十七話 決戦・後編
二千人ほどの敵兵が、扉が壊れて現れた砦の出入口に向かって、一斉になだれ込んでくる。
それを阻止せんと、ノネッテの兵たちが奮闘する。
「突っ込め! 中に押し入れ!」
地上からはメンダシウム国の指揮官の大声が放たれ、農民兵たちが粗末な防具と長槍を手に命令に従って走る。
走る農民兵たちの顔を見たけど、あれは思考停止している表情だ。いっそ、現実逃避をしていると言い換えてもいい。
「連中は出入口に殺到してくるんだ! 来る場所がわかるのだから、追い返すこともできる! 上からは熱した油と湯を掛けろ、少しでも行き足を鈍らせるんだ!」
「積んだ土嚢で、連中の脚は確実に止まる! 槍で突き殺し、死体を積み上げて、更なる防備にしてやれ!」
砦の上と内側からは、ノネッテ国の隊長たちの冷静な状況判断が伝えられ、兵士たちが堅実な動きで実行していく。
誰もかれもが考えながら、砦を落とされまいと奮闘する準備を整えている。
そんな両陣営が、とうとう実際に衝突した。
まずはメンダシウム国の農民兵たちが出入口に殺到し、壊れた扉を踏み越えて中に入ろうとしてくる。
そこで俺を始め、砦の外壁の上部に展開している部隊が、連中に攻撃を浴びせかける。
「油だ! 油をもっとかけろ! 火傷して暴れてくれれば、侵攻の邪魔をしてくれる! 火を焚け、薪をくべろ! 油を鍋に継げ! 油が燃えようと構わん! いっそ燃えた油をかけてやれ!」
「出入口に石を落とせ! 少しでも足場を悪くして、敵の侵入を阻害させろ! 出来るなら、頭をかち割ってやれ!」
「矢を放て! 魔法を撃て! しかし身を乗り出すでないぞ! 下から打ち上げられた矢で落とされる! ミリモス様も同じ要領で、魔法で敵兵を吹き飛ばすのですぞ」」
出入り口に集まる敵兵に向けて、兵士たちが攻撃する。
煙が上がるほど温められた油をかけられて火傷した敵兵が、悲鳴を上げて地面の上でのたうち回り、味方であるはずの後続に踏みつぶされる。
上から降ってきた岩や矢の直撃を食らって倒れるものもまた、後続の踏み付けの餌食となる。
それほどに後から後から、敵兵が砦に突っ込んでくる。
「火種が火に、火は炎に、炎を球形へ。烈火の殻を纏い、内に破裂の風を孕み、飛べよ火球。エウスタウ・スペレリカ!」
俺の帝国製の杖で威力を増した火球の魔法で、出入口に殺到する敵兵を吹っ飛ばしてやった。ノネッテ国の片手で数え切れるほど少ない魔法兵たちも、通常の火球を放つ。
魔法の威力で敵兵が吹き散らされて、一瞬だけ出入口の地面が見えた。しかし、すぐ人波の向こうに消えて見えなくなってしまう。
そんな風に敵勢力の状況を詳しく見ていると、唐突に襟首を掴まれ、後ろに引き倒された。アレクテムの仕業だった。
「ミリモス様! 身を乗りだし過ぎですぞ!」
アレクテムは、普段の余裕ある振る舞いはなりを潜め、戦鬼のような形相で言ってくる。
その迫力に、俺は口がきけなくなり、頷きで応えることしかできない。
俺が無事と知って、アレクテムはすぐに味方兵たちの指示に回る。
「砦の内側で展開する兵たちよ、来たぞ! お主らも奮闘するんじゃぞ!」
「「「うおおおおおおお!」」」
アレクテムの号令の直後に俺が立ち上がって砦の内側に視線を向けると、門の内側を進んできた敵兵が、土嚢が積み上げられて迷路状になった砦の内側に入ってきた。
土嚢には人が通れない隙間がいくつも設けてあり、それぞれの裏には長槍を手にした兵士たちが待ち構えていた。
