九十八話 時は経つ
ロッチャ地域の武器を売ったことが功を奏したのか、ハータウト国とフェロコニー国は開戦しないまま冬を越して春になった。
戦争を先延ばしになっただけともいえるけど、フェロコニー国の主力が傭兵だって噂があったことを考えると、傭兵を抱えているぶんだけフェロコニー国に金銭的負担をかけているとも言い換えられる。つまり平和な時間経過は、ハータウト国に味方してくれる存在になっているということだ。
「それにしても長閑だなー」
問題もない日常とあたたかな日差しに、つい眠くなってしまう。
けれど、執務机の上には大量の書類――冬が終わったことで、本格的に各地や各部署が活動を開始したことによるものだ。
「領主の裁量がなければ動けないからって、春になった瞬間にドッと出してこなくたっていいのに」
「センパイ! 口を動かさず、手を動かしてください!」
ホネスに叱られて、渋々に書類仕事を進めていく。
帝国への借金の一部を返済。夏麦の種まきの開始。各地の反乱の兆候はなく平穏。ハータウト国からの物資で鍛冶の生産量が向上する予定。フェロコニー国に悪い動向はなし。
「アンビトース地域の領主になったヴィシカ兄上の統治も、順調のようだね」
「ロッチャ地域が白砂を大量に購入しているんです。そのお金で統治を進めているって聞きました」
「アンビトースの民は、国より地域より家族が大事だからね。金を撒いて経済が好調になり、家族が平穏に暮らせるようになったなら、国に騒動は怒らないってことかな」
そんなアンビトース地域に住む民への、オーダーメイドでの武器輸出は続けられている。というより、同じ国になったことで、より注文が入るようになっていた。
増産したいので、こだわりの強いアンビトースの民が納得できる、腕のいい鍛冶師を追加で探しているものの、そうそう見つからないんだよなぁ。
ちなみにロッチャの武器は、国という形を持たない地域の砂漠の民の懐柔に使われてもいるらしく――
「――スポザート国と共同で、砂漠地帯の平定に乗り出しているのは知っているけど、贈り物に良い武器が必要だからって……」
大量の注文はあり難いのだけど、ノネッテの国策として砂漠の平定を目指している関係で、あまり多く利益を乗せられない。
要するに、手間が多い割に儲からない仕事でしかない。
しかもこの時に作る武器は撒き餌なのだ。武器の性能に興味を抱いた砂漠の民が、次にオーダーメイドで注文するように仕向けるためのだ。
莫大な利益を上げられる砂漠を貫く交易路を手中に収めたいのはわかるけど、利益度外視で他国や他の地域にいい顔をしようとすると、俺の足元が揺らぎかねないんだよなぁ。
「ヴィシカ兄上とドゥエレファ殿に抗議文を送るとしよう。ホネス、引き受けてくれる?」
「こちらの書類、二束で手を打ちますよ。センパイ」
「他地域や他国への形式ばった文面を考えるなら、安い取引だね」
「そうですか? 典型の型にハメて書くだけなので、簡単ですよ?」
「細部をチョコチョコ変えるのが苦手なんだよ。いっそ全部自分で書きたい。でも書いちゃうと、形式から外れちゃうし」
「慣れですよ、慣れ。センパイは頭がいいので、すぐにできるようになりますって」
「書ける人がいるんだから、そっちに任せれば慣れる時間も必要ない。そしてその時間で、他の書類を片付けられるし」
公式文章と引き換えに貰った書類が書き上がったので、ひらひらと振ってみせる。
ちなみにホネスはまだ、公式文章の執筆中だ。
「な、交換した方が早いだろ?」
「たしかにそうですね。次からは、もう一束追加することにします」
書類仕事をしながら軽妙に雑談を交わしていると、横からくすくすと笑い声が。
俺とホネスが揃って目を向けると、ソファーに座りながら書き物をしていたパルベラ姫が、口に手を当てながら笑っていた。
「ふふっ――いえ、失礼しました。お二人の冗談交じりの会話が耳心地よくなるぐらいに聞き慣れたと思ったら、急に可笑しくなってしまいまして」
なんでそんなことで笑えるのかよくわからないが、パルベラ姫は箸が転がっても可笑しい年頃だしね。
「別に笑ってくれる分には構わないけど。珍しいね、ここで書き物をしているだなんて?」
「本国から、監視報告を上げろと言われまして。どうせならお二人が書類仕事に集中しているのを見ながら書いてしまおうと」
「監視対象がいる俺の目の前で書いていいものなの?」
俺が質問すると、パルベラ姫の後ろに立って待機しているファミリスが口を開いた。
「パルベラ姫様は、最初ご自身のお部屋で書こうとなさっていたのですが、上手く捗らなかったのです」
「もう、ファミリスたら! そんなことをミリモスくんに言わなくたっていいじゃないの!」
パルベラ姫は一人きりでやるより、他の人がいる方が作業が捗る性格だったってことかな?
