百七十一話 渓谷の砦にて
俺はメンダシウム国との戦争で使った、渓谷に作られた砦に再びやってきた。
早速、兵士たちを集めて、やってくる帝国軍の対応を話し合うことにした。
そして問題に直面した。
「砦に居る兵士の数は五十人だけか……」
砦に居る人たちの名簿を見せて貰ったのだけど、きっちり五十人分の名前しかなかった。
俺が出した愚痴を聞いて、名簿を出してきた兵士――センティスが苦笑いを向けてきた。
「ミモ坊よ。いきなり来て、それが感想かよ。砦の人数減らしたのは、当のお前だろうによ」
「俺がノネッテ国の元帥だったとき、対帝国軍の防備として考えたら、この砦は堅牢さが足りないと判断して、国境の警備に必要な人数以外は国内に振り分けちゃったけどさ」
それでも、百人ばかりは残していたはず。なのに半数にまで減っているのはどういうことだろうか。
俺の疑問に、センティスが回答する。
「そりゃあ、新しい元帥様の命令だよ。この砦に兵士を多く置いておくと、帝国を刺激しかねないからってな」
センティスは一応『様』をつけて敬称っぽく言っているけど、明らかに口調に侮蔑が混ざっていた。
「新元帥――サルカジモ兄上の命令ってことか。考え自体は正しいけど、百人を五十人に減らしたところで、帝国の軍勢にとったら誤差の範囲だと思うけどなぁ」
なにはともあれ、この五十人で帝国軍の相手をしなきゃいけない。
「けど、どだい無理な話だよね」
「そりゃあ、なあ。相手は、あの帝国だからなぁ」
真っ当に戦ったら、こちらの負けは目に見えている。
いまから兵士を国中から集めたとしても、勝敗は変わらないだろう。それぐらい、帝国とノネッテ国との間には、魔法の技術差が存在するんだしね。
「出たとこ勝負の交渉で、帝国を引かせるしかないかなぁ……」
「交渉でなら勝てる目はあるってのか?」
「帝国を引かせることが勝ちなら、そう捉えて貰っても構わないよ」
帝国としてはノネッテ国を攻めるための『大義名分』が必要だ。
なら俺は、その大義名分を破壊すれば、必然的に帝国は引かざるを得なくなる。
なぜなら名分なく無理に攻めようものなら、騎士国は『正しくない行いだ』と怒って全勢力を傾けてでも帝国を討伐しようとするだろうが、そんな決戦を帝国は望んでい派いはずなのだ。
「だから、こちらが多少の譲歩をしてでも、帝国に名分を失わせたら、それはそれで勝ちってことになるね」
「ミモ坊としては、どこら辺まで譲歩する気なんだ?」
「さてね。そこばっかりは、交渉を始めてみないことには分からないよ」
俺が持っていた帝国の窓口は、フンセロイアだった。だからフンセロイアを通しての帝国の思惑は、良く知っていたつもりだった。
しかし、今回ノネッテ国を攻めようと決めた人物は、フンセロイアと政治的に敵対する相手だという。そんな会ったこともない人物の考えを予想することなんて真似、俺にはできない。
「だから最悪、この山岳地帯を帝国に取られるぐらいは、考えていた方が良いかもね」
「それぐらいなんてことねえよ。帝国相手に国が残るんなら、万々歳だ」
お互いに苦笑いを浮かべてから、俺は今更な疑問をセンティスに投げかけることにした。
「それで、どうしてセンティスが砦勤務になっているんだ?」
「そりゃあ、新しい元帥様をシゴキにシゴいた結果、恥をかかされたって顰蹙買って左遷されたんだよ」
「……なにやってんだか」
「仕方がねえだろ。あんな根性豆もやし野郎が上にいるだなんて、我慢ならなかったんだ。むしろ、この砦にきて、あの野郎のツラを拝まなくて言い分、有難いって話だぜ」
やせ我慢ではなく、本心からの言葉だと、センティスの表情が物語っている。
「俺としては、気心が知れた人物が砦の責任者になっているから、やりやすいけどね」
名簿に名を連ねた五十人にしても、大部分がメンダシウム国との戦争で共に戦った兵士ばかりだ。少なくとも、俺の命令に反感を持つことはないはずだ。
帝国軍は脅威だけど、現状は最悪な状況ではないと俺が分析していると、センティスがニヤリと笑う。
「ミモ坊の気心を知っているって点じゃ、もう二人ほど名簿に載ってねえ人物がいるぜ」
「員数外の兵士がいるってこと?」
「ああ。ほんの十日ほど前に、元帥様の使いとして来た奴らだ。けど、この砦で何をするかは言われてねえってんだとよ」
「詳しい指令もなしに配置転換って、それってつまり」
「ああ。俺と同じで、左遷されたってことだろうよ」
「いやいや。帝国と戦争が起きそうな砦に向かわせるんだから、死ねって言われたようなもんじゃない?」
そんな気の毒な命令を受けた人物が誰か。センティスが名前を口にする。
「その気の毒な人物とは、ガットとカネィだ」
「二人とも、サルカジモ兄上の腰巾着じゃないか。それなのにどうして?」
「新元帥の行動は今までと違うって忠言したら、元帥様の奥方に夫の側に侍る兵士に相応しくないって嫌われたんだと」
「差し詰め、サルカジモ兄上を帝国の駒にしようとして、その邪魔になりそうな人物を追い出したってことか」
境遇的には可哀想だけど、俺とはあまり仲良い関係じゃなかったから同情はしないな。
「いやまてよ。あの二人はサルカジモ兄上の侍従のような立場だったんだ。これは交渉に使えるんじゃないか……」
俺は、ガットとカネィを巻き込んでの交渉の筋道の青写真を脳内で描いていく。
その横で、センティスが呟く。
「数年ぶりに会ったってのに、その悪だくみをするときの表情は相変わらずだな」
失礼なことを言われた気がしたが、俺は抗議するよりも交渉の作戦を立てることに没頭する方を選んのだった。
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