「突け! 突いたら、引け! そしてまた突け!」
「「うらああああああ!」」
土嚢の隙間から飛び出るように長槍が突き出され、入ってきた敵兵に突き刺さる。敵の農民兵の防具は薄い革鎧。槍先が青銅製であろうと貫ける。
槍が飛び出してくる罠がある通路のような、土嚢の道。
ここを敵兵は突き進まなければいけない。なにせ止まろうとしても、押し寄せてきた後続によって背中を押されてしまって止まれないのだから。
そして進めば進んだだけ、繰り出される槍で敵兵は傷ついていく。
もちろん敵兵の中にだって賢い者がいて、塹壕をよじ登ろうとする者や、土嚢を崩そうと試みる者もいる。
だが、登ってきた敵兵は槍兵たちの後ろに数人だけいる弓兵の餌食となり、土嚢を崩そうとしていた者は味方が生み出す人の流れに逆らいきれずに転倒する。
槍で貫かれて倒れた敵兵は足場の邪魔者に変わり、後続の農民兵の行軍が遅くなる原因となる。その遅くなった分だけ、槍が敵兵を貫けるチャンスが増える。
そんな必殺の陣形によって、数秒ごとに人の命がダース単位で消えていく。
その地獄の道を、敵兵の先頭が運よく踏破してみせた。
だが道の出口で待っているのは、ノネッテ国の熟練兵の中でも練達した五十人が待ち構える槍衾だ。
「くそおおお!」
農民兵が破れかぶれに特攻するが、一斉に真っ直ぐに突き出された槍の一本に胸を貫かれて死ぬ。号令もなく動いた槍の動作は、まるで生き物のように滑らかで統一的だった。
そんな戦場の様子を衝撃と共に見ていた俺は、ここでハッと我に返った。
「のんびりと見ている場合じゃなかった!」
俺は杖を握り直し、砦の内側ではなく外側の出入口に殺到する敵兵に向かって、杖の先を向ける。
「火種が火に、火は炎に、炎を球形へ。烈火の殻を纏い、内に破裂の風を孕み、飛べよ火球。エウスタウ・スペレリカ!」
魔法の火球が出現し、敵兵を爆炎と爆風で吹き散らす。着弾地点にいた数人は即死し、吹き飛ばされた敵兵も怪我を負っている。
俺以外の魔法兵たちも、火球を敵兵が密集する場所へ放ち、少なくない被害を与えられている。
しかし、こちらは四百人で、敵側は二千人もいる。
その人数差によってか、敵の圧力が緩まず、一向に有利になっている気がしない。
そしてとうとう、こちらにも死傷者がでてしまう事態が起こった。
あまりの人の圧力に、熱くなった兵士が外壁の外へ身を乗りだして矢を射ろうとして、逆に敵兵に射殺されてしまったのだ。
「ぐあーッ!」
「矢だ! 下から矢が飛んできたぞ! 身を引け!」
衛生兵が矢がささった兵に近寄るが、顔面に突き刺さっている姿を見てから喉元に指を振れ、そして静かに首を横に振った。
あっけない死に方だった。
味方の死に、兵士たちに動揺が走る。
その動揺が砦の内側にも伝わったのか、こちらでも味方のものらしき悲鳴が上がった。
「土嚢から降りやが――ぐえああああああ!」
「ここだ! ここから乗り越え――おぐううううッ」
「させるか、ボケが!」
やってやり返しての声を聴きながら、俺は帝国製の杖を敵陣へと向けて、魔法を唱える。
「火種が火に、火は炎に、炎を球形へ。烈火の殻を纏い、内に破裂の風を孕み、飛べよ火球。エウスタウ・スペレリカ!」
俺は発車された火球の成果を見届けないままに、大声で味方を鼓舞する。
「やるべきことをやるんだ! 手を止めた分だけ、味方が死ぬ! 手を動かした分だけ、敵は死ぬぞ!」
正直、大したことも上手いことも言っていないのだが、ノネッテ国の兵士たちは奮起してくれた。
