百二十七話 準備中
騎士国の王城の中に入ってすぐ、執事らしき人から旅の汚れを落とすようにと言われ、パルベラ姫とファミリスと別れて身綺麗にすることになった。
水桶と手拭いを渡され、それらを使って、髪や体を拭いていく。
桶の水には草花の香料が入っていて、拭き終わった体の部分からいい匂いが立つようになっていた。
一通り身綺麗にしたところで、服装をどうするかの問題に気付く。
フェロニャ地域から直接騎士国に来たこともあって、礼服の類の用意はできなかったのだ。
恥を忍んで貸してもらうか迷っていると、俺の世話をしてくれている執事の人が教えてくれた。
「神聖騎士国は、その名の通り騎士の国。鎧や甲冑も礼服の内に入ります」
「じゃあ、着てきた鎧のまま、騎士王殿に会っても失礼ではないんですね?」
「最低限、汚れは拭いていただきたくはあります」
そういうことならと、整備用のボロ布で革鎧を磨くことにした。
戦争で返り血を浴びたことが何度もあるため、ボロ布が赤茶色に染まっていく。その色を水で洗い落としてから、硬く絞り、さらに革鎧を磨いていく。
表面の汚れが取れて艶が出てきたところで止め、どうせだからと魔導剣とパルベラ姫から貰った短剣も磨くことにしよう。
魔導剣を磨いているときは何も言われなかったけど、短剣を磨こうとしたら執事の人に止められてしまった。
「布はこちらで用意しますので、その汚れ切った布で磨かないでいただけますか」
執事の嫌そうな表情を見て、俺は失念していたことを思い出した。
この短剣は、ずっと俺の腰にあったので自分のものという意識が強かったけど、騎士王家の紋章がついている一品。
その短剣にある王と仰ぐ家の紋章を、他国の人間がボロ布で拭う姿を見て、面白い臣下はいないよな。
俺は有り難く真新しい布を受けとって、短剣を磨いていく。
一年以上も使い、戦争の前線でも共にしてきた剣だけあって、多少磨いただけじゃ汚れが落ちきれないけど、それは仕方がないと諦めよう。
さて、身綺麗にした体に、磨いた革鎧と剣を装備する。
騎士王と会う準備を整えると、執事が俺を先導して王城の中を案内する。
「騎士王様との面会は、大聖堂で行われます」
「聖堂、ですか?」
「はい。騎士王様は国の王と同時に、我らが奉じる神の教えを守る法王でもあらせられますので」
そういえば騎士国は騎士の国という面と、宗教国家という面も持ち合わせていたんだっけ。本来神聖術を身に着けるには、その宗教儀式を行ってしかできないって話もあったな。
そんな二面性のある国のトップだからこそ、騎士王は宗教のトップである法王でもあるというわけだ。
政教分離の反対、政教同一な国なんて、ところが変われば国の形態が違うのは当然だな。
俺はそう納得しながら、歩き進んでいる城の廊下の光景を観察する。
白い回廊、天井部分には宗教画らしい絵画が見事な筆致で描かれていて、壁や廊下の端に添えつけられているものは武器や鎧ばかり。ここでも、騎士国の二面性が現れている。
俺の見立てでは、廊下にある剣や鎧は芸術品ではなく実用品。有事の際には、これらを取って戦うんだろう。
となると、天上に絵画を描いているのも、なにかしらの意味があるのかもしれないな。
なんてことを考えていると、特徴的な大扉が見えてきた。扉の前には騎士らしい格好の人が二人、門番として立っている。
門番たちの手前に、さらに人影が二つ。
確かめるまでもなく、パルベラ姫とファミリスだった。パルベラ姫は綺麗なドレスアーマー姿で、ファミリスは普段からよく見る鎧甲冑姿だった。
「待たせちゃったかな?」
俺が遅参を詫びるように言うと、パルベラ姫は静かに首を横に振った。
「いえ。私たちも、いま来たばかりですから」
この言葉だけで判断すると、まるでデートの待ち合わせのよう。
そう気づいて俺は気恥しく感じたけど、パルベラ姫やファミリスは何とも思っていない様子。
むしろ、大扉の先にいるであろう人物――騎士王との面会に気を張っているようだった。
騎士王は二人が緊張するような相手なのかなと、ちょっとした疑問を抱きつつ、俺は大扉の前に歩みを進めた。
ここで門番が質問してくる。
「お名前を」
「ノネッテ国の王子でありロッチャ地域の領主、ミリモス・ノネッテ」
「騎士王様がお待ちです」
門番が大扉を開け始めると、開く扉の隙間から光が溢れてきて、こちらの目に突き刺さる。
俺は手で顔を覆うのはどうにか堪えたものの、目を眇めるのは止めることが出来なかった。
なんでこんなに眩しいのかと疑問に思いつつ、目を半分閉じている自分の顔つきは良い印象は持たれないだろう、なんて頓珍漢なことも考えていた。
やがて大扉が開き切り、その向こうにある聖堂の様子が目に入ってきた。
宗教的な模様細工がなされた白い柱が規則正しく並び、廊下より高い天井には巨大な宗教画が描かれてある。入口の対面にある玉座は一段高い位置に据え置かれ、その向こう側にある壁は一面に渡って色とりどりのステンドグラスになっていた。聖堂の左右の壁にも、大なり小なりのステンドグラスがはめ込まれていて、外からの陽光が差し入ってきている。
なるほど。聖堂の壁の大部分にステンドグラスがあり、入ってきた日の光が白い建材に反射しているから、扉が開いたときに眩しかったのか。
俺は瞬きを多くして眩しさに目を慣らしながら、聖堂の中へ堂々と入っていくことにした。
すると、すぐ後ろから追従してくる足音が二つ。パルベラ姫とファミリスのものだろう。
そのまま俺は歩みを進め、玉座に座る騎士王と儀礼的に正しい距離で静止する。
「ノネッテ国の王子、ミリモス・ノネッテ。騎士王殿がお呼びと知り、こうして参上いたしました」
発言しながら、ここで一礼する。ただし俺は小国と言えど王族の子であり領主という立場なので、跪いての礼までは行わず、会釈とお辞儀の間ぐらいの仕草で頭を下げるだけだ。
この礼の仕方は、自分は貴方の下ではないと表明することに繋がるので、大国の王相手には不敬に取られかねない行為ではある。
でも俺が知っている礼法なんて、兵士としての作法と、いまやった領主として立った王子の作法しか知らないのだから仕方がない。
これで機嫌を損ねられたら、それまでだななんて思っていると、騎士王とは違う場所から戦意が飛んできた。
目だけ動かして確認すると、騎士国の重鎮らしき人たちが、ずらっと並んでいた。
聖堂の眩しさと騎士王に注視し過ぎていて、他の人たちがいることを見落としていたようだ。
恐らく、この重鎮たちも神聖術の使い手だ。
これだけの数が怒りに任せて襲ってきたら、逃げるしか対処しようがないな。いざとなったらステンドグラスを破って脱出しよう。
そんな空想していたところで、騎士王が片手を上げる。すると、重鎮たちから来ていた戦意が、嘘のように消えた。
「よく来た、ミリモス・ノネッテ王子」
深く静かな、深海を思わせるバリトンボイス。
その静かな中に含まれる力強さに、思わず頭を下げたくなってしまう威厳があった。
流石は大国の王だなと感心しながらも、この面会の行き先がいまから心配になってしまう俺だった。