閑話 ザードゥ砦から
俺たち――ハータウトの王城で捕虜の運搬のために残ったロッチャの兵士たちは、ミリモス王子の命令でザードゥ砦までやってきた。
それもこれも、ここからプルニャ国へ逆襲しろだなんて無茶を言われたからだ。
砦にいるロッチャの兵も合わせると、四千人。これでプルニャ国を攻め落とさないといけないだなんてな。しがない地方部隊の隊長だった俺には骨なことだ。
「本当に逆侵攻をするんです?」
兵士の一人の質問に、俺はしかめっ面になる。
「ミリモス王子はロッチャの領主だぞ。その命令は行わなきゃならねえだろう。だが、その侵攻が無理とわかれば、無駄な犠牲を出さないために、この砦で止まる手もあるだろうな」
「それじゃあ!」
喜色を浮かべる兵士の頭を、俺は手で押し下げた。
「馬鹿。そう嬉しそうにするな。あくまで、手がないか探して、ないと分かったらの話だ」
「わかってますって。探すふりで済ませるってことでしょう」
「いいか。俺は、そうは言ってないぞ?」
「そうですね。そうは言ってませんでした」
察しが良いのも困りものだなと思いつつ、砦に入ってからロッチャの兵たちに事情を話して、その反応を見て回ることにした。
「――つーわけで、プルニャ国を攻め落とさないといけないわけだが、無理だよな?」
「この砦にはハータウトの王太子がいるんで、守りの兵は必要なんで、四千人のロッチャ兵全てを使えるかは怪しいかなと」
「ハータウトの兵だっているだろう。奴らが砦と王太子を守ればいいだろう?」
「あいつらは弓矢の腕はいいんですが、白兵戦があまり強くないんで、不安があるんです」
だからこそ、ロッチャ兵の数十人は置いていかないと、砦が陥落して王太子が死ぬかもしれないということらしい。
なるほど、砦の防衛にロッチャ兵の人数を割かざるを得ないため、プルニャ国への侵攻は難しいと、一つ理由ができたな。
また別の兵に話を聞く。
「プルニャ国の兵隊たちはどんな感じだ?」
「奴ら、王太子が砦に入った後に一度だけ総攻撃をかけてきたんですがね、オレらが防衛しきって追い散らされて以降は大人しいものですよ」
「まともに次の戦いができないほどの痛手を、プルニャ国側は負ったってことか?」
もしそうなら逆襲する好機――つまりミリモス王子の命令を実行しなきゃいけないということだった。
俺が内心の危惧を顔に出さずに反応を待っていると、目の前の兵士の首が横に振られた。
「ところが、そうでもねえのですよ。ミリモス王子が残してくれた木の鳥で、奴らの陣地を覗いてみたんですがね。多少の怪我人はいても、ほぼほぼピンピンしてたんですぜ」
「つまり、連中は長期戦の構えで、この砦を兵糧攻めにする気でいると?」
「いいや、恐らくですがね。奴ら、フェロコニー国の軍勢が援軍でやってくると信じているんじゃねえかなと。そしてフェロコニー国の軍勢とプルニャの兵で共同して、この砦を落とすつもりなんじゃねえかなと」
「ハータウトの王城は解放され、フェロコニー国の軍勢は追い散らされた後だぞ?」
「そんな情報、ここまで来ちゃいませんぜ。なんせオレらだって、アンタさんから聞いて初めて知ったんですからね」
この兵士の考えを纏めると、プルニャ国の軍勢は長期戦を見越した包囲戦の構え――つまり砦を囲む形で防御を固めている。そのため、ここで俺たちが砦を出て強襲したとしても、それを受け止められてしまうに違いない。
これでミリモス王子の命令に従わなくても良い材料が、二つになった。
せめてもう一つぐらい、ミリモス王子の命令を実行しなかった理由が欲しいと、また別の兵士に質問することにした。
「――というわけでだ、ミリモス王子の命令でプルニャ国へ逆侵攻をしなければいけないわけだ」
慣れた説明を終えると、その兵士――ザードゥ砦でロッチャ兵のまとめ役をやっていた人物――は目を輝かせてきた。
この兵士の表情が『絶好の考えがある』と物語っていて、俺は嫌な予感がした。
「そういうことでしたら、この作戦書の草案をご覧ください」
差し出されたのは、プルニャの兵たちへの逆襲計画だった。
草案と言う割には、プルニャの陣営のどこに食料集積地があるのか、どこに司令官の天幕があるのか、食事は何時行うのか、夜警がどの順路を通るのかが細かく書かれていた。
