百六十八話 フンセロイアへの疑義
俺が執務室に着くと、フンセロイアがお茶を片手に椅子に座っていて、その後ろには彼の護衛が数名いた。体面にはホネスがいて、雑談相手を買って出てくれている。
「お待たせして申し訳ない」
俺は謝罪を口にしながら、身振りでホネスに感謝を告げる。
「それでは、ミリモス様が来ましたので、わたしは失礼させていただきますね」
ホネスが余所向きの口調で断りを入れて席を立ち、入れ替わる形で俺がその椅子に座った。
ちょうどそのとき、執務室にパルベラとファミリスが入ってきた。
「どうやら、いまから話し合いが始まるようですね」
「帝国の一等執政官。私たちの同席を、拒否はしないな?」
普段通りのパルベラと、硬い口調のファミリス。
そのどちらにも、フンセロイアは笑顔を向ける。
「どうぞ。むしろ、お二方が同席してくれることこそを、こちらは望んでいますので」
不思議な言い回しに俺は首を傾げ、パルベラとファミリスは疑問顔の状態で新たな椅子に座った。
会談の準備が整ったところで、俺から要件を切り出すことにした。
「突然のお越しですけど、今日はどんな話し合いにきたんでしょう? 借金返済の催促ですか?」
俺の疑問に、フンセロイアは少しお茶を楽しんでから、何気ない口調で重大事を放ってきた。
「借金は今まで通りの返済で申し分ありませんよ。そうではなく。あとひと月もしないうちに、魔導帝国と騎士国との戦争が起きることを、お知らせにきたのですよ」
両国の戦争は通例事ではあるけど、俺の耳に開戦の情報は入ってきていない。
俺がパルベラやファミリスに目を向けるも、二人とも初耳という表情をしていた。
「それは本当に?」
「ええ。こちらに訪れる前に、正式に騎士国へ宣戦布告をしておりますので、間違いありません。ちなみに開戦場所は、大陸の北方部。この時期ですから、仮に戦争が長引いたとしても降雪と共に終結させることができますから」
前回の戦いがノネッテ国に近い地方で行われたから、次は場所を変えるというのは分かる話だ。
それにしても――いや、俺がフンセロイアの立場だったらと考えてみても、ここで嘘を吐く意味はないか。
「こちらに開戦情報を教えてくれた意味は――ロッチャ地域が戦争に参加することを懸念してですか?」
「ノネッテ国の王子に、騎士国の姫が嫁いでいるのです。警戒しない方が変では?」
妻の実家のある国が戦争となった場合、夫の国が救援に乗り出て、二つの国が共同で戦争にあたる。これは歴史上では良くある事例だ。
しかし、それは国力に差がない国同士の戦争の場合だ。
「ロッチャ地域と帝国にどれほどの国力差があるか分からないほどの馬鹿だと、俺は思われているわけですね」
「気分を害されたようで恐縮ですが、戦争先の国と縁続きの方に、こうやって情報をお伝えすることは決まり事なのですよ。そしてお願いするのです『戦争に参加しないで欲しい』とね」
事務的な釘刺しだという言葉を聞いて、俺に少しの好奇心が浮かんだ。
「戦争に参加する積もりはないと改めて断っておきますけど――仮に、そのお願いを反故にしたら?」
「地図からまた一つ国の名前が消えることになり、帝国の領土が増えることになるでしょう」
戦争に横槍を入れてくるなら、自分の国を滅ぼす気で来い、ってことか。
悪いけど、そんな部の悪い賭け――というか確実に負ける戦いに、俺が乗り出すことはない。
「分かりました。ロッチャ地域の領主として約束します。俺と俺が指揮できる軍は、帝国と騎士国の戦争に介入しません。そして戦争期間、帝国の領地に攻め入ることもしません――書類に残した方がいいですか?」
「いえいえ。ミリモス王子は信用が置けますから、口約束だけで十分ですとも」
ニッコリと笑うフンセロイアを見て、なぜか俺の胸がざわついた。
なんというか、なにかを見落としているような――フンセロイアの企みに気付けていないような、そんな漠然とした不安だ。
不安感から、俺は質問を口にする。
「この忠告は、他にも行うんですか?」
「はい。ノネッテ本国、ハータウト国、そしてフェロニャ地域。帝国と領地を接する土地を持つ代表者に、行うつもりでいます」
「わざわざハータウト国はともかく、フェロニャ地域にもですか? 俺からフッテーロ兄上に伝えましょうか?」
