百三十六話 二人目の妻の問題
ホネスを怒らせた原因が分からないまま謝れずにいるため、執務室の中は俺とホネスで冷戦状態のような雰囲気となっている。
パルベラが居るときは少しはマシなのだけど、彼女が所用で席を外しているときの執務室の雰囲気は、書類を届けにくる役人が気まずそうにしながら足早に去るほどである。
いや、俺としてはホネスと仲直りしたいんだ。
でも、ホネスの『話しかけるな』オーラが凄くて、話しかけることを尻込みしてしまっている状態なんだよな。
怒りの原因が分かれば、俺も腹の決めようはあるんだけどね。理由が分からずに謝罪しても、一時しのぎにすらならないことは予想するまでもないこと。とはいえ、いつまでもこのままじゃ進展がないことも事実だ。
どうしようかなと迷っている間に、また日が過ぎてしまう。
ホネスのことは気がかりに思うものの、ホネスのことだけを気にしてはいられない。
短い時期に連続して戦争をしたことで、領地の経済の立て直しを図らなきゃいけないし、領主となった兄二人の手助けになるような政策を立てなきゃいけない。
そして、新婚になったばかりだからこそ、パルベラと一緒にいる時間が必要だった。
「ミリモスくん。これは使用人の方から聞いた話なのですけど――」
他愛無い日常の話題を、パルベラは幸せ全開の微笑みと共に話してくれる。
その笑顔に心癒されて、俺も笑顔で会話を返す。
パルベラの後ろに控えたファミリスが、少し苦い顔をしているのは、いつものことと気にしないようにしながら。
そんな日々を送っていた、ある朝。
俺が執務室への道を進んでいると、パルベラが唐突に言ってきた。
「ミリモスくん。私用事があるので、ご一緒できないのです」
朝は一緒に執務室に行くことが通常なのだけど、そういう日もあるだろうと了承した。
パルベラとファミリスが離れていき、俺は執務室に入る。
すると、始業時間前だというのに、書類を抱えた役人たちが部屋の中に集まっていた。
「ミリモス王子! 決済待ちの書類一式、机に置いておきます!」
「この後、一日がかりで書類作業をします。以後に来られましても、追加の書類はありませんから!」
どさどさと、机の上に書類が積み上げられた。
そして役人たちは、用事が終わるや否や、追い散らされる蜘蛛の子のように、執務室から去っていった。
これは、俺とホネスの間に流れる雰囲気のせいで、役人が寄り付かないようになってからの、朝の風物詩になっている光景だった。
「仕事はしてくれているから、文句を言う筋じゃないんだけどね」
役人たちの態度が、暗に『ホネスとの仲を元通りにしろ』と俺にせっついているようにしか感じられない。
いや、これは被害妄想だな。
俺は頭を振って、余計な考えを外へ追いやると、執務机に着いて書類作業を始めた。
二枚三枚と書類を片付けていって、ふとホネスが来るのが遅いことに気付く。
仲違いした後でも、就業開始時刻には執務室に来ていたのにと、不思議に思った。
「これはとうとう、愛想を尽かされたってことかな」
もしそうなら、完璧に俺の失態だろう。
後の祭りにならないうちに、ホネスと腹を割って話すべきだったのかもしれない。もしそれで、よりホネスの怒りを掻き立てることになっても、それはそれで怒りの原因が判明したかもしれなかったんだしね。
「マズったかなぁ……」
前世の記憶もあるんだから、もうちょっと上手くできたんじゃないだろうか。
末弟王子として放って置かれる環境に育ってきたことで、人付き合いが苦手になっちゃっているのかもしれないなぁ。
そんな反省をしていたところで、急に執務室の扉が『ドバン!』と激しい音を立てて開いた。
襲撃かと身構えるが、入ってきた人物が、パルベラとホネスとファミリスだと知って、警戒を解く。
椅子に腰を落ち着けなおした俺へ、パルベラはホネスの手を引っ張りながら近づいてきた。パルベラの顔は謎の決意に満ちていて、ホネスの表情は困惑が強い色をしていた。
どういう状況なのだろうと疑問に思っていると、パルベラが爆弾発言をぶっこんできた。
「ミリモスくんは、ホネスをお嫁さんにしたいですよね!」
新婚の妻に、浮気を詰られるような発言を受けて、俺は頭の中が一瞬真っ白になった。
「な、何を急に?」
「したいか、したくないかで、答えてください!」
意味不明の質問に、俺が疑問顔を強めていると、ファミリスから助け舟が入った。
