百七十三話 話し合い
帝国軍との会談の再開は、日が空けてからになった。
キャレリアラ中尉は砦の前にやってきた。周りにいる護衛は昨日と同じ――いや、密書を焼き捨てた人はいないみたいだな。
「ミリモス王子はおられるか!」
名指しで呼ばれたからにはいくしかない。
俺は昨日と同じく、外壁の上から外へと飛び出し、神聖術で強化した体で着地した。
俺はキャレリアラ中尉に近づきながら、こちらから会話をきり出した。
「キャレリアラ中尉。軍事演習を求めた書状が偽物であることは、昨日伝えましたよね。撤退なさらないので?」
「そのことについてだが、こちらにも譲れない部分があることを表明したく」
どういうことかと首を傾げると、キャレリアラ中尉は説明を続ける。
「先の書状は『ミリモス王子が言うからには』偽物なのであろう。我らの行動は、間違った判断の下で行われていることも、間違いなかろう」
「そうわかっているのに、撤退しない理由は?」
「書状が偽りであろうと、我は『ノネッテ国と軍事演習をせよ』と命令をすでに受けている。それを果たさずに帰ることは、命令違反となる」
無茶苦茶な言い分だなと思う。
だけど深読みすると、なんとなくキャレリアラ中尉の立場の予想がついた。
「形だけでも、軍事演習を行いたいわけですね。当初の予定にあったノネッテ国に入ることはせずに」
「こちらの面目も立つうえ、両国の間に要らぬ波を立てずに済む。そして我が軍との軍事演習は、貴国にとって得難い体験となること疑いないのでは?」
キャレリアラ中尉の言い分は真っ当だ。
そして、帝国の軍隊を国内に入れずにすむことは、フンセロイアと敵対する派閥の思惑を潰すことにもつながる。
拒否する理由は乏しい。
「分かりました。ですが万が一の事態を想定し、我が国の兵士と帝国軍の兵士とが直接戦うような演習は止めるべきでしょう」
演習で怪我をした報復だと口実をつけて、ノネッテ国を攻められてはたまらない。
俺がそう警戒して提案すると、キャレリアラ中尉は『もっともだ』とばかりに頷く。しかし、彼の周囲にいる護衛の中の数人が、舌打ちしそうなのを止めたような、苦い顔をチラリと見せていた。
どうやらフンセロイアと敵対する派閥の息がかかった人物が、まだまだ居るらしい。
ここで排除してもいいのだけど――下手に遠ざけると暴走する可能性もあるし、いまのままでいいか。
「では、ミリモス王子。どのような演習が良いと考えますかな?」
おっと、キャレリアラ中尉に意識を戻しておかないとな。
「そうですね。こちらとして一番良いのは、帝国軍の皆さんの魔法の腕前を見せていただくことでしょうか。例えば――」
俺は言葉を切り、周囲を見回して、砦の外壁を指す。
「――あの壁に向かって、攻撃魔法や魔導具による攻撃を見せていただくとかですね」
俺の提案が意外だったのか、キャレリアラ中尉だけでなく、敵対派閥の息がかかっていると目した護衛たちも疑問顔になっていた。
「ミリモス王子自ら、あの砦を落とすことをお望みか?」
「まさか。演習には標的が必要でしょう。この場所で標的に相応しいものと考えると、あの壁しかないというだけです」
言外に、『砦を攻撃したことを口実に、騎士国に救援を求める真似はしない』と告げる。
キャレリアラ中尉は小難しい顔になり、腕組みまでする。
「我らが魔法の腕前を披露するかわりに、ノネッテ国は標的を用意することで、同条件の演習としたいというわけですかな」
「そういうことです。そちらは命令通りに演習ができ、こちらは帝国の脅威を兵たちに真に理解させることができる。悪い取引ではないですよね」
ここら辺が落としどころではと告げると、キャレリアラ中尉は了承の頷きを行った。
「分かった。その条件でよかろう。確認するが、あの壁は壊してしまっても構わぬのだな?」
「構いません。むしろ、壊してくれた方が、兵士たちの気持ちを引き締めることに繋がると思いますので」
俺の自論として、帝国軍を相手に籠城戦は無意味。帝国軍相手では無用の長物と化す。
しかしノネッテ国の兵士は、心血注いで作り上げた外壁のことを、幾度となく侵攻を押し止めた実績があると自負している節がある。
ここで、その外壁は帝国軍相手では無用の長物だと分からせておくことは、壁の修復代を考えても無駄じゃないはずだ。
一方で、帝国軍側にも利点がある。
帝国の国是は領土拡大。そして拡大方法は、帝国の巨大な軍事力と経済力を軸にしている。
この演習でノネッテ国に帝国軍の脅威を見せつけて、ノネッテ国の民に帝国と争うことは愚かなことだと信じ込ませることができたら、新たな領地獲得への足掛かりにできる。
お互いに利点がある話なので、キャレリアラ中尉が拒否する理由がなかった。
「では、あの壁を破壊してご覧に入れよう」
「できれば、多種多様な方法で壊してくれることを期待します」
これで演習についての話はついた。あとは開催時期と詳しい取り決めを行おう。
そう俺が考えていると、キャレリアラ中尉の護衛の一人が挙手する。その彼は、先ほどフンセロイアと敵対する派閥の一味と当たりをつけた人たち、その一人だった。
「ミリモス王子に尋ねたいことがあります!」
「おい! 控えぬか!」
キャレリアラ中尉の一喝。だが、件の護衛の男性は手を下ろさない。
俺は、彼が上官の命令に反しても聞きたい内容に興味がわいた。
「構いませんよ、キャレリアラ中尉。それで、聞きたいこととは?」
「ありがとうございます! お尋ねしたいことは、ただ一点! スピスク・ノメラツペイク様の現状をお聞かせくださらればと!」
スピスク・ノメラツペイク?