そういえば、俺がファミリスに神聖術の訓練をつけてもらうようになってから、パルベラ姫も張り切って訓練を始めたって聞いたことがあったな。
これはつまり、他の人がいる環境――俺という仲間がいた方が学ぶ意欲がより湧くって証拠と言えるだろう。
そんなことよりも気にするべきは、パルベラ姫が騎士国に送ろうとしている手紙の中身だ。
とはいえ、直に内容を聞くことは難しいはずなので、搦め手で行ってみよう。
「報告にかこつけて近況を知履帯だなんて、騎士王様はパルベラ姫のことを大事に思っているのでしょうね」
当たり障りのない探りの言葉を吐いたつもりだったのだけど、パルベラ姫とファミリスは困ったような顔つきだ。
「御父様が私のことを愛してくださっていることは確かなのですが……」
「騎士王様は公明正大なお方です。私生活以外で、娘だからと身贔屓することはありません。パルベラ姫様の報告を欲しているのは、純粋にミリモス王子の動向が気になっているからでしょう」
「事情はわかったけど。それでも父親なんだから、近況報告を知りたいぐらいには、娘の身を心配はしているんじゃない?」
「そうだと嬉しいですね」
寂しそうに見えるパルベラ姫の姿に、俺が疑問を抱いていると、ファミリスが事情を説明してくれた。
「パルベラ姫様は、神聖術があまりお得意ではありませんでした。それゆえに、騎士王様の次女姫様であろうと――いえ、あるがゆえに、侮るものも多くいたのです。そして騎士王様も公式の場では、パルベラ姫様のことも臣下の一人のような対応をなさっておいででした」
「ファミリスったら、それじゃあミリモスくんが勘違いするでしょう。御父様はちゃんと、私を家族の愛で包んでくださっていました」
パルベラ姫の顔は、騎士王のパルベラ姫に対する態度は公私で分けられていて、私生活では良い父親として愛してくれていたと真に信じている様子だ。
騎士国の国是の体現者が騎士王だと考えると、父親としての正しさと王としての正しさが重ならない部分があることは想像に易い。その矛盾の解消を、二面性で補っているってことだろう。
「それにしても騎士国は、うちのような小国――しかも帝国に接する国の、なにに興味を持っているんだろうね」
話題を変えるための一言は、パルベラ姫とファミリスに苦笑をもたらした。
「そう言うってことは、ミリモスくんは神聖騎士国の成り立ちを知らないのですね」
「その成り立ちが、ノネッテ国と似ているってこと?」
「ノネッテ国というよりかは、ミリモスくんの行動に似ているんです」
パルベラ姫に目配せされて、ファミリスがその成り立ちとやらを話し始めた。
「神聖騎士国は最初、ごくごく小さな国でした。そして世に飢饉が蔓延した時代になると、国土を他国に脅かされるようになります。当時の情勢では、神聖騎士国が奉じる神とその教えが異教と判断され、それが侵攻の理由になったと伝わっています」
「騎士国が大国になっていることから考えると、その侵攻のことごとくを打ち破ったってことだよね?」
「はい。現在からすると拙つ見える神聖術を用い、寡兵で大軍を退け、多くの犠牲を出しながら攻めてきた国の領地を没収していきました。国が大きくなると、攻めてくる国以外に、庇護下に入ろうとする国も現れ、それらを吸収合併することが繰り返されて、いつのまにかに今の版図となっていたのです」
