百六十五話 情勢は変わる
夏の暑さが落ち着いてきたなと思った頃、帝国が大きく動いた。
といっても、俺の領地であるロッチャ地域を含め、ノネッテ国の領地に何かをしてきたということはない。
フェロニャ地域に隣接している、ラバンラ国を併呑したのだ。
「これで、ノネッテ国の包囲網が完成ってことか」
報告書を手に呟きつつ、少し前の情報を思い出す。
帝国は、フッテーロが治めるフェロニャ地域で離反工作を行ったという。もちろん、外交という交渉事に明るいフッテーロなので、大きな騒動にもならずに鎮圧されたらしい。
そして、ノネッテ国の国軍の長のサルカジモを、帝国貴族の娘と結婚させて骨抜きにしている。サルカジモの惚気っぷりが、ロッチャ地域まで伝え聞こえてくるぐらいなのだから、チョレックス王とアヴコロ公爵は軍内における帝国の影響を予期して頭を痛めているだろうな。まあ、サルカジモが帝国の指示で暴走したとしても、軍の兵士が言うことを聞くとは思えないけど。
となるとこの二つのことは、ノネッテ国の注意を引き付けることで、帝国とラバンラ国の情勢に目を向けさせない策だったのかもしれない。
協調がなっていたら、ノネッテ国はより東の国との交流を持て、帝国の方位から脱出できていたかもしれないから、その芽を早めに潰したかったはずだし。
と包囲網が完成したのに、俺がのんびりと構えていられるのには、三つの理由がある。
一つ目は、帝国が本気で武力侵攻しようとしているなら、いまのノネッテ国に抗いようがないから。
二つ目は、ノネッテ国全域は兎も角として、ロッチャ地域と帝国とは相互利益がある貿易相手であること。
三つ目は、北東西で包囲はされているけれど、南の砂漠地帯にはそれがないからだ。
特に三つ目の南の砂漠地帯は、昨今、重要度を増してきている。
アンビトース地域には、砂漠の通商路で得る貿易益とともに、色々な情報がやってくる。
情報は主に、大陸の南半分の情勢だ。
大陸の北は帝国と騎士国に二分されてしまっているため、情勢は安定している。
しかし大陸の南は小国が相争う戦国時代の様相だという。
特に南東――騎士国の目が行き届かない地域では、北に帝国の脅威があることもあって、どこもかしこの国も周囲を飲み込んで一大強国になり上がろうと躍起になっているそうだ。
そうして周囲と戦争ばかりするので、各国は物資を強烈に欲している。しかし周りは敵だらけで、融通してくれるはずもない。
そこで砂漠の通商路の末端に位置する国は、大陸の南中央から砂漠を通ってやってくる輸入品に目をつけ、高値で買い取ることで、周囲の国より物資面で先んじることができているそうだ。
そうした戦争特需があるので、貿易相手に売れば売るほど利益が出るとあって、南中央の国々は挙って砂漠の通商路の出入口に殺到した。
通商路を行き来できる砂漠の民は、その集まった品々を真っ当な価格で購入していく。下手に安値に叩かないのは、輸出先でかなりの高値で売りつけることができるため、売り主の不評を買わないため。そしてちゃんとした値段で売れるとわかれば、勝手に向こうからまた売りに来ることが期待できるから。
そうして苦も無く大量の物資を輸出入できるようになったため、砂漠の通商路からの利益はうなぎ上りだと、アンビトース地域の領主であるヴィシカからの手紙にも書かれていた。
輸出で富める国がでてくると、それを奪おうとする国も出てくるのが世の常。
砂漠に隣接する国々は、独自の通商路を切り開こうと、派遣隊を東に送り始めている。
砂漠の範囲が狭くて横断距離が短い場所は通商路が開通する見込みがあるらしいが、砂漠を迂回するルートを通るのと大差ない利益しか上げられないという見立てもあるらしい。
横断距離が長い場所にいたっては、砂漠の魔物に襲われたり、砂漠の天候に打ち負かされたりで、上手くいく見込みすらないという。
砂漠の通商路が開拓できないと知れば、通商路の利益をかすめ得ようと考えている国々が取る行動は、二つに一つ。
一つは、砂漠の輸出で潤う国と仲よくすること。多少の不利益は覚悟の上で、実を取りにいくスタイルだ。
もう一つは、難癖をつけて戦争を起こして勝ち、賠償という形で金品を巻き上げるという、半ば強盗とも言える手法だ。
騎士国の目があるのに、難癖をつけての戦争なんて起こせるはずがないと、つい思ってしまう。
だけど、実はそうではないらしい。
この世界は通信技術が拙い。
大陸の端から端まで一瞬で繋がる電話なんて夢のまた夢の技術。早い連絡手段は伝書鳥か早馬に限られているし、通常は馬車移動や徒歩移動での手紙輸送な状況だ。
この世界で最も早いと思う、人馬一体の神聖術を使ったファミリスとネロテオラでも、騎士国の王城からノネッテ国まで数日かかるのだ。他の通信手段なら、それ以上の日数がかかることは察することができるだろう。
だから騎士国の情報網が大陸中に張り巡らされていようと、距離によって情報が伝わる時間に差が出てくることが仕方ない事情がある。
そのため大陸の南半分では、騎士国が襲来するまでの日数を計算し、その日までに相手国を攻め落として併合して、後付けで大義名分を打ち立てるなんて真似ができてしまうらしい。
騎士国は無能じゃない。もちろん、その大義名分が嘘だと見破る力を持っている。
しかしファミリスが言うには、一度ついてしまった戦争の決着を白紙に戻すことは『正しくない』らしい。
「神聖騎士国は騎士の国。それだけに、どのような理由であろうと、決着した事実に重きを置いています。加えて、騎士国が助けにいくまでの数日間で国や領地を落とされた王など、『正しい』国主とはいえないと考えますので」
なんとも乱暴な論法だけど、国防は王の役目だから、あながち間違いとも言い切れないんだよな。
ともあれ、大陸の南半分の国々は常に、騎士国の目を盗める短い期間での戦争で、金や土地や国を奪い合う様相だった。
そんな情勢下で、アンビトース地域が主導する砂漠の通商路が莫大な利益をもたらしたことで、その利権を奪うための戦争まで起こるようになったらしい。
俺が手を貸して大事業家させた通商路によって他国の戦争が激化したことに、少し罪悪感を感じてしまう。
「とはいえ、離れた土地の出来事だから、一領主の俺が出来ることなんて何もないんだけどね」
仕方がないことと呟いて、俺はロッチャ地域の発展に注力するべく、書類仕事に舞い戻るのだった。