「この情報を、どうやって?」
「はい! ミリモス王子が残してくれた、木の鳥を使用し、上空から見て得たものです」
嫌な置き土産をしてくれたなと、ミリモス王子に恨み言を抱きながら、俺は草案の紙をさらにめくる。そして驚愕した。
「本当にこんな戦法を使うのか?」
「この包囲下で、我々が連中を完膚なきまでに打ち負かすには、敵側に混乱が起るよう仕向けないといけませんからね」
「それにしたって、ミリモス王子の研究部が生産した、木の鳥を使い捨てにするだなんて」
「問題ありません! 逆侵攻の際に使う分の木の鳥は残しますので!」
いやいや、問題大ありだろう。
この草案を実行したら、俺がミリモス王子に嫌味を言われることになるぞ、絶対に。
でもだ。この草案にある作戦は、実行すれば功績を上げる公算が高い。
それこそ、先の二つの『やらなくていい理由』を帳消しにするどころか、『やらなくてはいけない理由』に比重が傾くほどだ。
くそぅ、欲をかかずに理由は二つで満足するべきだったか。
いやいや。こうして草案になっているんだ。遅かれ早かれ、俺の元に届けられたに違いない。
俺はやるせない気持ちを抱えつつも、決断しなければいけなかった。
「わかった。この作戦を行ってみよう。ついてはハータウトの王太子に、実行のお伺いを立てなければいけないな」
「了解です! では自分が、すぐにエイキン王太子にお会いできるように取り計らいます!」
自信満々の様子に、俺は面食らった。
「おいおい。王太子との面会だなんて、普通はこちらが申し込んでから、相手側が受け入れることで実現できることだろう?」
「そうでもないですよ。エイキン王太子は「逃げ延びてきただけの自分は、この砦の居候も同然だ」と、気安く兵士と交流しています。それこそ、他国の兵である自分ですら王太子と酒を酌み交わしたことすらあるぐらいです」
「王子って連中は、常識をどこかに置き忘れているんじゃねえのか……」
思わず口を出た愚痴に気付き、俺は目の前の兵士に冗談だと示す身振りをしておくことにした。
「ともあれだ。王太子と面会をする。案内してくれ」
「はい。では、こちらに」
俺は兵士に案内されながら、心の中ではエイキン王太子が、この草案にある作戦を拒否しないかと期待していた。
なにせ、今の砦の状況は戦時下ながら平和だ。それなのに、ここで俺たちロッチャの兵が砦を出たら、その平和が崩れかねないわけだ。
王城から逃げ延びてまで保身を重視した王太子なら、我が身可愛さで作戦を止めるように言うのではないか。
そんな俺の公算は、すぐに崩れることになる。
「ミリモス王子の命令か――分かった。ロッチャの兵は、この砦を出た後で、好きに行動するといい。砦は、ハータウトの兵だけいれば持たせられるからな」
エイキン王太子の発言に、俺は目を丸くし、思わず聞き返してしまう。
「いいんですか?」
「無論だ。それに、君らがプルニャの兵たちを追い払ってくれるのなら、今の状況よりもより安全になるからね。それに、この砦を脱出し、王城に戻ることも可能かもしれない」
エイキン王太子の考えを聞いて、俺の思考がお粗末だったと知った。
エイキン王太子は自分の身を案じてはいるが、現状の一時の平和に耽溺して、より高い安全を手にする機会を失うような愚かな人物ではなかったらしい。
人物を見誤っていたなと思い、そしてミリモス王子の命令を拒否する理由も失われてしまったことに気付く。
はー、やりたくねえが、やらないといけないわけだよな。
ちくしょう。絶対に後でミリモス王子に嫌味を言われるぞ。
なにせ、数十機の木の鳥に松明や油壷を括りつけ、敵の食糧貯蔵場所や指揮官の天幕に突撃させるなんて、馬鹿な真似をするんだからな。
だが、世界でだれもやったことのない奇妙な戦法なだけあって、プルニャの兵たちが泡を食うのは確実だ。
そしてその混乱に乗じて、ロッチャの兵たちが砦を出て、組織的抵抗が難しくなっているプルニャの兵たちを殲滅していくわけだ。
成功する公算の高い戦いかつ、仲間の損害を減らすことができる作戦でもある。
やらない手はないのだが、実行した後を考えると気が重くなるのも確かだった。