八十五話 平和な日
戦争後に待っていた書類の山の仕分けも終わり、平穏な日常がやってきた。
「……平和だ」
今日の分の執務が午前中に片付いたところで、俺は思わず呟いてしまう。
なにせ兵士として訓練をさせられるようになってから今まで、兵士としての生活、元帥就任と戦争、領主就任と戦争と、立て続けにイベントが起きまくっていた。
そんな日々と比べたら、いまの領主生活――執務とファミリスとの訓練も含めても――とても平和だ。それこそ平穏すぎて暇に感じてしまうほど。
空き時間がもったいないし、どう過ごしたものかと考えていると、執務室に監視名目で同席しているパルベラ姫が提案をしてきた。
「ミリモスくん。街の様子を見て回りに行きませんか?」
パルベラ姫がするにしては意外な誘いに感じたけど、それもいいかなと思いなおす。
「それじゃあ、護衛の人を呼ばないと――」
ホネスに命じようとしたところで、パルベラ姫に遮られた。
「私たちに護衛は必要ないでしょう。ミリモスくんとファミリスに勝てるような人材は、この街にはいないはずですし。それに私だって、ファミリスほど得手ではありませんけど、神聖術は使えるんですから」
そう言われて考えてみると、俺たちに護衛は必要ないか。
俺は自分の身は守れるし、ファミリスは一騎当千の強者だ。パルベラ姫にしたって神聖術を使えるなら、俺とファミリスが駆けつけるまで防御に徹すれば、生き延びることは可能だしね。
残る安全問題は、俺たちの話を横聞きしていた、ホネスだ。見るからに、すっかりとついてくる気になっている様子だ。
「あー。ホネスもついてくる?」
「いいんですか!? お邪魔じゃないですよね!」
ホネスが問いかける先は、俺じゃなくてパルベラ姫だ。
そのことを俺が不思議に思う前に、パルベラ姫がにこやかに返事していた。
「いままで同じ部屋で時を過ごした間柄ですもの。邪魔になんて思うはずがないじゃないですか。一緒に街を散策しましょうね」
「ありがとうございます! パルベラ姫様、優しくて嬉しいです!」
なんでホネスがここまでパルベラ姫を褒めそやしているのか理解できないけど、とにもかくにも、ホネスも散策に加わることに決まった。
まあホネスも、新兵として鍛えられていたから、チンピラ相手ぐらいなら遅れは取らないはずだ。護衛を頼むのは要らないな。
「じゃあ、出かけることを運営陣に伝えてから、街に散策にいくとしますか」
俺が椅子から立ち上がろうとすると、パルベラ姫が良いことを考え付いたという顔で片手を上げた。
「提案なのですが、民の格好をして散策しませんか?」
「身分を隠した、お忍びでの街歩きってこと?」
「はい。密かに街を見るという行いを、憧れていたんです」
良いところの姫様とお忍びでの街歩きは、定番といえば定番だもんな。
俺は意見を受け入れていいと考えながら、ファミリスに是非を尋ねる視線を向ける。ファミリスは『パルベラ姫が望むのなら』と考えてそうな表情ながら、渋々といった感じで頷き返してきたのだった。
俺たちは町人に見えるような衣服を着替えてから、城の勝手口に集合した。
俺とホネスの格好は、新兵時代に支給された、丈夫ながらも野暮ったい見た目の衣服。腰に護身用の短剣を差してはいるけど、服が体型に慣れた感じもあるので、傍から見ても普通の十三歳の子供――最大に穿って観察しても休暇中の新兵にしか見えないだろう。
一方でパルベラ姫とファミリスはというと、言っては悪いけど、明らかに市民用の服が似合っていなかった。
パルベラ姫は、町娘風の前掛け付きの厚手のワンピースのような服を着て、頭に帽子をかぶっている。だけど、ぱっと見でも衣服の生地は良い物だし、縫い目の仕事が丁寧過ぎ。いわば高級店が良いところのお嬢様に気遣って作った市民服、という感じをありありと発しているのだ。
ファミリスの方も、女性なのに男性用のズボン服かつ腰にはいつも下げているものと同じ剣と剣帯をしているので、格好からして『護衛です!』と主張している。
二人とも市民に偽装しているにしては浮いている格好なのだけど、本人たちは『完璧に偽装出来ている』と考えていそうな、得意げな顔をしているから始末に負えない。
ちゃんと指摘するべきか、それとも放置するべきか悩んでいると、ホネスがこっそりと耳打ちしてきた。
「センパイ。あの二人に、あれじゃあ市民に見えない、って言わなくていいんです?」
「……今回の目的は単なる街の散策だから、街の人に二人が良いところの出だと見られたって問題はないと思うんだ。うん」
残酷な事実を伝える勇気が出ないことを誤魔化した言い訳をして、俺はパルベラ姫とファミリスへ顔を向け直した。
「二人とも用意は万端のようだし、さっそく街に繰り出そうか」
「はい。自分の足で歩いての街歩きだなんて、初めての経験ですから、気分がうきうきしてきます」
「パルベラ姫様、ご安心ください。道中の危険は、全てこのファミリスが打ち払います。お気兼ねなく、市民の生活を堪能してください」
