百三十九話 帝国は企む
「ところでミリモス王子。騎士国から姫を得たように、我が帝国から妻を娶る気はありませんか?」
にこやかに言ってくるフンセロイアに、俺は胡散臭さを感じた。
なんというか、提案を受け入れても拒否しても、罠にはまるような予感がしている。
ここは、少し話題をずらしてみようかな。
「さっき、俺とパルベラは恋愛結婚だって言いませんでしたっけ?」
「それは伺いましたが、ミリモス王子は秘書の方とも婚姻の約束をしたと報告がありましたよ?」
つい数日前の出来事を把握されているとは、帝国の情報網はやっぱり侮れないな。
「秘書――ホネスとも、恋愛関係が前提の付き合いなんですが?」
「帝国からの妻とも、結婚後に愛を育めばよろしいのではありませんか?」
フンセロイアの話題を逸らさせないといった言い回しの数々に、俺は結婚問題と正面から考えるしかないと判断した。
正直、これ以上の嫁取りは乗り気ではないんだけど、帝国相手に直に断るのは角が立ちすぎるため、まずは話を聞くことにしよう。
「……まずは、帝国側の考えを聞かせてくれませんか」
こちらが乗り気だとでも思ったのか、フンセロイアの表情のにこやかさが増した。
「帝国からミリモス王子に宛がう予定の人物は、帝国貴族の中でも重鎮の娘です」
「貴族の娘?」
オウム返しに問い返して申し訳ないけど、それほどに疑問に思ったのだから仕方がない。
なにせ、パルベラは列記とした騎士国の次女姫だ。
それに対抗して家格を合わせるのなら、帝国側も帝王の娘を宛がうことが『外交上』では正しいと思える。
それなのに、重鎮とはいえ貴族の娘だという。
聞きようによっては、俺のことを軽く見ているとか、パルベラの格はその程度と言っているように感じてしまう。
この俺の考えは、この世界でも真っ当であることを、ファミリスが怒声と共に証明してくれた。
「貴様! 騎士王様の次女姫たるパルベラ姫様のことを、貴族の娘程度と同列に扱う気か!」
裂帛の気合と共に放たれた声は、執務室の空気をビリビリと振るわせる。
並みの人間なら失禁しそうな迫力だった。
俺はファミリスと訓練を続けてきたことから慣れているから平気だ。パルベラも、怒声を放った相手がファミスであることと、その方向が自分じゃないからか、平然としている。
ではフンセロイアはどうかと言うと、平然としていて、まったく堪えた様子は見られなかった。
「その通りですよ。そちらの姫様の格を『あえて』低くするようなことを画策しています」
「なんだと、貴様!」
ファミリスの激昂度合が高過ぎるので、俺は目で合図して、パルベラに宥めさせることにした。
「ファミリス。私たちは、あくまで監視という名の部外者です。この場はミリモスくんに任せましょう」
「ですが、姫様ぁ~」
敬愛するパルベラに窘められて、ファミリスの怒りの度合いがみるみる下がっていく。
その様子に、執務室で血を見ることはなくなったと安堵しながら、俺はフンセロイアに気になった部分を質問することにした。
「『あえて』とは、どういう意味ですか?」
「ふむっ。では筋道を立てて、ご説明しましょう」
フンセロイアは勿体つけるように言ってから、一口も飲んでいなかった茶に口をつける。
「これはまた、良いお茶ですね」
「お茶の感想はいいですから」
「それは失礼しました」
フンセロイアはマイペースに茶菓子を一口食べてから、俺の疑問への説明を始めた。
「ミリモス王子とパルベラ姫の結婚は既に成ってしまっているため、パルベラ姫がミリモス王子の第一夫人であることは覆せません。仮に帝国の働きかけで、ミリモス王子と誰かを結婚させても、その人は最高で第二婦人にしかなれないわけです」
「それと貴族の娘に、何の関係が?」
「そちらの騎士も言ったように、格の問題ですよ」
意味が分からないでいると、フンセロイアはさらに説明を続けてきた。
「ミリモス王子の結婚相手に帝王の姫を出すとしましょう。すると自動的に、帝国の姫は第二夫人――つまり騎士国の姫の下に配置されることになってしまいます。これは帝国としては、いただけません」
「結婚の順番だろうと、騎士国に負けるわけにはいかないってことですか?」
「はい、その認識でよろしいです」
「でも、さっきフンセロイア殿も言っていたように、パルベラの第一夫人の座は動かせませんよ?」
「そこで、貴族の娘なのですよ。格に劣る娘を、ミリモス王子の第二夫人にする。格が劣るのだから第二夫人になることは仕方がないと、納得できるわけです」
