百三十二話 帰郷中
結婚式を終え、三日間騎士国に滞在した後、俺たちはロッチャに引き返すことにした。
その三日の間に、俺はパルベラと共に王都観光をしたりはしたのだけど、騎士国の役職者から面会を求められることはなかった。
「お祝いの手紙は貰ったから、歓迎されていなかったわけじゃないんだろうけど……」
つい愚痴が口をついて出ると、俺と荷馬車用の馬に同乗しているパルベラが、くすりと笑った。
「不用意に親しくなるのを避けたんですよ。友人知人となったのなら、ミリモスくんが帝国と戦争になった際には、助けに行くことが『正しい』ことになってしまいますから」
友人の苦難を助けに行くのは、確かに人として正しい行いだろう。
そうならないために、俺と顔合わせをしないということは――
「――その言い方だと、保身に走ったって聞こえるけど?」
「それは違います。むしろミリモスくんの身を案じた結果なんですよ」
「知人にならないことで、もし俺と帝国が戦争になった際に、参戦しないようにしたことが?」
「では、いまのミリモスくんの状況を、帝国側からみたらどう見えるか、私が語ってみましょう」
パルベラは、俺になにかを教えることが珍しいからか、得意げな様子だ。
「ミリモスくんと私の結婚式には、参列者が誰一人としていませんでした。しかも、神の祝福をしてくれた方は、ちゃんとした神官ではなく、御父様――騎士王でした」
「それが騎士国の結婚様式だから、だったよね?」
「その通りですが、様式を知らない帝国が見たら、ミリモスくんと私の結婚は神聖騎士国内では疎んじられているように見えませんか?」
ふむ。言われてみれば、そう見える可能性はあるな。
問題は帝国が騎士国の結婚様式を調べていないかということだけど、パルベラの得意げな様子から、帝国には伝わっていないと考えていいな。
恐らくだけど、騎士国には黒騎士――有能な諜報員がいるから、彼ら彼女らが情報を隠蔽しているんだろう。
そして、ここまで説明されたら、騎士国で他の人と面会しなかった理由も推し量れる。
「結婚式の後に、祝いの言葉を直接ではなく、手紙として渡すのも、傍からだと祝福されていないと見えなくはないね」
「その通りです。つまりミリモスくんは、『神聖騎士国で疎んじられていた次女姫を、体よく押し付けられた可哀そうな王子様』という評価になるに違いありません」
「いやいや。パルベラが軽く見られているって、そんなわけが」
「でも、大国の姫が他の小国の領主の監視任務を言い渡されたことは、閑職に追いやられた風には見えませんか?」
パルベラが自分で望んで任務に就いたと知っていなければ、権力闘争に負けて追放されたと見えなくもないか。
「もしかして、協議や調定の場でファミリスがパルベラより目立つようにしていたのって、このための布石だったりする?」
護衛であるはずの騎士が、姫よりもでしゃばるなんて、本来ならあり得ないはずだしな。
だが、俺の予想は、大外れだった。
「そこまで考えてはいませんでした。単にファミリスが仕切り屋なだけなんです」
「……ファミリスってさ、神聖術と戦闘技術に関しては目を見張るものがあるよ。でも、それ以外は微妙に残念っぽくはない?」
「ふふふっ。忠義に厚い、良い騎士なんですよ?」
明確に否定しないってことは、つまりパルベラもそう思っている節があるってことだよな。
仕える主にすらそう思われているって、騎士国の騎士として良いのだろうか。
そんな疑問を抱いていると、俺たちの言の葉に名前が出たからか、ファミリスが乗騎のネロテオラを操って近寄ってきた。
「お呼びですか、パルベラ姫様」
「いいえ、なんでもないの。私が結婚した後も、ファミリスがついて来てくれて助かるってことを話していたの」
「この私は、姫様を護るための騎士。ミリモス王子の奥方になられようと、お仕えし続けるのは当然のことです」
ファミリスは、役目を誇るように胸を張っている。
その様子を見た俺とパルベラ姫は、同じ馬に乗った状態で顔を見合わせて、ほぼ同時に笑ったのだった。
ロッチャ地域へ戻る旅は、順調に進んでいく。
行きは騎士王が待っているからとファミリスに追い立てられたけど、戻りに関しては誰の顔を伺うわけでもないので、のんびりとした道行きだ。
結婚後の初めての旅行――新婚旅行にしては、随分と華やぎがないことだけが、パルベラに対して申し訳ない気持ちだ。
「それに今まで大してかまってあげられていなかったから、この旅路の間は、パルベラの我が侭を聞いてあげようかなってね」
宿の一室で俺がそう提案すると、パルベラは嬉しそうな顔の後で困った様子に変わった。
「折角、ミリモスくんが言ってくれたので、甘えたいところなんですけど……」
「俺のことなら気にしないで、バンと言ってくれていいんだよ?」
「遠慮しているのではないんです。私としては、ミリモスくんと一緒に居られるだけで、とても幸せなんです」
結婚相手がこう言ってくれるなんて、男冥利に尽きるな。
だからこそ、パルベラの我が侭を、より叶えてあげたくなるんだよね。
「本当に何でもいいんだよ」
「そう言われましても……あっ」
パルベラが何か思いついた様子だ。
「いま思いついたこと、そのまま言ってみてよ」
「えっと、そのぉ……」
パルベラは顔を赤らめて、とても小さく声を出す。
「……できれば、口づけを、してもらいたいかなって」
チラチラと俺の顔を伺いながらの言葉に、俺は心臓を鷲掴みにされた気持ちになった。
そしてパルベラが勇気を出して言った我が侭だと理解して、叶えてあげたいという考えに至る。
けど、口づけ――キスか。
女性相手だと、今世発となるから、とても緊張する。
「えっと。じゃあ、いくよ?」
「は、はい。お願いします」
お互いに間抜けな受け答えをしてから、俺は顔を近づけ、パルベラは目をゆっくりと閉じていく。
そうしてお互いの唇が重なり合い、一秒も経たないうちに、パルベラが両手で胸を押してきた。
どうかしたのかと顔を離してみると、そこには茹で上がったかのような真っ赤な顔があった。
「パルベラ、大丈夫?」
「へ、平気です。嬉し過ぎて、鼓動が凄くて、呼吸が上手くできなくて」
混乱したように支離滅裂な言葉を話す姿に、俺はなんだか悪いことをした気になってしまった。
「口づけは、ちょっと早かったのかもね」
「そう、かもしれません。でもその、離れるのは嫌なので、手を握ってはくれませんか?」
キス一つでのぼせたのに、大丈夫かなと心配になりつつ、俺はパルベラの手を握った。
手に触れた一瞬、パルベラの体が硬直したように見えたけど、すぐに普段の調子に戻っていた。
「ありがとうございます、ミリモスくん。お陰で、段々と落ち着いてきました」
「どういたしまして」
俺は返事をしながら、柔らかく笑うパルベラのことが、キスで顔を真っ赤にするほどの純真さも含めて、もっと好きになった。
そうして俺たちが手を繋ぎ合っていると、護衛として同室しているファミリスから、不満を表す小さな舌打ち音が聞こえてきたのだった。