騎士国にそんな歴史がと感慨を持っていると、パルベラ姫がくすりと笑った。
「その当時の騎士国の状況、ミリモスくんの今の状況と似てはいませんか?」
「いわれてみれば、戦争を吹っ掛けられるたびに、国土が増えているあたりは確かに」
でも似ているだけで、違う部分だってある。
「その当時の騎士国に隣接する位置に、帝国ほどの脅威となる大国はいなかったんじゃない?」
俺の切り返しに、ファミリスが不敵に笑う。
「当時に現在の神聖騎士国のような、正しさを標榜する大国は存在しなかったともいえますよ」
「大国の都合に振り回されているロッチャ地域か、それとも無秩序な戦争があった過去の騎士国、どっちがマシかってことか」
いままで俺の戦果で大きな役割を果たしてきた『一騎打ち』が、騎士国がいないと成り立たないことを考えると、今の方が万倍もマシだろうな。
「まとめると、騎士国が大国へとなる成り立ちに、俺の状況が似ているので興味を持たれている。そういうこと?」
「そうだからこそ、私は報告書をせっつかれているわけなのですよ」
「お願いだから、大げさには書かないでよ?」
「ふふっ。ちゃんと真実しか書きませんと、約束します」
「しかし真実のみを書こうと、騎士王様がミリモス王子に興味を持つことは止められないと思いますよ」
ファミリスの嫌な予想を聞いて、俺は眉を寄せてしまう。
「騎士国の歴史に似た状況だからって、俺みたいな小国の末弟王子のことなんて目に入らないものじゃない?」
「ミリモス王子の近況も、報告には書き入れます。特に、神聖術の伸びが著しい点や、パルベラ姫様が懸想をなさっている相手であることなどもです」
「……俺が注目されている主な理由は、父親として娘が好きになった男を見たいから?」
「もしくは、ミリモス王子がパルベラ姫様の恋心を知りつつも、返答を先延ばしにしていることで、我が娘のどこが気に入らないのかを問いただしたいと思われているかもしれません」
ファミリスが冗談交じりの口調を放ったところで、パルベラ姫は顔を真っ赤にしながらファミリスを平手でペチペチと叩き始めた。
「もうもう! なんでミリモスくんに言っちゃうの!」
「ミリモス王子は既に知っていましたので」
しれっと答えたファミリスの言葉に、パルベラ姫は俺に顔を向け、そしてさらに顔を羞恥で真っ赤にした。
「ううぅ! 報告書の続きは、部屋で書きますぅ!」
パルベラ姫は立ち上がると、執務室を疾風のような速さで駆けだしていった。ファミリスはその後を追いかけながら、すまし顔でこちらに一礼して去っていく。
それにしてもパルベラ姫。今までで一番、神聖術が上手く使えていたんじゃないかな。
現実逃避でそんな感想を抱いていたところ、執務作業を続行していたホネスに白い目で見られてしまった。
「さっきのセンパイ。女心を弄ぶクソ野郎のようですよ」
「仕方がないだろ。俺とパルベラ姫は、大小は違えど国の王子と姫だ。好いた惚れたで恋人になれるほど、軽い立場じゃないんだし」
「ふーん、なるほど。センパイの方も、脈がないわけじゃないんですね。後で教えてあげよっと」
誰に言うつもりかは、聞かなくても想像がついた。
そして下手に突くと、更なる藪蛇になると考え、一連の会話を棚上げすることに決めた。
「さーて、残っている書類仕事を片付けないとなー」
わざとらしく言いながら、俺は羽根ペンを机の上の書類に滑らしていくのだった。