筋道の立った説明だったけど、このフンセロイアの言葉には裏があると、俺は直感した。
「騎士国の姫の嫁ぎ先程度、帝国が宛がうなら貴族の娘でも過分、とでも言いたげですね」
「おや、心の声が漏れてしまいましたかね?」
先ほどファミリスが激昂した通りに、帝国はパルベラの格を下げる企みも含んでいるらしい。
でも、そんな真似をしたところで、ホネスを俺の妻にと押してきたパルベラはもとより、超然としていた騎士王にだって、痛痒ほどにすら感じさせることはできないと思うんだけどなぁ。
というわけなので、フンセロイアの企みは帝国の対面を守るためだけの策、と俺は受け止めることにした。
「そんな説明を聞いて、俺が『はいそうですか』と受け入れるとでも?」
不機嫌を装って告げると、フンセロイアの笑顔がさらに深まった。
「帝国の提案を拒否なさると?」
「俺とパルベラは恋愛結婚だと、再三にわたって言ったでしょう。愛しい配偶者を悪く言われたら、心象が悪くなることは当然では?」
俺が冷たい目を作ってフンセロイアに向けていると、背後からパルベラの嬉しそうな声がやってきた。
「ファミリス、ファミリス。ミリモスくんが、愛しい配偶者って、愛しいって!」
「パルベラ姫様。交渉の場ですから、落ち着いてください」
他愛無いことばで喜んでくれるのは嬉しいけど、なんだか恥ずかしさがこみ上げてきてしまう。
俺の顔は赤くなっているのだろう。フンセロイアが微笑ましそうな目を向けてきている。
「お二人がお熱いことはよく分かりましたが、帝国の提案を拒否するかは慎重に考えた方がよろしいですよ」
「なんだか、脅しとも取れる言葉ですね」
「まさか。この手で『同格国証明書』を送った相手であるからこそ、親切な忠告をしているのですよ」
フンセロイアは少し考え、そして言葉を続けた。
「これは、帝国の次にする動きを伝えた方が、ミリモス王子の決断の助けになるでしょうね」
「次の動きって、ノネッテ国に攻め入る気ですか?」
俺が警戒すると、フンセロイアは「まさか」と否定した。
「ノネッテ国は、鉄鉱石や白い砂、硝子製品に鉄製の日用品を帝国に供する大切な国です。借金についても順調に返していただいてますし、侵略する口実はありませんよ」
あれば攻めると言いたげだけど、堂々巡りになりそうだったので、俺は指摘せずにおくことにした。
フンセロイアの言葉は続く。
「とはいえ、ノネッテ国の国土拡大を問題視する声もあることも事実。そこで、武勇を馳せるミリモス王子の妻に帝国貴族の娘を宛がうことで、ノネッテ国の動きを察知して鳴る鈴をつけようというわけです」
「だから、俺が拒否したら困ると?」
「困るのは帝国ではなくノネッテ国ですよ。拒否されたらされたで、ノネッテ国の国土拡大がこれ以上にならないよう策を講じる――いえ、柵を作る気でいますので」
「柵って、国境に壁でも作る気ですか?」
「壁なんて薄っぺらなものではありません。帝国領土でノネッテ国を囲う気なのですよ」
フンセロイアの言葉に、俺は地図を脳内で思い浮かべる。
ノネッテ国の北側は既に全てが帝国領で、西側には険しい山岳地帯があるので、二方向は既に囲われてしまっている形だ。
そして南には広大な砂漠。人間が生きるには適していない場所なので、柵も同然の土地。これで三方。
残るは東――フェロニャ地域の東側には、バイブーン国の国土が縦に伸びていたはず。
「もしかして、帝国はバイブーン国を攻め落とすつもりなんですか?」
「攻め落とすなんて人聞きの悪いですね。バイブーン国から要望されただけですよ。帝国の一部に組み込んでくださいとね」
フンセロイアの言葉に、俺は疑問を抱いた。
「でも、俺が拒否したら柵を作るって言いませんでしたか?」
「パイブーン国の南にある国――ラバンラ国にまで帝国に恭順を求めるかは、いま検討中ですよ」
国土的な包囲網を作って、ノネッテ国の頭を押さえにくるってことだな。
そして恐らく、そうやって他国に容易く助けを求められない状況を作ってから、経済的にも押さえつけを始める気だろう。
だけど、俺が帝国貴族の娘を妻に迎えれば、その道筋は取りやめてくれるというわけだ。
でも、こうしてフンセロイアが親切に理由を教えてくれるのは、帝国としてはノネッテ国という小国がどの道を選ぼうと大した手間ではないと考える、大国の余裕からなんだろうけどね。
さて、思考するべき材料は出そろった。
どうすることが最善なのか、ここで俺は深く考えることにしよう。