浮かれ調子の二人の姿に一抹の不安を抱きつつ、俺たちは街中へと歩みを進めていくことにした。
俺、パルベラ姫、ファミリス、そしてホネスの四人は、ロッチャ地域の各地を旅してまわったことがある。だけど、こうして中央都をぶらつくことは、何気に初めてだった。
ロッチャ地域の中央都は、俺が征服するよりも前から、鍛冶産業のメッカ。道を歩けば、そこかしこから鍛冶の音が、カンカンと聞こえてくる。
今は夏場。鍛冶屋の出入口は開け放たれていて、炉の熱気が外へと排出されている。そのため、鍛冶屋の近くは気温が数度高い気がする。
その開いた扉から中を伺うと、俺が研究部で薦めている火の魔法を使うよりも、炭を使っての鍛冶の方が主流のよう。鍛冶屋の隣の路地には大量の炭が置かれていて、木炭の店と石炭の店で分かれている。割合的には石炭の店の方が多い感じだな。
「上がってくる書類だと、石炭は領地内の山からとれて、木炭は樹木が多い東の隣国からの輸入品ってことだけど」
わざわざ輸入品を使うということは、何かしらのこだわりがあるんだろうな。
そんなことを考えながら道を歩いていくと、意外と料理店が多いことに気付く。
店舗を構えている店もいくつかあるけど、露店が多い。街に鉄製品と炭が豊富にあるからだろうか、焼き物や炒め物関係が主流っぽい。
俺が見ている間にも鍛冶師たちがやってきて、ささっと出来た料理を、パッと食べて戻っていく。
出来上がった料理の匂いが胃を刺激してきて、俺の腹の虫が鳴ってしまう。
成長期だから仕方がない、なんて内心で言い訳をしていると、他の人からの腹の音が聞こえてきた。
音がした方へ顔を向けると、ホネスが気恥ずかしそうにしている。
「えへへっ。美味しそうで、ついついです」
「空腹をガマンする必要はないんだし、ここで食事をしていこうか」
そう提案をしてから、パルベラ姫とファミリスの存在を思い出した。
片や大国の姫様で、片や正しさを標榜する騎士様。
露店で買い食いすることを拒否しても仕方がない、生まれ育ちのはずだ。
二人のために露店じゃなくて店舗に行くべきかとも考えたけど、当の二人が露店に興味を示してきた。
「野外の食事とはいえ、戦場の食事とは違う様子なので、興味があります」
「得てして、露店の方が安くて美味しいものです。押しなべて、多少不衛生な点はありますが、神聖術を使える者なら腹を壊したりはしませんしね」
ここで食事をとらない選択肢はないとばかりに、二人は自分から美味しそうな匂いがしてくる露店へと突撃していった。
俺は驚きから呆然としていたけど、自分の空腹に急かされて意識を戻し、二人が向かったのとは別の露店で料理を注文した。ホネスもまた別の露店で料理を購入してきた。
買ってきたものを手に、露店近くにあった机と椅子――木箱を材料に日曜大工で作られたような雑なもの――に座って、料理を食べることにした。
机に並べられた料理はというと。
パルベラ姫とファミリスが持ってきたのは、豆と緑野菜と干し肉の炒め物――中華のカシューナッツ炒めに似たものと、平たいパンが数枚。
俺が注文したのは、塩焼きそばに似た麺料理と、丸麦で作られたチャーハンのようなもの。
ホネスが運んできた料理は、木製のドンブリに入れられた、野菜沢山のスープと、とりわけ用の木皿だった。
それぞれが注文した料理を分け合ってから、一斉に食べ始める。
「ふむふむ。美味しいじゃないか」
前世の知識にある町の中華料理屋と似た味に、俺は大満足だ。ファミリスも口に合うのか、パクパクと食べ進めている。
しかし、パルベラ姫とホネスは意見が違うようだった。
「美味しいのですけど、随分と塩味が強いようですね。それと油も使っていて、コッテリしていてお腹に溜まってしまいますね」
「一口目、二口目はいいけど、食べ進めると辛くなってくるよね」
二人の意見は、ある種的を得ている。
「鍛冶仕事は火を前に作業するから、大量の汗をかく。すると水分と塩分がとても欲しくなってくるものなんだ。だから鍛冶師向けに作られている料理は、こうして塩味が強くなっているんだよ」
「塩と油という、活力の源がふんだんに入ったこの料理は、キツイ訓練をしたあとで食べた騎士寮の食事を思い出して、懐かしいです」
俺とファミリスの話を聞いて、パルベラ姫とホネスはなるほどと頷きながら、もう十分だと言いたげに食べる手を止める。
残すのはもったいないので、残った分は俺とファミリスで食べつくした。
使い終わった食器は、屋台が立ち並ぶ一角に置かれた水が張られた桶の中へ。樽の近くには十歳にも満たなそうな子供がいて、たわしのようなものと石鹸で食器を洗い、露店へと戻していく。
前世の日本の常識を知る身としては、衛生観念に疑問を抱きそうになる。
でも、露店の店主も店を利用する鍛冶師も当然のような顔でいるので、これがこの街での普通なんだろうな。
そんな中央都の情緒を楽しんだところで、腹ごなしを終えた俺たちは、街の散策を再開したのだった。