百六十九話 帝国の目論見とは
フンセロイアとの会談が終わった後、俺は彼が言ってきた内容について考えていた。
フンセロイアの言ってきたことは、大まかに分けて二つ。
一つ目は、帝国が騎士国と戦争している間、帝国の領地に攻め入ってくるな。
二つ目は、サルカジモの動向に気を付けろ。
一つ目に関しては、理解ができる。
あえて釘刺しておくことで、仮にロッチャの軍が帝国領に入った際、その事実を侵攻の大義名分にするため。
帝国が強大な力を持っているにも拘らず、周囲の国に無暗に戦争をしかけないのは、大義名分がないと実力が拮抗している騎士国が本気で横槍を入れてくるからだ。
しかし、大義名分があれば騎士国は嘴を突っ込んでこない、という事実がある。
だから領土侵略を行う仕込みとして、フンセロイアが一つ目の発言をしてきたことに間違いはないだろう。
だけど、そう考えると二つ目の発言に謎が生まれる。
サルカジモが帝国の企みに取り込まれたことは、事実だろう。この部分で、フンセロイアが嘘を吐く意味がないしね。
そして操られたサルカジモが何らかの行動を起こして帝国の領地に兵士を侵入させるであろうこと。帝国は兵士が入ってきた事実を理由として、ノネッテ国に侵攻を開始する。
この流れは、フンセロイアの一つ目の発言と関連付けて考えれば、予想が可能な範囲だ。
ここで疑問が一つ。
フンセロイアがサルカジモの件を黙っていれば、帝国の企みを俺が予想することができなかったってこと。
つまりフンセロイアの二つ目の発言は、こちらに利するものではあったけど、帝国の立場で考えると計画がとん挫しかねない悪手ということになってしまう。
だけど帝国という大国で一等執政官というトップ官僚になったフンセロイアが、ヘマでこんな情報をうっかりと流すことは考えられない。フンセロイアの会談のときの態度は、終始一貫して落ち着いていて、失言があったような素振りはなかったしね。
じゃあ、どうして計画を失敗させるような情報を渡してきたのかを考えると――この企みが成就することが、フンセロイアにとっては不都合だということしか思いつかない。
でも、それはそれで変だ。
領土拡大は帝国の国是だという。
事実、隣接する国を借金漬けにして属国化したり、手練手管を使って戦争理由を捻り出したり、ノネッテ国の交易を封鎖するために帝国領土で囲い込むためだけに国を一つ落とすこともしている。
その国是に反するようなことを、なぜ一等執政官のフンセロイアがしたのか。
これが謎だった。
俺は自分で考えても理由が分からないと感じ、他の人に意見を求めることにした。
しかし、結果は芳しくない。
「センパイがわからないこと、わたしが分かるはずないですよ」
ホネスに苦笑され。
「騎士国で生を受けた身なので、帝国の考えがわからないんです。ごめんなさい」
「根本的に思想が相いれないからこそ、長年戦争を続ける羽目になっているのですから、分からなくて当然です」
パルベラには申し訳なさそうに謝られ、ファミリスには当然の事実を語る口調で断言された。
「帝国がわけのわからないことをやってくるのは、よくあることですよ」
「帝国の連中の頭の中なんて、わかりっこねえですよ」
「わかっていたら、ミリモス王子に戦争を吹っ掛ける真似なんて、しなかったはずですからね」
役人や研究部の面々や軍の兵士に聞いて回ったけど、大体おんなじ反応が返ってくるだけだった。
八方手詰まり感が出たところで、アテンツァとジヴェルデに会うことにした。
別に二人に期待したわけではなく、単純に定期的な面会する日程が来たからだった。
俺が出されたお茶を飲みながら、フンセロイアの件を出すと、ジヴェルデは露骨に眉間に皺を作った。
「わたくしのような美女に会っているというのに、話題に仕事の話を選ぶなんて」
「こら、ジヴェルデ。申し訳ありません、ミリモス王子」
「いや、いいよ。男性が語る仕事の話は、女性にとってウケが悪いってことを失念していた俺の失態だし」
俺は人質相手にする話題じゃなかったよなと、反省する。
そこでジヴェルデの表情が、不快感から得意げなモノに変わっていることに気付いた。
「ふふーん。ミリモス王子は、フンセロイアという方がどうして国是に反する真似をしたのか、わかっていないのですわね」
「その通りだけど、ジヴェルデ嬢は分かるので?」
「それはもちろん。いまは人質の身ですけれど、これでも立派な砂漠の王家の姫なのですわ」
どうして姫なら理由が分かるのかと首を傾げていると、ジヴェルデは得意げなままに説明を始めた。
「端的に語ってしまえば、政治上の駆け引きですわね」
「意味が分からないんだけど?」
ノネッテ国に対する駆け引きで、どうしてフンセロイアが帝国の利益を損なうような情報を伝えるのだろうか。
そんな俺の考えを否定するように、ジヴェルデの表情はさらに得意満面になる。
「ミリモス王子は勘違いしているようですわね」
「俺が思い違いをすることはよくあることだけど、どの辺が?」
「フンセロイアという方を帝国の代表者――あえて言い換えるなら、ただ一人だけの帝国の意思の代理として考えている点ですわ」
