九十九話 十四歳になりました
平和な時は過ぎるのが早いもので、もう夏になった。夏麦は実りをつけ始め、野草や樹木の深緑は眩しい。
そして夏になったということは、俺の年齢が十四歳に更新されたということでもある。
年齢を無事に重ねられたことは嬉しいものだけど、特別祝われることでもない。
そんな考えを、以前にアテンツァから釘を刺されたこともあって数日に一度顔を合わせて会話するようになった、アンビトース地域の人質であるジヴェルデに語った。
「あら。侵略者が民に祝われないことは当然でしょうけど、騎士国の姫も祝ってはくれないのですの?」
「パルベラ姫とは、つい先日街に繰り出して昼食を取ったとき、『お互いに一つ年を取りましたね』って笑い合ったぐらいだね」
「ふーん。政務をほっぽっといて逢引きだなんて、統治者としての自覚が足りないんじゃありませんの?」
「ファミリスとホネスもその場にいたから逢引きといえるかはわからないけど、政務はほったらかしにしていないよ。ちゃんと支障がないようにしてから行ったからね」
「どちらにせよ、祝ってはもらえていないのですわよね?」
ジヴェルデは、生まれが王の権力が高かったアンビトース国の姫だからか、ナチュラルに失礼な物言いをする。
けどそれは、悪意があってのことではなく、それ以外に言い方をしらないだけだと、ここ最近気づいた。
良い言い方をするなら、普通の言い方をするほど俺に心を許しているということ。
もっとも、給仕をしてくれているアテンツァは、ジヴェルデの言葉遣いに気が気でない様子だけどね。
「ジヴェルデ。ミリモス王子に失礼でしょう」
「いいじゃない、アテンツァ姉さま。このぐらいで怒るほど、ミリモス王子は狭量な人じゃないのですから」
「まったくもう。ミリモス王子、申し訳ありません」
「いや、いいよ。いまさら丁寧な口調に直されても、違和感しかないしね」
俺が苦笑いしながら許可すると、ジヴェルデは『それみたことか』と言いたげに得意げな態度になる。
「二国を打ち倒した英雄様は、小娘の戯言なんて気にしないものですわ」
「この子は。ミリモス王子の癇に触れたら、首を落とされても仕方がない立場だと、ちゃんと理解しているのかしら」
「平気ですわ。ミリモス王子のこと、信頼していますもの」
「たとえ口だけでも、信頼と言われたら悪い気はしないね」
そんな談笑をしていると、この部屋の扉がノックされた。
給仕はアテンツァがやってくれているので、ジヴェルデの世話をするために使用人が入ってくるはずはない。
ということは、俺に用がある人かな。
俺はアテンツァとジヴェルデに断わりを入れてから、扉に近づき、少しだけ開ける。廊下に居たのは、伝令だった。
「先触れの方がやってまいりました」
その報告を聞いて、俺は小首を傾げる。
「先触れを出してくるほど地位が高い人と、面会する予定はなかったはずだよ」
「やってきます方は、ミリモス王子の姉君――ソレリーナ・アナローギ様です」
「ソレリーナ姉上が? ノネッテ本国で産後の肥立ちと生まれた男の子の養育をしているはずじゃ?」
「十分に首が座ったから夫の元に帰るとの仰せだそうで」
「その帰り道の途中で、この城に顔を出したってことか。わかった、ありがとう。すぐに行くよ」
俺は伝令を下がらせてから、ジヴェルデに向き直った。
「悪いけど、今日はここまでになるね」
「謝らなくてもいいですわ。殿方の仕事を我が侭で邪魔するほど、意地悪な女ではないつもりですわよ」
さっさと行けと手ぶりが来た。
ほんとうに懐かない猫のような女の子だな。でも、近くにはいない種類の人で物珍しさが勝つため、悪感情は抱かない。
申し訳ないと身振りで謝るアテンツァに、気にしなくていいと身振りを返し、俺は部屋を出ていった。
執務室に戻ると、すでにソレリーナが使用人連れで待機していた。
「お待たせ、ソレリーナ姉上」
言葉を掛けながら観察すると、子供一人を生んだにしては、腰元に余計な肉がついていなかった。
「なんか出産後だっていうのに、前よりも引き締まった体つきになってない?」
「弛んだお腹を引き締めるため、ここ十数日の間は運動漬けした成果ですよ」