「いえいえ。知らなかった、などという言い逃れができないようにするために、必要なことですので」
一等執政官は仕事に忙しいと聞くのに、わざわざ土地の領主にまで話を持って行く。
俺は、この点が不自然に感じた。
「領主や国主を言葉巧みに焚き付けて、帝国の土地に手を出させようとしているわけじゃないですよね」
「そんなことで帝国に侵攻する方がいるのなら、一等執政官の仕事はもっと楽だったでしょう」
「領主や国主に、帝国が戦争に必要としている資材の工面を要望したりするとか?」
「してくれるのなら有り難いですが、戦争のための物資は既に確保済みなので、殊更に必要ではありませんね」
「じゃあ、帝国の援軍に人員を出せと言ってきたりは?」
「よそ者を組み入れたところで、魔導具の使用に精通している帝国の軍の中だと、邪魔にしかならないのは明らかでしょう」
俺の質問は全て空振りだ。
いや、そもそも俺の胸騒ぎや直感は間違いで、フンセロイアは単純に情報を伝えに来ただけなのかもしれない。
俺がもやもやとした気持ちを抱えていると、パルベラが片手を上げてから発言する。
「一等執政官フンセロイア。貴方は、ノネッテ国に何らかの企みを行おうとしていますか?」
あまりにド直球な質問に、俺はギョッとしてしまう。ファミリスも驚きつつ、フンセロイアが逆上して攻撃してきても対処できるようにか、剣の柄に手を乗せている。
そんな明らかに疑っているとわかる失礼な質問だったにもかかわらず、フンセロイアは微笑みを浮かべたままだった。
「さて、どうでしょう。しているかもしれませんし、していないかもしれませんね」
「ミリモスくんの兄が、帝国貴族の娘と結婚したことと関係がありますか?」
「さあ、どうでしょうね」
「貴方の企みは、騎士国と帝国との戦争とは直接的に関係はありませんね?」
「さてさて、どう答えたものか悩みます」
フンセロイアははぐらかし続けるが、パルベラは何かを納得したような顔になった。
「真に迫ったことはわかりませんが、帝国がノネッテ国に何かをしようとしていることは確かなようですね」
「そうお思いになるのでしたら、そうなのでしょう」
パルベラが何を察知したかは分からないけど、彼女がした質問の中で一つだけ気になったことがある。
サルカジモと帝国貴族の娘との結婚の件だ。
もともとフンセロイアは、件の貴族娘を俺の側室にと宛がうつもりだった。
しかし俺が拒否したことで、話はノネッテ本国のチョレックス王に持ち込まれた結果、サルカジモが貴族娘と結婚することが決まった。
そしてサルカジモは、ノネッテ国の仕来りを無視する形で、貴族娘と帝国領内で結婚式を挙げて夫婦になって国に帰ってきた。それも、新妻にゾッコンな状態となって。
この一連の流れを思い返すと、やはり不自然な部分がある。
「フンセロイア殿。サルカジモ兄上は帝国に取り込まれたと考えても?」
「ふふっ、どうでしょう。ご自分で、サルカジモ殿に質問しに行かれては?」
これ以上の質問に答える気はないのだろう、フンセロイアは椅子から立ち上がった。
「それでは、予定が詰まっておりますので、失礼させていただきます」
フンセロイアは一礼すると、護衛の後ろに引き連れて執務室から去っていった。
その後ろ姿を見送ってから、俺たちの会話を遠巻きに聞いていたホネスがおずおずと俺に近づいてきた。
「あのー、センパイ。つまり、どういうことだったんでしょう?」
「帝国がサルカジモ兄上を操って、ノネッテ国に何かをしてくる予感があるってことかな」
「それは大変――」
ホネスは事の重大さに驚いた様子になった直後、首を思いっきり傾げてきた。
「――あれ、でも、それをセンパイが察知しちゃうと、帝国にとって損ですよね。それなのにフンセロイアさんは、どうしてセンパイが察知できるように話をしたんでしょう?」
「……そういえば、それはそれで変だな」
フンセロイアの口振りを思い返すと、俺が帝国の企みに気付くよう誘導していた節があった。
これはどういうことだろうと、俺はホネスやパルベラにファミリスと顔を突き合わせて悩むことになったのだった。
当作品が書籍化される予定となっております。
詳しくは、後日の活動報告で行おうと考えております。
それまで、しばらくお待ちくださいますよう、よろしくお願いいたします。