百四十話 ミリモス、決断する
考えに考えて、俺は返答を決めた。
「フンセロイア殿の、そして帝国からの提案を――拒否します」
俺の答えが意外だったのか、フンセロイアは片眉を大きく上げている。
「こちらが言うのはなんですが。この提案は、受け入れることには利点が多く、拒否することには不利な点が多いのですが。本当に拒否なさるので?」
「はい。帝国から妻を取る気はありません」
きっぱりと否定すると、フンセロイアは「理解できない」と首を横に振る。
「ミリモス王子なら、領地の発展を考えて、一も二もなく頷くと思っていたのですが……」
帝国としては、成長著しい国に貴族の娘という警報装置を置くだけで済ませる甘い措置、って考えだったんだろうけどね。
「こちらとしては、書類上とはいえ『同格国』を相手に、その提案が飲まれると思われていたことが意外です」
「ほほう。それは、なぜです?」
「帝国からくる貴族の娘は、俺の首輪であり鈴だって、フンセロイア殿が言いましたよね。それは暗に、俺に帝国に下れと言っているじゃありませんか」
「ノネッテ国は帝国と同格の国だからこそ、提案を飲むわけにはいかないと?」
「いいえ。下につくか否かの判断は、一領主の俺じゃなくて、ノネッテ国の国王であるチョレックス王の仕事ってだけの話ですよ」
俺はロッチャ地域の責任者だけど、帝国の提案はノネッテ国の進退を決めかねないので、俺の権限の域を超えてしまう。
だからこそ、俺が自分の判断で、この話を受けるわけにはいかないのだ。
そう考えを語ると、フンセロイアは納得半分、疑問半分の顔つきに変わった。
「王の立場を尊重する考えは、領主として当然の行いですね。しかし、他の国を攻め落として領地を獲得し続けた戦果を考えれば、ミリモス王子の言葉にチョレックス王は頷くしかないと思うのですが?」
「それは帝国の理念ですよね。ノネッテ国にはノネッテ国の慣習がありますから」
なんて、もっともらしいことを言っているけど、単純に責任をチョレックス王に押し付けたいだけなんだけどね。
それに、俺が帝国の提案を拒否する理由は、もう一つある。
「これは個人的な意見ですけど。帝国から妻を取ることは、『領主』や『王族』としては『正しい』んでしょう。でも、好きでもない相手と結婚することは、『男性』として『正しくない』と思うんですよ」
「ここにきて『正しさ』ですか」
俺が何を意図して言ったのか分かったのだろう、フンセロイアはパルベラとファミリスを見る。
「騎士国に遠慮した、ということですか?」
「違いますよ。正しくないことを受け入れて、家庭に不和を招きたくないという話です。なにせ、俺とパルベラは恋愛結婚なので」
俺の答弁に、フンセロイアは理解しがたいという表情だ。
それもそうだろう。なにせ俺が語ったのは、いわゆる建前と言うやつなんだから。
ホネスの件を考えれば、パルベラの性格はおおむね把握できる。
パルベラは、俺を好いている人ならば、快く身内に入れようとする。それは間違いないことだ。
では逆に、打算で俺に近づく人に対してはどうだろうか。騎士国の姫という育ちを考えたら、受け入れはするだろう。しかし、納得するかは別問題なんじゃないだろうか。
その納得のできなさが、俺とパルベラとの仲の不和となり、やがて破局に向かってしまうという可能性は捨てきれない。
騎士国の聖堂で幸せにすると宣言した手前、仮に破局なんてことになろうものなら、俺は騎士王に直に殺されることは確定だ。いや、そもそもパルベラを泣かせただけで、ファミリスに半殺しにされかねないような……。
ともかく、帝国の提案を受け入れると致命傷になる可能性がある。
逆に、帝国の提案を拒否しても、ノネッテ国の立場が多少困難になるだけで、死に直結するわけじゃない。帝国がこの件で反感を抱こうと、ノネッテ国に攻め入るには、こちらにパルベラとファミリスという騎士国の監視者がいることで、真っ当な大義名分が絶対に必要になるからだ。
片や致命的な可能性、片や多少の困難が予見されるだけ。
なら、どちらを選ぶかは、自明の理というやつだ。
なんて考えを胸の内に秘めながら、俺は余裕たっぷりに見えるであろう微笑みを作る。
「というわけで、俺としては帝国の提案は受け入れかねます。もし無理を通したいのでしたら、チョレックス王にどうぞ。その方が可能性がありますよ」
フンセロイアは予定が外れたと言いたげな表情で、お茶を一啜りする。
「ミリモス王子はあると言いましたが、その口ぶりでは可能性はないように感じますが?」
「ロッチャの時期王である一番上の兄が領主になったので、そろそろ結婚をさせようと考えているはずですから」
チョレックス王にしてみたら、末弟王子である俺が騎士王の姫を妻にした関係で、次期王のフッテーロには帝国貴族の娘ぐらい格がある伴侶が、バランス的に欲しいところだったはずだしね。
そんなノネッテ国の内情を、フンセロイアも掴んでいるのだろう、打算的に言ってくる。
「ミリモス王子に着けられなかった首輪を、フッテーロ王子にですか。悪い案ではないですが……」
「悪いどころか、良策だと思いますよ。なんたって、フッテーロ兄上が治める領地はフェロニャ地域――帝国が手中に入れようとしているバイブーン国に接している土地なんですから」
「ほほう。それなら、首輪を通して情報のやり取りを盛んに行えそうですね。でも、ミリモス王子は、兄を売るような真似をして良いのですか?」
「売る、だなんて人聞きの悪い。フッテーロ兄上は外交上手ですからね。帝国相手だって引けを取らないはずです」
「ミリモス王子をして、外交上手と言わしめるとは。余程にやり手な王子なのでしょうか?」
「王子教育を受けていない俺なんか、足元に及ばないんじゃないかなって思いますよ」
俺は、実際にフッテーロの外交手腕を見たことがないので、あくまで『思う』だけだけどね。
そしてフンセロイアなら、なしのつぶてな俺よりも、フッテーロに話を向ける方が建設的と考える。
その予想が当たっていると証明するように、フンセロイアは筋道を見つけたことを喜ぶような微笑みを浮かべた。
「話は分かりました。では予定を少し変えて、チョレックス王に提案を持ち込ませていただくとしましょう。このまま手ぶらで帰っては、一等執政官の名折れですからね」
フンセロイアは席を立ち、護衛と共に足早に執務室から出ていこうとする。そして扉から一歩廊下へ出たところで、なにかを思い出したかのように、こちらに振り返ってきた。
「ミリモス王子に、もう一度確認します。『ミリモス王子のことが好き』な方なら、結婚相手として受け入れるのですよね?」
まだ俺に首輪をつけることを諦めていないのかと嘆息していると、パルベラが先に質問に答えていた。
「心からミリモスくんのことが好きな方なら、私は快く迎え入れることでしょう」
「欲しかったのは貴女の言葉ではないのですが――貴女が了承すれば、ミリモス王子も否とは言わないでしょう」
なにやら、俺はパルベラの尻に敷かれていると、フンセロイアに思われているように感じた。
不本意なので訂正しようとするが、フンセロイアはもうすでに廊下の先へと歩き去ってしまっていた。