァロ国に勝っているとまでは言い切れないんだけどね。
俺はそんな内面の考えを表情に出さないように気を付けながら、批判してきた将軍級の人に目を向ける。
「心配しないでください。反攻作戦のときペレセ国から兵士を出してくれ、と言いたいわけではないので。むしろ逆に、作戦に参加しないでいただきたい」
「なんと! ノネッテ国の軍勢のみで、敵と戦うと言っておられるのか!?」
「その通りです。ペレセ国の皆さんは、砦や城が落ちないよう、引きこもっていていただきたいですね」
現状ではこれが最も確実な一手だと、俺は信じての提案だった。
しかし、なぜか怒鳴られてしまう。
「貴殿が自国の兵士を連れて自殺しようと止める筋はないが、ノネッテ国の軍勢が抜けた穴を、なにで塞ぐというのだ!」
「そうだ! 前線にできた空白を攻められでもしたら、一気に崩壊する!」
一理ある意見ではあるけど、こちらをあてにし過ぎじゃないだろうか。
それに、俺は彼らの意見に従う理由がない。
「援軍を出すと決定する際に、イニシアラ王太子が約束してくだいましたが、ここでは僕が一番の指揮権者だ。貴方がたに、僕を指図する権利はないんですが?」
「なんと、横暴な!」
「横暴がお望みなら、そちらの軍勢には手を付けないとの配慮は要りませんね。では、全軍で一転攻勢に打って出ようじゃないですか。楽しい戦争になりそうですね」
冗談で横暴な度合いが高い提案をしてみると、将軍級の人たちは口を戦慄かせた後に、助けを求めてヴィリーズン王へ顔を向けた。
「ミリモス王子、そう皆を苛めんでくれ。ここまで負け続けたことで、慎重になっておるのだ」
「慎重なのはいいことですけど、このままだと戦線がずるずると後退し続けて、ペレセ国が地図から消え失せる未来がきますよ」
俺が断定的に告げると、ヴィリーズン王は周囲を見回してから、内心の辛さを吐き出すような声を放つ。
「攻勢は、ペレセ国の兵士は使わぬのだな?」
「ノネッテ国の兵士のみで行います。ペレセ国の兵士たちは、今まで通りに砦や城を守ってくれればいいです」
「……分かった。好きにせよ」
「王よ! それはあまりにも!」
「仕方あるまい。仮にも、最高指揮権者からの提案なのだぞ」
『仮にも』ってあたりに、ヴィリーズン王の俺への評価が透けて見える気がした。
まあいいさ。独自行動を取るための筋は通して、無事に作戦実行の許可は下りたんだから。
「では、準備もありますので、僕は失礼させていただきますね」
ニッコリと笑ってから、天幕の出入口の覆いをめくり上げて外へ――出る直前で、俺は天幕の中に居並ぶ面々に振り返った。
「念押ししますけど、援軍を出す際の約束の通りに、我が軍が入手した全ての物は我々のものですからね。悪しからず」
「分かっておる。精々、戦果を稼ぐといい」
ヴィリーズン王の言葉に送られて、俺は厩舎へ自分の馬を取りに行くことにしたのだった。