八噺 真実
ラプンツェルが塔の上の部屋で暮らし始めて二年。
十四歳となった彼女は、少し大人びた態度を取るようになった。
身長の伸びも緩やかなものとなり、徐々に女性らしい体格に変化してきていた。
そんな、ある日のことだった。
「おばあちゃん」
金色の髪を登って部屋に辿り着いた私に、間髪入れずラプンツェルが話しかけてくる。幼さが抜けつつある美しい声に、何かしらの覚悟と不安が入り混じっていることに気が付く。
彼女の透き通るような青い目は、普段とは様相の異なる強い眼差しをしていた。
「……どうした」
長い金髪を結び直しながら、彼女の視線は私を逃そうとしない。
「聞きたいことがあるの」
銀色の髪留めで幾重にも折り返した髪を留め、ゆっくりと、だがどこか決意に満ちた足取りでこちらへと近寄ってくる。
「ああ、相談なら何でも――」
「この二年間、私がこの塔から出ないようにしてたのは、どうして?」
――分かっていた。
いつか、この日が来ることは。
「こんな高い塔から一度も出そうとしないのは、一人暮らしの練習……そんな理由じゃないよね」
「……」
「階段も梯子もないし、明らかに私が外に出られないようにしてる。杖を作るときも、素材と設備のある城でやった方がずっと良かったはず」
どこか確信に満ちた口振りで、彼女は真実へと近付く。
「それに……私を産んだのは、おばあちゃんじゃないでしょ?」
そして、彼女の質問は核心に触れる。
「私の両親って、どうしてるの?」
私は彼女の青い瞳から力強い意志を感じ、眼差しから逃げるように自らの目を閉じた。
そして声を発するため、ゆっくりと大きく息を吸い込む。甘く優しい物語――私には分不相応な暖かな日々に、終止符を打つために。
「……ああ、お前は私と血の繋がりのない、赤の他人だ」
「……!!」
彼女の不信感を利用し、ここで親愛を切っておかなければならない。嫌われ者の私と仲良くなってしまっては、良いことは何もないばかりか不利益を被ることになるからだ。
同時に私が悪者だと認識させる。魔女にさらわれた可哀想な少女という肩書があれば、人里に戻った後でも丁寧に扱われるだろう。
驚いて目を見開くラプンツェルに、私は真実を語る覚悟を決めた。
出来る限り遠ざけ、私に親心など抱かぬように。間違っても、『魔女の子供』などと呼ばれることがないように。
「お前のその膨大な魔力は『神の加護』と呼ばれる希代の力だ。私はその力を掌握しようと赤ん坊のお前をさらい、ここまで育ててきた」
頭を下げる親からお前を奪ってきたのだ、と言い捨てると、ラプンツェルの碧眼が揺らぐ。
ズキリと心が痛むが、これも彼女のためである。私は追い打ちをかけるかのように言葉を紡ぐ。
「ここにお前を閉じ込めているのも、他の奴らに渡さないようにするためだ……取られたり、逃げられたりしたら困るからな」
机の上に置かれていた金色の杖を掴み、獰悪な笑顔を浮かべて彼女に押し付ける。
「訓練を怠らず、精々夢の役に立て」
「……」
「さて、今日は帰るか……髪を使うぞ、来い」
「……分かった」
返事をするラプンツェルの声は、どうしようもない程に震えていた。
彼女は私が窓から降りる際に、目を伏せながら悲しげにこう言った。
「また明日、お婆さん」
この日からだった。ラプンツェルが、私のことを『ゴテルのお婆さん』と呼ぶようになったのは。
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「エンデ様」
落ち着いた女の声が、静かな部屋でこだまする。
声の主は白い肌の悪魔で、質素だが動きやすそうな服装をしている。
そして彼女の目の前にいるのは青い身体の悪魔で、宝石で彩られたドレスがその妖艶さを醸し出している。煌びやかなティアラを頭に乗せ、これまた豪勢な赤い玉座に座っていた。
海底に沈む城、水の悪魔の住処とも言える場所で、二人の悪魔は会話を始める。
「あらネイ、報告はさっき聞いたわよ……深緑の魔女が人間の子供を塔に移したらしいわね、あの狭範囲の防御壁は流石に穴がないわ」
「いえ、報告のことではなく、質問がありまして」
「アナタが質問なんて珍しいわね……いいわ、何?」
エンデの甲高い声にネイと呼ばれた白き悪魔は、その病的なまでに色素の抜けた唇を開き、自らの疑問を口にする。
「何故魔女は、あんな辺鄙な場所に住んでいるのでしょう? あれほどの力を持つならば、人間にもてはやされて……」
「ああ、ワタシがそうなるように仕向けたのよ」
「……エンデ様が?」
質問の意図を理解したエンデは会話を遮り、昔々の話よ、と冗談交じりに語り始める。
「深緑の魔女、アイツは悪魔の天敵……いえ、人間に仇なす悪魔の敵だった。人間を搾り取って、あるいは殺して魔力を得ようとする悪魔を、次々に見つけては始末していったわ。当時はワタシに気が付くのも時間の問題で、直接戦ったところで勝ち目があるかも分からない状況だった」
首をすくめて頭を横に振るエンデの黒髪が揺れる。そんな青き悪魔の弱気な様子に対し、ネイはかすかに驚きの表情を浮かべる。
「それほどまでに強かったのですか」
「ええ、正直言って悪魔より化物よアイツは……そこでワタシは、アイツが味方だと思っている奴を、その周りの人間ドモをそそのかして攻撃させたのよ」
指を立て自慢げに喋るエンデを、ネイは無表情のまま見つめる。
「アイツの強大な力を妬んでる奴はいっぱいいたからね、そしてアイツの味方ドモは、アイツを守ろうとして被害を被った……人間って仲間のためなら何でもするの、滑稽よね?」
「……」
無感情な顔で黙っているネイを一瞥し、エンデは自身の羊のような巻角を触りながら話を続ける。
「それからはアイツ自身が、意図的に人との関わりを避けるようになったわ……仲間だと思われることで被害が及ぶのを避けたかったんでしょうけど」
ワタシには理解出来ないわ、と首を振りつつ角から青い手を離し、今度は良く手入れをされた玉座を撫で始める。
「その後で人間ドモに、アイツは危険な『魔女』だ、とでも噂を流しておけば、事件が起きる度にアイツの責任になって、やがて表舞台に出てこなくなる……上手くいったおかげで、私は自由に行動出来るようになったってワケ」
両手を広げ足を組み、どう、分かった? と聞くエンデに対し、ネイはその青い髪が揺れる程度に浅く一礼する。
「まあ、ひっそりとは行動していたみたいだから、こっちも派手には出られなかったんだけど……だからこそ、今になって動き始めたのは何かあると思ったのよ。単純に他の人間が恋しくなっただけ、という線も否定は出来なかったけど」
足を組み替えながら顎に手を当て、自らの思考を口にするエンデ。双角の間に収まるティアラが、きらりきらりと妖しく瞬く。
「深緑の魔女に限ってそんな……」
「あら、アイツも仲間と離れ離れになる時はかなり躊躇っていたのよ? 元が人間という弱い生き物だから群れてないとダメなんでしょう、魔女になっても変わらないのね」
予想外の解答を聞いたネイはしばらく沈黙した後、失礼しました、と再度一礼し部屋から引き下がった。
「その甘さを突けば、正面から戦闘になっても勝ち目はあるわ。『神の愛し子』は、私のものよ……アハハハハ!」
悪意に満ちた青き悪魔の高笑いは、静かな城の中に響き渡った。