閑話 負け戦
ロッチャ地域から派遣された先遣部隊は、前線であった野戦砦からの撤退中だった。
「物資は残らず運び出せ! その後で荷馬車を後方へと急がせろ! ペレセ国の兵士は、先に行かせてやれ!」
部隊を指揮する千人長が声を張り上げる。
撤退ともなれば、我先にと逃げだすものだが、ロッチャの先遣部隊は整然とした動きをしている。その姿は、負け戦で撤退中というよりかは、作戦計画上の後進中と思わせるほど組織だっている。
一方でペレセ国の兵士はというと、敗残兵もかくやという慌てた有り様で、武器を放り出して我先にと逃げだしている。逃げることに意識が傾いているからか、食料や水を持つことすら忘れている様子だった。
ロッチャの先遣部隊にいる兵士の一人が、そうして捨てられた武器を拾い上げて、荷馬車の空きに突っ込みながら、イライラとした様子で愚痴り出す。
「まったく。自分の国を守るっていう気概を見せて欲しいもんだ」
「言うな。むしろ、下手に残ろうとされた方が、やりにくい」
「厄介なのは、無能なのに働きたがる、害悪な味方ってわけだな」
ロッチャの兵士たちは苦笑いし合いながら、後方への撤退を開始する。
「殿は、ミリモス王子が手配してくれた、魔導具で装備を固めた百人で行う。その他の面々は、馬車を押して後方へ急ぐ」
「部隊長。もう何度もやってんで、役割は分かってまさー」
「そうそう。この野城にくるまで、都合四度は同じことやってるからな」
兵士の減らず口に、千人長は知らずに入っていた肩の力を抜いた。
「頼もしいことこの上ないが、下手に戦果に逸るなと忠告はさせてくれ。ここで獅子奮迅の活躍をしたとしても、敵中に取り残されるだけだからな」
兵士から笑い声が上がり、それぞれの役割に従って行動を開始する。
殿部隊は、野戦城を敵側に活用されないためと、敵の足止めを狙って、城に火を付ける準備を始める。
撤退部隊は、馬の手綱を引き、満載にされた荷馬車を後ろから押して、少しでも早く後方へと移動するように行動する。敵の襲撃を予想して、周囲警戒を行う人員も配置する。
その周辺警戒の人員の中で、千人長と腹心の部下が顔を寄せ合うようにして、小声で会話する。
「このままだと、この戦いは負け戦になるな」
「我々の戦果としては勝っているのに、戦線自体は下がり続けていますからね」
「不思議な状況だよな。局所的には勝っているのに、全体では負けているとはな」
「ペケェノ国とカヴァロ国の連中の侵攻が早いと褒めればいいのやら、ペレセ国の兵士が腰抜けぞろいだと嘆けばいいのやら、ですね」
会話を続けながら、二人は周囲の景色に目を向ける。
そこに広がっているのは、逃げる兵士たちに踏み荒らされた、小さい芽が出たばかりの畑だった。
土がむき出しの街道の幅が狭いため、我先にと逃げようとしたペレセ国の兵士が、道を外れて進んだ結果に違いなかった。
「城の物資もこうして運び出しているため、得てして、敵側への焦土戦術になってはいるのだが」
「この後の戦いで土地を取り戻しても、農民たちの指示が得られるかは疑問でしょうね」
人の目はどこにでもあるもの。
現在もどこかで、農民たちは逃げ出したペレセ国の兵士を見ているだろう。そして、見捨てられたと感じ、畑を踏み荒らされた怒りを抱き、やがて恨みに思うことだろう。
それこそ、敵側に寝返るぐらいのことはするかもしれない。
だが、敵に味方したところで、いい結果が得られるかは別問題だ。
「ペケェノ国とカヴァロ国の連中は、我々とは違って、兵糧は現地調達のようだからな」
「ここまでの撤退で失った土地から流れてきた噂だと、少ない蓄えすらも残さずに召し上げられているらしですね」
「そんな真似をしたら、後に残るは、ペレセ国、ペケェノ国、カヴァロ国を恨む、飢えた農民だけなのにな。この三国のどれかが支配をしようとしても、反発は必至だ」
「現在の戦いに騎士国は出張って来てませんけど、仮に農民が反乱を起こしたら、義は農民にありと参戦してくるかもしれませんね」
「そうなったらなったで、再び戦争が起こるだけだがな」
二人は「なんのために戦っているのやら」と、世の無常を嘆いた。
「戦場になった土地を楽に支配できる一番の勢力が、我々のノネッテ国勢というのも、皮肉が効いているがな」
「我々は外様も良いところ。位置的には傭兵のようなものですから、本来なら、支配した土地の民が言うことを聞かない方が自然なんですけどね」
「自分で糧秣を工面して民の食い扶持を奪わず、殿軍で敵と戦う姿を見せているため、民の感情は好意的だからな」
二人が会話をしている最中に、撤退中の馬車列の動きが鈍くなった。
それと同時に、列の前方から千人長を呼ぶ声がやってくる。
「隊長! 付近の村の長とお連れの方が!」
呼びかけを聞いて、千人長は苦悩する表情を一瞬見せたが、すぐに部隊を預かる指揮官の顔に戻った。
千人長が前方に移動すると、馬車列に割って入ろうとする人の姿と、それを押し止める兵士の姿が見えてきた。
「これは、なんの騒ぎか!」
千人長が一喝すると、双方が動きを止める。
その後で、先に動き出したのは、兵士の方だった。
「ハッ! 馬車に飛び込もうとする人たちを、保護していたであります!」
「任務ご苦労。礼を言おう」
千人長は厳めしい顔のまま、今度は村人らしき人たちに目を向ける。