「うおおおおおおおお! 殺せええ!」
「オレらの国から出ていけ、平原のムジナが!」
砦の内側の兵士たちが武器を手に奮闘し、外壁上の味方も矢を放ち落とせるものを落としていく。
俺も魔法を放ち、魔法が放てないほど魔力が少なくなれば、神聖術という疲れ知らずになれる裏技で石や矢の補充作業に走り回る。
誰もが必死に、時間経過を実感できない状態で、敵兵を殺し尽くす兵器のように戦った。
そしてどれほどの数の敵を倒しただろうか、どれほどの味方が傷ついた頃だろうか、戦場に一つの音が鳴った。
――ふわーーーーん。ふわーーーーん。
気の抜けたラッパの音のような、濁音のない法螺貝の音のような、そんな不思議な音色。
この音が出た瞬間、ひたすらに前に出続けていた農民兵たちが、くるりと背中を向けた。そして一目散に逃げていく。
「さっきの音、敵側の撤退の合図か……」
敵が引いていく様子を見て、俺は神聖術を止めると、地面に座り込んだ。初めての戦争が終わった感慨と、精神的な疲労感で立ち上がれない。
そんな風にだらしなく座り込んでいる俺とは対照的に、砦で奮闘し続けた生き残りの熟練兵たちは、厳しい顔つきのままで引き上げる敵兵を睨みつけている。まるで敵の撤退は偽装で、再び襲い掛かってくるのだと考えているかのようだ。
俺も動こうとしない体に心で喝を入れて立ち上がり、兵士たちの様子を真似する。
お飾りと言えど、俺は元帥だ。だらしなく座り続けて、兵士たちに失笑されるような存在でいてはいけない。
そうやって意地で体勢を保持していると、アレクテムが近寄ってきて頭を撫でてきた。
「ミリモス様も、初陣で死線をくぐったことで一端の男の表情となりましたな。今後の成長が、爺は楽しみで仕方がありませんぞ」
「冗談でしょ。こんなに死にそうなこと、二度とやりたくないよ。いつか戦わなきゃいけない状況になったとしても、もっと楽に勝てるように準備や筋道をつけてから戦うようにするし」
俺が懲り懲りだと態度で示すと、アレクテムが苦笑する。
「幸いなことに、メンダシウム国の軍勢は撃退しましたからな。これで当面は大人しくなるでしょうな」
「一度退いて、軍勢を整えてから、再度また来るかもよ?」
「いやいや。連中は前のめりに過ぎました。おおよそ半数の人員を失って大敗した後に、再び進攻しようなど考えはせんでしょう。それにワシらが食料を焼き払った問題もありますからな」
アレクテムの考えを聞いていて、俺は驚いたことがあった。
「……敵兵の半数って、千人ぐらい殺せたってこと?」
俺は戦闘中のとき必至に奔走していたので、途中からはどんな戦況かを気にしている余裕が消えていた。
味方がこれほどの戦果を挙げているとは思わなかったのだ。
「その通りですぞ。こちらの死人は百に満たぬほど。そして砦を守り切りましたのでな、大勝ですぞ」
こちらの被害に対して、相手におよそ十倍の損耗を与えた。そして保守する目標である砦は守り切った。
数の上でも、作戦目標でも、ノネッテ国の大戦果だろう。
でも――
「およそ百人『も』死んだのか」
――今は実感がわかないが、砦を片付ける最中に死んだ兵士の顔を見ることだろう。
そのとき、俺は人の死を受け入れられるだろうか。
そして無暗な憎しみを、メンダシウム国に抱かずにすむだろうか。
「……頭と体が疲れているときに考えるべきことじゃないな」
俺は弱めに神聖術を行使し、体力と気力を底上げした。
神聖術で精神的な防御を施さないと、砦の片づけは出来ないと直感して。