聞き慣れない名前に誰だと首を傾げかけて、サルカジモの妻の名前だと思い出すことができた。
そういえば帝国軍が来る前、チョレックス王からきた書簡では、スピスクのことについても書かれていたな。
「確か――サルカジモ兄上が背信の疑いを持たれ、そのことについて聞こうとしたら、王城の一室に籠城して出てこなくなったはず」
「そんな! スピスク様、おいたわしい!」
大げさに嘆く護衛に、俺が冷めた半目を向けていると、別の護衛たちまでが騒ぎ出した。
「スピスク様ほどのお優しい方が、我が国とノネッテ国を争わせるような企みをするとは思えません!」
「何かの間違いです! 即刻、解放してくださるよう要望したく!」
必死な様子を見て、俺は彼らの思惑を見抜いた。
本来なら、帝国軍はこの砦を通ってノネッテ国内に入り、何らかの理由をつけて戦争状態に移行するはずだった。その手筈の中で、作戦の立役者となったスピスクをノネッテ国の王城から救出することも入っていたんだろう。
しかし、俺とキャレリアラ中尉の話し合いで、帝国軍はノネッテ国の内側には入らないことになった。
そうなると、このままではスピスクを救出することはできない。
このまま同派閥の要人を見捨てることになったら、この護衛たちの立身出世の道どころか、生命さえも危うくなるに違いない。
もしかしたら、スピスクが捕まって帝国の立場を悪くするような情報を、ノネッテ国に漏らすかもしれないことも危惧しているかもな。
俺は素早く思考を回し、ここでどうすることが、一番自分の利益に繋がるかを導き出していく。
「そうですね――スピスク義姉上のことに関しては、帝国の一等執政官であるフンセロイア殿と話し合う必要があると考えています」
フンセロイアの名前を出すと、護衛たちが露骨なまでに嫌そうな顔をする。
それもそうだろう。敵対派閥からみたら、自分たちが立てた作戦が失敗し、その尻拭いを怨敵にお願いするようなものなのだから。
「ど、どうしてフンセロイア殿に?」
護衛の一人が脂汗を浮かべながらした質問に、俺はニッコリと笑顔で答える。
「帝国の中で、一番に我が国と繋がりが深い方だからです。むしろ、あの方しか帝国との窓口を知りませんから」
言葉にはしないけど、フンセロイアに確実に売れる『敵対勢力の弱み』という商品を入手する絶好の機会だ。逃す手はない。
俺が発言は翻さないと態度で示すと、護衛たちはどう言い縋ろうと悩む様子に変わる。
ここでキャレリアラ中尉が割って入ってきた。
「止めぬか! 我が国から嫁いだ貴族の姫を慮る気持ちは分かるが、今は軍事の場であり、我らは兵士だ。その手の話は、政治屋どもの領分であろう!」
キャレリアラ中尉の一喝で、護衛たちは状況振りと悟ったようで引きさがった。しかし、どこか無理にでも砦を突破しようと考えている節が見受けられた。
彼らの気持ちを考えて、俺は安心できる材料を一つ提供することにした。
「そこまで心配しなくても、逃げられないよう兵に包囲はさせてはいますが、ちゃんと食料と水を籠城する部屋にお届けして、スピスク義姉上は健康に過ごされているそうですよ」
直近でスピスクの身に危機が訪れることはないと理解したのだろう、護衛たちの気勢が収まりを見せた。
これで、無茶な真似はしなくなっただろう。
「それでは、キャレリアラ中尉。演習の内容を詰めることにしましょう」
「了解した。だが、秘中の秘までは演習で開示はできかねるぞ」
「構いません。むしろ開示できる内容ですら、どれほどの脅威なのかを、我が国の兵士に教えて欲しいところですので」
そうして俺とキャレリアラ中尉は、砦の外壁を標的にした軍事演習の内容について、あれこれと話し合ったのだった。
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