九十三話 宿屋での不穏
乾物屋以外からも国情を収集して、だいたいのハータウト国の状況はつかめた。
宿を取り、パルベラ姫とファミリスとは別の部屋に入り、俺は一人安堵する。ハータウト国がロッチャ地域の武器を欲した理由は、侵略的な野望のためじゃなさそうだからだ。
もっと言えば、騎士国からの監視であるファミリスにはばかることなく、武器輸出の目途が立ちそうだからでもある。
一応、ハータウト国の国王かその代理と面会して、本当の事情を聞きつつ、輸出に関する詳しい取り決めを詰めれる必要はあるのだけどね。
そんなことを考えながら、脱いだ革鎧と外した剣の整備を進めていると、宿の外に馬車が止まる音が聞こえた。続けて、野次馬が噂する話し声もだ。
なにかしらの状況変化があったのだと察知して、剣だけ先に腰につけなおした。
直後、宿の廊下をどしどしと歩く音が聞こえてきて、俺の部屋の前で止まった。いや、いくつかの足音は隣の部屋、パルベラ姫とファミリスのいる方へ向かっているようだった。
どういうことだろうと疑問に思っている間に、部屋の扉が蹴り開けられた。
現れたのは、兜と上半身鎧姿の兵士が五人。手には建物内で戦い易いようにか、剣を握っている。
「なんですか、いきなり」
俺は呆れ顔を作りながら言い放ちつつ、相手の技量を推し量る。
一人だけ熟練兵の雰囲気を感じるが、残りの四人は新兵も良いところに感じる。そして少年と大人で一対五の状況だからか、兵士たちの緊張感は薄い。この油断を突けば、神聖術を使わなくても勝てそうだ。
そう判断はしたものの、ハータウト国内で問題を起こす気はないので、戦う気はないと両手を軽く上げておくことにした。
「それで兵士さんたちは、俺に何の用があるのかな?」
純粋に疑問に思っての問いかけだったのだけど、相手はそう受け取ってくれなかったようで、いきなり兵士の一人が怒り顔で殴りかかってきた。
「生意気を言うな!」
怒鳴りつけ殴りつけて主導権を握るという、兵士ならの常套手段だ。
とはいえ、殴られると痛いのは当たり前なので、俺は食らってやる気はない。
兵士の拳の軌道を見切り、頭を後ろに下げて避ける――と、ここでファミリスとの訓練で染みついた戦闘行動が反射的に発動してしまい、腕が勝手に兵士の顎にアッパーカットを食らわせていた。
「あっ……」
俺がやってしまったと悔いる声を出した間に、殴り掛かってきた兵士は白目をむいて仰向けに倒れてしまった。どうやらよほどいい場所に、アッパーが入ってしまったらしい。
そして仲間が倒されたことで、兵士たちの警戒度が上がってしまった。
「貴様! 反抗するか!」
「反抗もなにも、そっちが手荒な真似をするからでしょうが。これは正当防衛ってやつですよ」
「ええい、大人しくしろ! 下手な真似をするのなら、怪我だけでは済まさんからな!」
兵士たちが部屋の中に展開する。熟練兵っぽい人が俺の正面、二人がその左右に位置取りする。最後の一人は、失神している兵士を介抱しながら部屋の外へ。
警戒を強めた大人三人との戦いか。彼我の技量を考慮すると、神聖術さえ使えば剣を使う必要もなく楽に勝てそうではある。
どうせならいっそ全員失神させて縛り上げた後で起こして事情を聞いた方が、スムーズに状況が運ぶかもしれない。
なんて物騒な思考回路になりそうになりかけていると、隣の部屋から宿を震わすような打撃音と大音声が聞こえてきた。
「貴様ら! 、この神聖騎士国の騎士ファミリス・テレスタジレッドだけならまだしも、騎士王様の御次女であらせられるパルベラ姫様までも間者と誹謗するとは、失礼千万! そっ首、斬り落としてくれる!」
ファミリスの本気で怒っている声。さらには神聖術を全開で発動させているらしき圧力まで、壁を隔てて感じられた。
この突然の状況に、俺の目の前にいる兵士たちはギョッとしている。そして混乱した様子で、俺に真偽を尋ねる目を向けてきた。
「確かに、あっちの二人は騎士国の人たちですよ」
「そ、そのお二方と同道している、あなたは?」
「ノネッテ国の王子、ミリモス・ノネッテ。ハータウト国の人たちなら、ロッチャ国を打ち倒して領主になった人物の方が通りがいいかな?」
俺が身分を明かすと、兵士たちの顔色が真っ青になった。
実は騎士国の騎士と姫を詐称するような人物は、この世界にはいない。なにせ詐称していると、どこからともなく本物の騎士国の騎士が現れ成敗されてしまうと、過去にあった事件から実証されているためだ。
その実例があるにも関わらず、騎士国の騎士を自称するということは、名乗っても構わない人物――つまりは本物であるという証明に繋がるわけだ。
