百七話 エイキン王太子の選択
伝令が来てから三日後、エイキン王太子とその一家がザードゥ砦に入ってきた。
そして、恐らくプルニャ国の監視がその姿を見ていたのだろう、突然プルニャ国の兵士たちが攻め入ってきた。
砦の内と外で戦いが始まるが、俺は砦の責任者であるアーダに指揮を任せ、エイキン王太子と二人で会談することにした。
「お、おい。敵兵が攻めてきているのに、呑気に会話なんてしている場合では……」
よほど王城でフェロコニー国の軍勢に痛い目を見たのだろう、エイキン王太子が青い顔で言ってくる。
俺は安心させるように微笑んでみせた。
「平気です。この砦にいる兵たちは優秀ですから、少ししたら撃退してみせますよ」
兵士たちを信じてはいるけど、無駄話していい状況でもない。早速エイキン王太子に、ハータウトの王城周辺の状況を聞くことにした。
「それで、フェロコニー国の急襲を受けて、王城まで後退したそうですが」
「そうなのだ。まさか連中、帝国と我が国の緩衝地帯を進軍しくるとは。下手をしたら帝国に付け入る口実を与える蛮行だぞ」
予想外の方法で出し抜かれて口惜しい気持ちはわかるけど、自分が間抜けだったと言っているようなものだって自覚はあるのだろうか。
だって、帝国がこの戦いには出てくるはずがないのだから。
なにせ、ロッチャ地域からハータウト国への武器を輸出する際、盗賊に偽ったフェロコニー国の軍勢を帝国領内に通している。これは帝国との密約がなければできないこと。
そしてロッチャの武器がハータウト国に渡った後、冬から夏にかけての時間で、緩衝地帯を通る作戦も帝国に伝えてあったに違いない。
結論として、ハータウト国よりフェロコニー国が一枚上手だっただけ。
俺は、エイキン王太子の身の上に同情はできても、この戦略的な失態についてはそうはできない気持ちが強い。
でも、そんなことを直接伝えると不和の元なので、曖昧な笑みで誤魔化すことにした。
「これからどうする積もりでしょう?」
「どうするだと!? もちろん、この砦の兵を集めて、王城に救援に向かうに決まっているだろう!」
気持ちはわかるけど、それは大悪手だ。
「この砦はプルニャ国の軍勢への備えですよ。そこを空にしたら、前と後ろから挟まれますよ?」
「わかっている! わかっているが、王城が落ちたら、この砦が無事であっても意味がないだろう!」
「そうでしょうね。ハータウト国としては、でしょうけど」
俺は言外に、俺とロッチャ地域の兵たちは他国の人間で、エイキン王太子の考えに従う必要がないんだぞと告げる。
この意味をエイキン王太子は正しく理解したようで、混乱と焦りで滅茶苦茶だった思考回路がやや落ち着いたようだ。
「すまない。ミリモス王子と援軍の方々には、いくら感謝しても足りないほどだ。だが無礼を承知でお願いしたい。王城を、そして国土を奪還する手助けをしてはくれないか?」
エイキン王太子のお願いを聞いて、俺はこの場にパルベラ姫とファミリスを同席させなくてよかったと安堵する。
騎士国基準の『正しさ』から、無条件に軍勢を貸すように言われてしまうかもしれなかったからだ。
まあ、俺とロッチャの兵たちは、ハータウト国が滅びるなら、ロッチャ地域に帰る必要がある。そして帰るためには、王都周辺に展開するフェロコニー国の軍勢を突破しなければいけない。さらに安全に帰るためには、プルニャ国の軍勢に背後を脅かされるわけにはいかないので、ザードゥ砦が陥落してもいけない。
つまり状況的には、俺はハータウト国に助けの手を伸ばさないと、共倒れになりそうな状況だから、手を貸す分にはやぶさかではない。
でも、得られそうな利益をみすみす見逃す必要もないのも確かだ。
ここで俺は打算づくめの内心を隠して、エイキン王太子に厳しい目を向ける。
「その行為に、こちらにどんな益があると? ロッチャ地域の領主としては、フェロコニー国がハータウト国を占領したところで、次はフェロコニー国と国交を結べばいいだけのことです」
「ミリモス王子! ハータウト国を見捨てるというのか!」
「慈善活動で戦争に参加なんてできるわけがないじゃないですか。だからこそ、俺に見捨てられないで済むだけの――ロッチャの軍勢を貸すに足る利益を提示しろといっているんですよ」
さあ何を差し出すと脅すと、エイキン王太子は苦悩の表情になった。
「……なにが欲しい」
「こちらに判断を委ねていいんですか? 本気でハータウト国の全てを取りにいくかもしれませんよ?」
白紙の小切手を渡すに等しい蛮行を咎めると、エイキン王太子が頭を抱えた。
「ミリモス王子が納得し得る条件に、当てはない。それこそ国を売るぐらいしか考え付かない」