「子供を産んだ後で、脂肪じゃなくて筋肉が増えた女性の話なんて、聞いたのは初めてだよ。それで生んだ男の子は?」
「寝ています。起こすといけないので、この場には連れてきていません。もしかしてミリモス、見たかったかしら?」
「興味がないと言えばウソになるけど、赤ん坊の勘気を買ってまで見たいとは思わないね」
他愛無い会話をしていると、ソレリーナが使用人に指を振った。
どういう意味かと見守っていると、使用人が綺麗な布に包まれた何かを俺に差し出してきた。
「これは?」
「ミリモスへ、誕生日の贈り物よ。開けてごらんなさいな」
包みの布を取り払うと、細かな色とりどりの色付きガラスが組み合わせた、一つのペンダントネックレス。
見た目はビーズ細工のようだけど、これが全てガラスで出来ているため、この世界の技術を鑑みるとかなりの高額なものだ。
そしてこの製品は、ロッチャ地域では作られていない。
「これはスポザート国の製品?」
「その通りよ。ミリモスが帝国にガラス製品を浸透させたのを見て、うちはより芸術性の高いものを輸出することにしたの」
流石はソレリーナ。恋に落ちなければ、ノネッテの時期女王と目されていた人だけあり、商機にも聡いようだ。
「それでミリモス。それは売れるかしら?」
「物珍しいし、十分に売れると思うよ。けど硝子は壊れやすいという部分が、気になる点ではあるかな。貴人の体に触れるものだし、割れて肌を傷つけでもしたら、問題になりそうだよね」
「それなら、割れない硝子を研究開発するしかないわね。それまでは宝石替わりに、一部に使用するにとどめましょう」
話が一区切りついたところで、俺はガラスのネックレスを布の中に戻そうとすると、ソレリーナが微笑んできた。
「それはあげるから、騎士国の姫に渡したらどうかしら。たしか彼女も、ミリモスと誕生日が近いのだったわよね?」
どこで情報を手に入れたのかと驚いたけど、まあソレリーナだしと納得する。
「パルベラ姫に贈り物をしたいんなら、自分でやった方が良いよ」
「分かっていないわね。同じものを送ろうと、私に渡されるより、ミリモスに渡された方が、あの姫には嬉しいに決まっているじゃない」
「下世話な話も耳に入っているってことね」
ソレリーナの情報収集能力に舌を巻きながらも、俺は反撃する。
「そういうことなら、ご心配なく。先日、ソレリーナ姫と街に遊びに行きましたので」
「あら、保護者同伴の逢引きだったと聞くけど、あの姫は本当に満足だったのかしら?」
「そう信じてますよ、俺はね」
必要がないとガラスのネックレスを突き返そうとするが、ソレリーナにやんわりと止められた。
「それはミリモスにあげたもの。こちらに渡してもらっては困ってしまうわ」
「……そういうことなら、受け取っておくよ。引き出しの肥やしになるだけだろうけどね」
俺はガラスのネックレスを執務机の引き出しに仕舞った。
その後、俺とソレリーナが茶と菓子を楽しみながら、二言三言と会話を重ねたところで、ソレリーナが不意に言葉を零した。
「ミリモスが援助したハータウト国。このままいくと、苦しい戦いになるわよ」
「なんでそんな話が、いきなり出てくるかな」
詳しい話を聞こうとするが、ソレリーナはわざとらしく「いっけなーい」と言って立ち上がり、会話を打ち切りにかかってきた。
「ミリモスのところに長居する気はなかったのよ。少しでも早く、愛しい旦那に、成長した子を見せないと」
「ちょっと、ソレリーナ姉上!」
「ミリモスにも、ちゃんと目と耳は『居る』んでしょ。そっちに聞きなさいね」
「確かに諜報員は放っているけど、って、もう廊下に出ちゃってるし!」
「頑張りなさいね、期待しているわ」
ひらひらと手を振りながら去るソレリーナと、一礼して後を追う使用人たち。
ここで俺は遅まきながらに悟る。赤ん坊を連れてこなかったのは、こうしてさっと立ち去るためだったのだと。
「まったくもう。言いかけたことを全部言ったところで、時間の差がさほどあるわけじゃないっていうのに」
いまからソレリーナを止めて真意を聞きだしたところで意味はない。
ソレリーナの性格からして、絶対に教えてくれないだろうしね。
仕方がない。急いでハータウト国とフェロコニー国の情報を収集するとしますか。