彼ら彼女らは、一見して丸腰であり、身動きは兵士らしさのない素人のもので、敵の間者や奇襲部隊という気配は皆無だった。
「自分は、この部隊を預かっている者だ。我らに何用かあるなら、代表して伺うが?」
千人長が尋ねると、村人らしき人たちの中から一番年嵩のある五十手前ぐらいの男性が地面に伏して拝み始めた。
「お願いでございます! 我らを見捨てないでいただけないでございましょうか!」
男性が懇願すると、同調するように、その他の人たちも地面に跪く。
その姿に、千人長は鼻白んだ。
「勘違いをなさっておいでだ。我々はペレセ国の兵士ではないぞ」
「存じております。ノネッテ国から派遣されてきた方々であることは」
この返しに、千人長は『いままで放棄してきた戦場の近くにある村々から、自分たちの話が伝わったのだろう』と考えた。
「それを知っているのなら、我々が言いたいことも知っているな。ペレセ国の民を、他国の我々が勝手に扱うことはできないのだ。内政干渉になってしまうからな」
「知っておりますが、そこを曲げてお願いいたします!」
このまま行くと、ペケェノ国かカヴァロ国の軍に、村の食料が持って行かれた結果、飢え死にしてしまう。
そんな未来を迎えないためには、ノネッテ国の兵士が残って、敵軍を撃退してもらわないといけない。
その事実は分かっているが、千人長とて部下を預かっている手前、職務に合わない勝手な真似はできなかった。
「申し訳ないが、どう懇願されようと、無理なものは無理なのだ」
強い口調で拒絶すると、村人たちに失望が広がった。
千人長とて、人の子である。そんな顔を間近でされてしまうと、言葉だけでも慰めたくなってしまうのが人情だった。
「これは秘密のことなのだが――」
千人長が独り言のように呟くと、村人たちの顔が期待するように上がった。
「――近々、ノネッテ国から次の援軍が五百人やってくる。それから間を置かず、さらに次の援軍がくるだろう。その後、ペレセ国とノネッテ国の間を繋ぐ道の改修が終われば、一気に数千の兵士がさらにやってくる。ここまできたら、あとはペレセ国とカヴァロ国を押し返すだけとなるだろうな」
「で、でも、そのときには……」
「あー、これは単なる予想だがな。我らの主であるミリモス王子は人道的な方だ。友好を結んだ国と支配した土地の民が飢えていると知れば、食料を援助してくださるはずだ」
「ということは!」
「ああ。我らが再びこの土地に舞い戻ってくるまで、泥を啜っても生き延びるといい。ペケェノ国とカヴァロ国を追い払った後には、飢え死ぬ心配はいらなくなるはずだ」
千人長の言葉に安心したのか、村人たちは涙を浮かべながら、感謝の言葉を残して去っていった。
そこに、腹心の部下が近づいてきた。
「いいんですか、隊長。あんな希望を抱かせるようなこと言って。それに、もうすぐノネッテ国から援軍がくるってこと、秘密事項だったんはずじゃないですか?」
「いいんだ。ノネッテ国から援軍が来ると知って、ペケェノ国とカヴァロ国の動きに変化が現れたら、それはそれでノネッテ国に有利に働く」
「そうなんですか?」
「ああ。こちらの援軍を警戒して、敵側の出足が鈍れば良し。逆に侵攻を速めたとしても、失うのはペレセ国の土地だ。後で取り返せばいいだけのこと」
「他人事――いや、他『国』事ですか」
そんな言い合いをした後、撤退を続けて、次の戦線の一部となる砦へと向かっていった。
砦へとノネッテ国の先遣隊が入った。
物資運搬の部隊は全員無事だったが、流石に殿に残した兵士は無傷とはいかなかった。それでも失った人数は十人に収まっているため、数の上では軽微と言えた。
問題は、先に逃げたはずのペレセ国の兵士の姿が、砦の中に少ないことだった。
「逃亡したな」
「これまでに何度もあったことです。さらに後方の城や砦に逃げ込んでいるならいいんですけどね」
「付近の村を占拠していたら、討伐部隊を出さないといけないからなぁ……」
面倒事はゴメンだと千人長が呟いたところで、部下の悲鳴に似た声が聞こえてきた。
「うお! 驚いた!」
「なんで、こんなところにいるんですか!」
騒がしい様子に、千人長は『また村人が来たのか』と頭を抱えそうになりながら、騒ぎの元へと向かった。
「騒いでないで荷解きをしろ! ノネッテ国からの援軍がくるんだ。これからは後ろに下がる心配はしなくてよくなるんだからな!」
命令を下して部下たちを散らせたとこで、残った人物が一人。
その顔を見て、千人長もまた驚いた声を上げることになる。
「ミリモス王子! ロッチャ地域で、物資や人員の差配をしているはずでは!?」
「そう言わないでくれよ。ペレセ国の国王が、前線指揮に乗り出してくるって情報を受けて、慌ててやってきたんだからさ」
相変わらず神出鬼没なミリモス王子の登場だったが、千人長は衝撃を受けたのは別の部分だった。
「ペレセ国の王が、指揮を執るですと?」
「ここまで来る道中で、豪華な鎧を着た人物が乗った馬車があったからね。間違いない情報だよ」
「つまりミリモス王子は」
「ペレセ国の王に、ノネッテ国が出した兵士の指揮権を渡さないため、一足先にここにやってきたってわけ。同格の命令順位者がいる場合、先任の方が立場が上だからね」
自慢げに語るミリモス王子のズレた常識に、千人長はとうとう頭痛を堪えらえなかったのだった。