百三十五話 ロッチャ地域への帰還
前話とちょっと話が前後しますが、仕様です。
ノネッテ国で結婚式を終えた俺は、パルベラとファミリス、そしてフェロニャ地域の領主に任じられたフッテーロと共に、ロッチャ地域を目指していた。
どうしてフッテーロが同行しているのかというと、フェロニャ地域の統治に俺の力が必要だからと説得を受けている最中だからだ。
「四方を他国に囲まれた土地なんだよ。そして僕には外交の手腕はあっても、武力の備えが乏しい。そこで、ミリモスが推薦する将軍を一人、こちらに着けて欲しいんだよ」
「何度もそう言われているから納得はしたけど、ロッチャ地域にだって将軍を任せられる人は少ないんだ」
事実、いまのロッチャ地域で将軍職なのは、ドゥルバ将軍、ノネッテの山を占拠した実績を持つ部隊の隊長だった人。その二人しかいない。
えーっと、あの隊長の名前はたしか――そう、ズボレンクだった。
前世の言葉の『ズボラ』とか『ズボン』とかと響きが混同するから、パッと名前が思い出せないんだよなぁ。
そのズボレンクなら融通してもいいけど、将軍位につけた途端に他の地域に出向を命じるだなんて、恨まれそうなんだよね。
かといって、他の人を推薦するのも難しい。
「どうせなら、ノネッテ国からアレクテムを連れ出したらよかったのに」
俺の守役だったアレクテムなら、フッテーロの軍事的な補佐にうってつけだ。
しかし、そうは事情が許さないらしい。
「それはできないよ。アレクテムはサルカジモの補佐を生きがいにしているんだ。それを外すなんて真似は無理だよ」
「あのアレクテムが、サルカジモ兄上の教育が生きがいって、本当に?」
「手がかかる子ほど可愛いって言うでしょ。アレクテムはサルカジモに教え甲斐を感じているようでね。熱心に立派な元帥になれるよう、張り切っているよ」
アレクテムの張りきりようを想像して、俺はサルカジモに同情した。
「そんな苦難の日々を終わらせるために、フェロニャ地域の領主になりたがったのかもしれない」
「ははっ。ミリモスは、冗談が上手いね」
いや、冗談ではなくと否定したところで、横からファミリスの注意が飛んできた。
「兄弟仲良く会話するのはよろしいですけど、ミリモス王子は新婚の伴侶に、もっと配慮をするべきでは?」
棘が含んだ声に、俺は後ろを振り返り、同じ鞍の後列にいるパルベラに顔を向けた。
「って、ファミリスから苦情が入ったけど?」
「気にしないでください。ミリモスくんと、フッテーロ義兄様のお話、軽妙で聞いていて心地いいですから」
楽しそうに笑うパルベラに、ファミリスが苦言を放つ。
「パルベラ姫様。ここは寂しがってでも、ミリモス王子に構ってもらう場面ですよ」
「そんな。こんな天下の往来で、ミリモスくんと仲睦まじくするなんて、恥ずかしくって困難です……」
頬を赤らめるパルベラの言葉を受けて、俺は周囲を見回す。
ノネッテ国内という意味では『往来』は正しいのだろうけど、周りの景色はロッチャ地域へ向かうトンネルへと続く森の中。俺たち以外の他に、人の姿は見えない。
そんな場所でイチャつこうと、誰に見咎められるものでもないはずだ。
でも、こういう控えめな性格は、パルベラの長所でもあるんだし、尊重してあげるべきだろう。
そして『困難』という言葉を使っているからには、本心ではやりたいと思ってもいるということ。
総合して考えた俺は、こちらの腰に抱き着いているパルベラの腕に、自分の腕を重ね合わせることにした。
「腕を触れ合わせるぐらいなら、天下の往来でも出来るよね」
「は、はい。ありがとうございます!」
パルベラは混乱しているのか、なぜかお礼を言ってきた。
俺は苦笑いし、彼女の腕を一撫でし、顔を進行方向へ向け直した。
後ろではパルベラが俺の背中に顔を埋めるように頬を寄せ、左横ではフッテーロが『やるもんだね』といった揶揄する表情をして、右横からはファミリスの『上手くやりやがって』と口惜しそうな目を向けてきている。
なんだこの状況はと、内心で嘆きくも、ロッチャ地域への旅はまだまだ途上なのだった。
ロッチャ地域に、ようやく戻ってこれた。
そして城で俺を待っていたのは、決済待ちの書類の山だった。
仕事を代行してもらっていたホネスは、あくまで秘書扱い。緊急的な書類ならまだしも、日にちに猶予があって領主の決定が必要な書類は差し止めることしかできないのだ。
「この書類の山は驚異だけど、俺の仕事がしやすいように整えてくれるだけでも助かるよ、ホネス」
「いえいえ、センパイ。このぐらいは、コーハイとして当然のことです」
得意げなホネスをさらに褒めちぎりながら、俺は書類仕事を進めていく。
そうして書類の山が半分の量まで減ったところで、休憩をいれることにした。根を詰めて働いたところで、仕事の効率は下がる一方だしね。
リラックスできる味のお茶と、甘味のある茶菓子を口に含んでいると、ホネスが小声で質問してきた。
「それで、センパイ。これは噂なんですけど。センパイとパルベラ姫様が結婚したって、本当なんです?」
そういえば、ロッチャ地域に戻ってからすぐに書類仕事に入ったから、ちゃんとした報告はまだしてなかったな。
「本当だよ。騎士国で騎士王と謁見し終わった翌日に、結婚式を挙げることになってね」
「……先輩とパルベラ姫様は、恋人のような仲ではありましたけど、どうして結婚までいったんです?」
言外に『騎士国からの強制じゃないか』と聞いている気がして、俺は首を横に振った。
「事情は色々あったし、あの結婚式は騎士国の主導だったのは確かだけど、パルベラと結婚を決めたのは俺の意思だよ。そこに偽りはないよ」
俺の本心を話すと、ホネスの表情がスッと抜け落ちたような気がした。
「『パルベラ』ですか。もう、そう呼び合う仲ということですね」
「夫婦だからね。それに名前で呼び合う仲なら、ホネスだって――」
同じと言葉を続ける前に、ホネスが机をバンと叩いて立ち上がっていた。
突然の行動に驚く俺を見て、ホネスが恥じ入るように顔を背ける。
「ごめんなさい、センパイ。仕事続きで、疲れがたまっているみたいで。今日はもう、休ませてください」
「ああっと。うん、いいよ。仕事、任せきりにしちゃって悪かった」
俺が歯切れ悪く了承すると、ホネスは疲れ切ったような表情で微笑んだ。
「いえ。これが仕事ですから。失礼します」
執務室を去る姿を見送ってから、俺は先ほどのホネスの態度が急変したことに対し、なにか失礼なことを口走ってしまったんじゃないかと自責の念に駆られた。
しかし、なにがホネスの癪に障ったのか。それに気付けないうちは、真摯に謝ることは不可能だ。
だからこそ俺は、書類仕事を再開しながらも、頭の片隅で延々と理由を考え続けた。
その結果、この日からホネスの俺への態度が硬化した様子も合わさって、謝れないまま日にちだけが過ぎていってしまうのだった。