このことを加味して考えると、彼らの今の状況は、片や正しさを標榜する騎士国の騎士と姫、片や隣接する土地の領主に剣を向けてしまったということ。
俺の方は取るに足りない小国の領主だから兎も角、騎士国の騎士に喧嘩を売ったとあれば、国の滅亡に直結し得る重大事だ。これは青い顔になるのも仕方がない。
そんな風に彼らの状況を分析している間に、俺の対面にいる熟練兵っぽい人が大声で命令を発していた。
「全員、剣を収めろ! なにやら通報の行き違いがあったに違いない!」
前半は兵士たちに、後半は俺たちに事情を伝えるような言葉だった。
兵士たちは大慌てで剣を鞘に仕舞い、さらには戦う意思を捨てたことを見せるためか兜まで取ってくれる。
隣の部屋でも同じ状況になっているのか、ファミリスの神聖術の圧力が薄まっていく。
とりあえず騒動は終息しつつあるなと考えて、俺は対面の熟練兵っぽい人に笑顔を向ける。
「どうして部屋に押し入ってきたか、事情を話してもらえますか?」
俺が笑顔でいることが理解できないのか、熟練兵っぽい人は恐怖の感情を顔にだす。
「は、はい。三人の旅人風の人物が聞き込みをして回って怪しいと、通報がありまして」
「旅人なら噂話を聞くぐらいはするでしょ? それだけで押し入るには強引じゃないかな?」
「本来なら捨て置くところなのですが、やけに身なりのいいお嬢さんと、立派な装備をつけた護衛が二人の組み合わせに、帝国からの旅行者に見せかけた間者ではないかと疑いが出まして。そのことについて話を聞くべきと、こうしてやってきたわけで」
「帝国の間者と誤認したにしても、この対応は行き過ぎじゃない?」
「いえいえ。帝国の間者であれば、魔法や魔導具を使わせないよう、速やかに踏み込むことが常套手段となってまして」
魔法は呪文を唱える必要があるし、魔導具は使用者の肉体に触れさせなければ発動しないもんな。
けど、それだけで無力化できると考えるには、帝国の間者を甘く見過ぎのような気がするんだよな。
そんな指摘をしても意味はないので、兵士たちが強硬手段を取った違う理由の推察を口にする。
「戦争への機運が高まりつつある状況だから、常に領土侵略を狙っている帝国が口出ししてくる口実を与えないように間者を警戒していた。そこに俺たちが情報収集をしていたものだから、間者ではないかと疑ってしまったって状況かな?」
「えっ。その通り、ですが……」
なんで裏の事情まで知っているんだ、と言いたげな目で見られてしまった。
俺は彼の疑いを誤魔化すため、愛想笑いをする。
「俺がこの街に来たのは、この国の国主と面会して、武器の輸出に関する取り決めを定めたいと考えていたからなんだ。そして騎士国の二人は、その監視だよ」
「武器の輸出と、監視ですか?」
「戦争をダシに金稼ぎをすることは、騎士国の国是に抵触するって感じなんだろうね」
実際にファミリスからそう言われていないものの、俺はそうだと確信している。
「そんなわけだから、国主と面会の予定が立つまで、この宿に留まる気でいたんだけど」
俺が勿体つけた言い方をすると、兵士は意図を汲んでくれた。
「この度の無礼な真似のお詫びにはなりませんが、ミリモス王子や騎士国のお二方の事情を上役に伝え、近日中にハータウト国王――クェルチャ三世陛下との面会が叶うように取り計らいます」
「そうしてくれると助かるよ」
「では、撤収させていただきます!」
兵士は敬礼をすると部屋から出ていき、廊下にいた部下を纏めると、逃げるように宿から立ち去っていった。
俺は彼らの後ろ姿を見送ってから、隣の部屋の様子を見にいくことにした。
開けっ放しになったままの扉をノックしてから、部屋と廊下の境に立つ。
「二人とも、問題はなかった?」
俺の質問に、ファミリスは憤懣やるかたない様子で、パルベラ姫は困り顔でいた。
「問題があるはずがないでしょう! いえ、問題はあります! 連中、パルベラ姫様の麗しいお姿を拝謁したのにもかかわらず、他国の間者だなどと誤認するなど! どこに目をつけているのか! こんな可愛らしい間者が、いてたまりますか!」
「もう、ファミリスったら。私を大事にしてくれている気持ちは分かるけど、いまはほら、ミリモスくんもいるから、押さえてよ」
「いいえ! ものの道理を弁えない輩の頭に、パルベラ姫様の愛らしさへの理解を詰め込まなければ!」
「ああもう、ミリモスくんは笑ってないで、ファミリスの暴走を止めてください!」
あの兵士たちの作法に問題があったことと、パルベラ姫の可愛さについては、ファミリスに同意したくなる。
とはいえ半泣き状態のパルベラ姫のお願いを無視はできないので、ファミリスを落ち着かせるべく奮闘することにしたのだった。