「パルベラ姫様。言葉を端折り過ぎです。ミリモス王子が理解できていません」
「はッ。やだ、私ったら。気持ちが先走り過ぎてしまいましたね」
パルベラは落ち着きを取り戻し、そして逃げようとするホネスを腕で抱き留めながら、質問の理由を話してくれた。
ホネスが俺に抱いていた恋する気持ち。パルベラが持つ『王や領主は複数の妻を持つべき』という結婚観。それらを複合しての、パルベラがホネスを俺の二番目の妻に推していること。
そんな話を聞いて、俺はホネスがどうして怒ったのか理解した。
ホネスの恋心を俺自身が知らなかったとはいえ、俺は片想いしてくれていた相手に、他の女性と結婚したと惚気たんだ。そりゃあ、誰だって怒るに決まっているよ。
「ホネスの気持ちも知らず、悪かった」
「いえその。センパイに謝れちゃうと、それはそれで違うって気分でして……」
なんとなくホネスの言いたいことは、的確な言語化は難しいが、気分的に分かる。
好きな相手に、好きなことが理由での仲違いを謝れてしまうと、気分がモヤモヤするもんな。
そんな曖昧な気分で、俺とホネスが会話を続けられなくなっていると、パルベラが割って入ってきた。
「それで、ミリモスくん。ホネスを二人目の妻にする気は、ありませんか?」
今日は何時になく、パルベラの主張が激しい。
そのことに少し驚きを感じながら、俺はどう答えたものかと頭を捻る。
「そりゃあ、俺だってホネスのことは憎からず思っていたから、そうなれたら嬉しいんだろうけど……」
俺の意識では、一夫一妻制が当然の価値観として据えられている。
そりゃあ男性だから、一夫多妻制やハーレムなんかに憧れがないわけじゃない。だけど、それはフィクションとしての愛好で、現実に持ち込むには気持ち的なハードルがある。
前世の記憶がなかったり、もしくは兄たちのように王子教育をちゃんと受けられていたら、少しは変化があったのかもだけどね。
なににせよ、すんなりと『二人目の妻、ヤッター!』みたいな気分にはなれない。
村人から兵士になった境遇のホネスも、二人目の妻に自分がなるという考えに馴染みがないのだろう、微妙な顔をしている。
「姫様の提案は嬉しかったですけど、やっぱりコレは……」
「どうしてですか? 二人ともお互いに好意を持っているんですよ。そして仕事を通じてお互いの気心も知っています。そんな二人が結婚して幸せにならないなんて『正しく』ないのではないですか?」
理屈の上では、確かにパルベラの言っていることには一理ある。
好きになった男女が夫婦になることは、生物的には正しいことだろう。その結果で一夫多妻になろうと一妻多夫になろうと、生物の摂理的には正しいことだろう。
そして、王や領主なら複数の妻を娶ってもいいのが、この世界の『社会通念』となっている。アンビトース国のヴァゾーツ元国王は何人も妻がいたし、スペルビアードはソレリーナを二人目の妻に欲して戦争を開いたぐらいだしな。
一方で、民は一夫一妻が基本だった。貴族や王族でも、領地や国を抱えていない者は二人目の妻を持つことは許されないと、兵法書にすら載っているほど。ノネッテ国のチョレックス王だって、俺の母のモギレナ妃しか妻がいない。それぐらいに、一夫多妻制も『当然のこと』として浸透もしている。
だから俺とホネスの困惑も、間違っているというわけではない。
どちらにも理が立つからこそ、王族かつ領主である俺が、パルベラだけを妻と定める一夫一妻制を堅守するか、ホネスを含めた一夫多妻制を受け入れるかを、決断するべきなんだ。
「パルベラの考えは分かったから。ちょっと考えを整理させて」
俺は目を瞑って、じっくりと考えた。
パルベラが居る方からは見守る視線を、ファミリスの方からは品定めされる視線を、ホネスからは期待と不安が込められた視線を受けながら。
そうして時間をかけて、俺は決断した。
誠実にホネスの気持ちを断るのではなく、誰に不誠実と謗られようと好きになってくれた女性二人の気持ちに応えてみせると。
ホネスを二人目の妻にしないルートも考えましたが、結局は同じ部屋で仕事をする間柄は変わらずなので、後年にちょっとしたことでミリモスと不倫関係になりそうだったので、それなら先に夫婦の形に落とし込んだ方が自然と判断しました。
ご批判あると承知してますが、ご了承ください。