もっと色々と提示できるだろうとは思うのだけど、俺が大して親しくないエイキン王太子に優しくする理由もないか。
「その条件なら、たしかにロッチャの軍勢を動かすに足る理由になりますね。でも、それは『王太子』が決めていい条件ではないでしょう?」
「国を売り渡すなど、国王しか決めることができない。だが既にクェルチャ三世の退位は決まっているのだ」
「この国難の際に退位が決まったとは?」
「昔からハータウト国では国策の重大な失態を国王の退位で濯いできた。今回の王城まで敵軍に攻められたという失態も、それに準ずることになる」
「つまり、エイキン王太子が次の国王に決まったも同然の状況なので、新国王として約束手形を切っても問題はないと?」
「似た前例があるため、不履行にはならないと約束する」
なんというか、強引すぎる手段だな。
そしてエイキン王太子は約束するとは言うが、戦争が終わった後に取り立てようとして、そんな約束は無効だと言ってくる可能性も残っている。
例えば、エイキン王太子が次の王にはならず、この砦に同行している彼の息子が王になった場合、エイキン王太子の約束は『次王としての約束』とはならず、王太子が身分に不相応の約束を『勝手に』したという形になり、なかったことにされてしまうこともあり得るのだ。
そんな一歩間違えれば空手形になりそうな約束に、俺は乗る気はなかった。
「次王としての約束ではなく、いまのエイキン王太子の権限で可能な限りの提案をしてください」
「王太子の権限で、だと?」
「その方が、確実に約束は履行されるでしょうから」
俺の手を緩めない交渉に、エイキン王太子は苦悩の度合いを強める。
「……ミリモス王子とロッチャの軍勢が手にしたものは、戦後全てそちらの取り分にする。そのぐらいしか、王太子の身分では約束できないが?」
ふむ、まあまあの落としどころだろう。
それに、俺たちが頑張れば頑張るほどに利益が上がる点が、個人的にもいい。
「分かりました。その約束で、この戦争にロッチャの兵を本格参入させましょう」
「おお、では!」
「フェロコニー国の軍勢を打ち破ることをお約束しますよ」
俺はエイキン王太子に約束を書状にさせてから、
「では、約束を履行するためにやるべきことがありますので、数日時間をいただきます」
「王城の状況は悪い。出来るだけ急いで欲しい」
「安心してください。最悪、陥落されたとしても、奪い返してみせますから」
俺はエイキン王太子と別れると、ロッチャの熟練兵を探して外へ。
程なくして目的の人物が見つかり、彼に耳打ちする。
「俺はロッチャ地域に戻り、残していた兵力を集めてハータウト国の王城に救援に行くから、この砦の守りを頼んだ。もちろん砦の指揮官のアーダと共同してだよ」
「任せてくださいよ。この十数日で、奴さんとはツーカーの仲。逃げてきた王太子ともども、過不足なく守ってやりますとも」
「……俺がどうやってロッチャ地域に戻るかは、聞かないんだ?」
「そりゃあ、騎士国の騎士さんと同じようになさるんでしょ。わかってますとも」
それはその通りなのだけど、本当にわかっているのかと疑問だ。
俺の困惑の表情をどう受け止めたのか、熟練兵はもう一言だけ付け加えてきた。
「もう少ししたら戦闘は落ち着くはずなので、その後に出るといいな」
「わかったよ。馬の準備をしたら、すぐに出るから」
俺は彼と別れてから、パルベラ姫とファミリスのところへ。
「二人とも、ちょっといいかな?」
そう声をかけながら近づくと、ファミリスは脱いでいた兜を小脇に抱えだす。
「ミリモス王子が私たちを尋ねてきたということは、ロッチャ地域に戻る気のようですね」
「もちろん、同行します!」
パルベラ姫の言葉を受け、俺がどうして考えを読まれたのかと目を白黒させていると、パルベラ姫とファミリスが笑顔になる。
「この状況でミリモスくんなら待つよりも攻めるだろうなって、ファミリスと話していたんです」
「まさにそのとき、ミリモス王子がやってきたのですよ」
予想は間違っていないと確信している二人。俺は考えを読まれていたことに対する納得と、これから二人を出し抜くことは諦めるしかないという心境になった。
「砦を脱出したら、ロッチャ地域で兵を纏めて、ハータウト国の王城を攻めているっていうフェロコニー国の軍勢を打ち倒すことに決めた。籠城戦は、援軍があってこそだって兵法書に書いてあったしね。けど援軍を待つことが期待できない状況だから、こちらから動いて援軍を作ることにしたんだよ」
俺の考えを説明しながら、二人と共に馬を繋いである場所へと向かうったのだった。