言っている意味が分からずにいると、さらに詳しい説明が来た。
「帝国は大きい国ですわ。それこそ、帝王の意思一つだけでは、帝国の末端まで意図を浸透させることが難しいですわね。そこで多種多様多数の役人や兵士が王の手足となり、国の運営を代行するのですわ」
「それは理解できる。フンセロイアが一等執政官として忙しく駆けまわっているのも、その一環なわけだよね」
「そう。その一等執政官ですわ」
「なにが、そうなわけ?」
「ミリモス王子は、一等執政官がフンセロイアという方だけしかいないと、無意識の内に思い込んでいるんですわよ」
言われてみて、ああなるほどと頷いてしまった。
「一等執政官は単なる役職なんだから、他に同じ役職の人がいても不思議じゃないよね」
これはつい失念していた。
どうやら俺の頭の中では、一等執政官=フンセロイアという図式で凝り固まっていたらしい。
「じゃあ駆け引きというのは、フンセロイアと他の一等執政官を指しての言葉だったわけだ」
「その通りですわ。先ほども言いましたように、帝国は巨大ですわ。それに伴い、役人の数も膨大にならざるを得ませんわ。そして人が三人居れば派閥というものが生まれるものですわよ」
「つまり、フンセロイアと仲良くない派閥がサルカジモ兄上を操っているというのが、ジヴェルデ嬢の考えなわけだね」
そう説明されると、腑に落ちる。
しかし疑問点が一つある。
「ノネッテ国の王族に帝国貴族の娘を嫁として宛がうことは、フンセロイアが企んだことだったはず。別の人が主導しているのは変じゃない?」
「変じゃありませんわよ。その方、当初は貴族の娘をミリモス王子にと画策していたのですわよね」
「俺が拒否して、チョレックス王がサルカジモ兄上の嫁にしたいと打診したんだよ」
「なら話は簡単ですわね。ミリモス王子に嫁を宛がうことを失敗した。この点を攻め口にして、フンセロイアという方の計画実行能力に疑問があると提言し、他者が計画の主導権を奪い取ったのですわ」
「……無茶苦茶な手法じゃない?」
「そうでもありませんわ。この手の陰謀は、長い歴史があるうえに富んでいる国だと、役人はこういう暗闘で成り上がってこそという風潮があるそうですわよ」
なんともまあ、聞くだけで気分が暗くなりそうな話だな。
「帝国の役人の関係がドロドロしているのは横に置くとして。フンセロイアがこちらに情報を渡してきたのは、敵対派閥に手柄を持って行かれることを嫌がったからってことが、ジヴェルデ嬢の見解なわけだね」
「まさしくですわ。でも可能性を付け加えるとするならば、ノネッテ国を攻め落とすことに大して意味がないと、フンセロイアという方が考えているからかもしれませんわね」
「意味がない? 領土拡大ができるのに?」
「確かに領土を拡げることはできますわね。でも帝国とノネッテ国――特にロッチャ地域とは、貿易面で良好な関係を維持していますわ。そんな場所を手に入れるために、戦争で大金を支払う必要があるのかは疑問ですわ。しかもこの計画、騎士国との戦争中に起こすのですわよね。ただでさえ戦費がかかるのに、それ以上の金銭を消費しないといけないとなれば、財務関係の役人が苦い顔をするはずですわ」
要するに、ロッチャ地域との貿易で手に入る利益と、支払った戦費分を差っ引いたロッチャ地域を攻め落としてから手に入る利益を天秤にかけたとして、どっち側に傾くかの話なわけだ。
「そういう理屈で考えると、フンセロイアが俺に期待していることは、帝国の軍がノネッテ国に侵攻するための理由を事前に潰して欲しいわけだ」
「大義名分が得られなければ、帝国は侵攻できなくなり、結果的に戦費を払う必要もなくなるわけですもの」
これで俺がやるべき筋道は見えたな。
「それにしても、ジヴェルデ嬢が政治に詳しいのは、ちょっと意外だったな」
「なんですの。わたくしのこと、馬鹿だとでも思っていたんですの!」
「ごめん。いまのは俺の表現が悪かった」
俺は軽口で済まそうとしたことを恥じて、姿勢を正して座りなおした。
「ジヴェルデ嬢がいて助かったよ。俺は王子教育がされていないから、政治的な話に疎いんだ。だから、今後も政治関係で相談をするかもしれないから、そのときはよろしくお願いします」
俺が弾を下げて頼むと、ジヴェルデはアテンツァに顔を向けると身振りを始めた。
その身振りがどういう意味か知ろうと俺が顔を少し上げて伺い見ていると、ジヴェルデは慌てて様子を元に戻す。ただし、なぜか口元がニヤついていた。
「そ、そうまでミリモス王子が頼むなら、仕方がありませんわね。今後も相談に乗ってあげますわよ」
「そうしてくれると助かる。それじゃあ、これから忙しくなるから、これで失礼するね。あ、お茶とお菓子、美味しかった。いつもありがとう」
俺が礼を告げて部屋からでる。
そして廊下を歩いて十秒ほど経ったころ、アテンツァとジヴェルデがいる部屋の扉が閉じる音、そして『やったー!』という声が扉と壁を貫通して聞こえてきたのだった。
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