百四十五話 アンビトース地域領主、ヴィシカ
俺たちがアンビトース地域の中央都にある城へと出向くと、門番が待ちわびたといった態度で中まで通してくれた。
誰何の言葉もなく通されてしまったことに疑問を感じていると、その考えを見抜いたのか門番が笑う。
「ミリモス王子が城の壁越えをした際、お顔を拝見しましたので」
「あー。それはそうだったよね」
アンビトース国を落とした際、俺が与えた人的被害はスペルビアードとその配下たちだけで、街の兵隊たちは無傷だった。
攻め落とした土地の統治を早くひと段落させたかった俺は、その兵士たちを雇い続けることにした。彼らなら街の防衛の勝手を知っているだろうし、どうせ手放す土地だからってね。
「でも、今の領主はヴィシカ兄上だけど、ずっと雇われ続けているの?」
普通、滅ぼんだ王族に仕えていた兵士を登用し続けることは、それだけでリスク要因になる。
一時的な統治者だった俺の場合は、短い期間の措置だから無視できるリスクだった。
けど、ヴィシカ兄上の場合は、これからずっと領主をしなければならない。
この兵士たちを雇い続けるということは、寝首をかかれるリスクを常に抱えているのも一緒。
そんな俺の危惧は、案内してくれている兵士の穏やかな顔を見ると、杞憂と分かった。
「はい。ヴィシカ王子のおかげ様で、失職することもなく家族を養ってあげられています」
そう言えば、アンビトース地域を始め砂漠の民の特徴に、家族思いという点があった。
兵士の職を安定供給することで、間接的に兵士の家族の生活を質として握って、反抗する芽を潰した。
ヴィシカにそういう意図があったかはわからないけど、結果的にそうなっているようだった。
「ヴィシカ兄上は、良い領主かな?」
兵士に不満がないか突っ込んで尋ねると、笑顔で肯定してきた。
「それはもう。フヴェツク殿を参謀に、ヴァゾーツ殿を相談役に選び、砂漠の民に配慮した政策を行ってくださっていますので」
フヴェツクは俺が領主交代までの代役に立てた人物だし、ヴァゾーツは元国王だ。
ヴィシカが統治の内容を話し合う相手としては、適当ではあるな。
一歩間違えたらアンビトース王族の傀儡に成り下がる危険はあるけど、ヴィシカは無口だけど芯が太い感じだったし、気にしなくても大丈夫だろう。
「ミリモス王子。こちらで、ヴィシカ王子がお待ちです」
「道案内、ありがとう」
一礼して兵士が去ってから、俺は案内された場所――俺も使ったことのある、城主の執務室の扉をノックしたのだった。
入室許可の言葉を待ってから、俺とパルベラとファミリスは執務室に入った。
部屋の中には、薄く書類が積もった執務机の向こうに座るヴィシカがいて、その横にフヴェツクが立って執務の補助をしていた。ヴァゾーツの姿は見えない。
俺は顔をヴィシカに戻し、兄弟の礼を取る。
「ヴィシカ兄上。手紙を頂き、直接話をしなければと思い、参上いたしました」
「待ってた。座って」
ヴィシカの口数の少なさに、年少期の兄弟付き合いを思い出して懐かしく感じながら、俺は勧められた革張りのソファーに座る。パルベラとファミリスに手招きして、二人を近くに座らせた。
「それでヴィシカ兄上。俺に戦争の指揮を取って欲しいってことだけど、相手は誰?」
砂漠には、アンビトース国が滅んで地域と形態が変わったことで、スポザート国しか国らしい国はない。
その事実を把握しながらの質問に対し、ヴィシカ兄上は頷きを一つする。
「砂漠の民」
当然と言いたげな口調だったけど、俺は予想外の言葉に思考の間をとってしまった。
「……えっと、相手はスポザート国とってこと?」
「違う。あり得ない。ソレリーナ姉上は、弟妹好きだ。」
ソレリーナがいる影響で、スポザート国は俺やヴィシカと『絶対に』戦争しないってことらしい。
「じゃあ、砂漠の民って、具体的にどこの誰なのさ?」
「砂漠の民は、砂漠の民」
そうとしか表現できないといったヴィシカに、俺は理解が追い付かずに首を傾げる。
二人して疑問顔でいると、パルベラから微苦笑の声が聞こえてきた。
「ふふっ。お二人のお顔がそっくりで、兄弟だってわかりますね」
俺としてはヴィシカと似ていないと思うんだけどなぁ。
ヴィシカの方も同じ意見のようで、ちょっとだけ不本意というか、納得がいっていない顔をしている。
話が前に進まない俺たちの様子に業を煮やしたのか、フヴェツクが補足説明を入れてきた。
「ヴィシカ王子の言う砂漠の民とは、この地域の南にある広大な砂漠を旅し、砂漠の魔物を狩って暮らす、流浪の民のことを指します」
そういえば、砂漠には国としての体裁はないけど、集落や集団という形で人が暮らしているんだった。
俺が統治作業を行った際に、アンビトース地域の南端の村が独立して、その流浪の民の一部になったこともあったっけ。
「その流浪の民と戦争をするの?」
「通商路で必要だ」
「通商路での問題を戦争で解決するってことだと思うけど、共同で事に当たっていたスポザート国は出てこないの?」
「あっちは口で、こっちは力だ」
ヴィシカの口数の少なさを補完して考えるに、通商路を握るためにスポザート国が砂漠の民と交渉し、何らかの問題があって、アンビトース地域の武力の出番となったって感じだろうな。
「戦争しないよう、交渉だけでまとめてくれればよかったのに」
戦争ばかりの自分の身を棚上げして愚痴ると、ヴィシカが残念そうに首を振る。
「ダメだ。それだけだと舐められる」
「砂漠の民にってこと?」
「事実、スポザート国はそう」
ヴィシカの言葉に疑問を感じ、俺はフヴェツクへ顔を向ける。
「砂漠の民って、腕力主義なわけ?」
「砂漠の魔物を狩って暮らす者たちですので、一番に武力を尊びます。それこそ、どれだけ交渉で言葉を交わそうとも、最終的に闘争で決めることがザラだと言われています」
砂漠の民って、要するに戦闘民族なのか。
そう考えると、交渉の場で襲い掛かってきたスペルビアードは、砂漠の民の血が濃くでた人物だったのかもしれないな。
「戦争が好きな砂漠の民を相手しなければならなくなったから、ヴィシカ兄上は俺を指揮官に呼んだってこと?」
「そう。ミリモスは上手だ」
「俺に戦争の実績はあるけど、上手ってほどじゃ」
「四つ国を落とし、一つ属国化した。十分の実績」
ヴィシカに手放しに褒められて、俺は『戦争は嫌だ』と返答することに窮してしまう。
そしてここで、パルベラとファミリスがヴィシカの味方をした。
「ミリモスくん。兄弟が困っているのですから、助けてあげましょう」
「パルベラ姫様が仰られる通り。双方が戦うと納得した争いで、片方の陣営からこうして助力を乞われているのです。ここで逃げだすことは、正しいとは言えませんよ」
二人にまでこう言われてしまったら、俺が拒否する道は断たれたも同然だった。
「わかったよ。戦争の指揮を取らせてもらう」
「よかった。戦費は、こちら持ちだ」
だからしっかりと勝ってくれ。そう、ヴィシカに要望されてしまったのだった。