三噺 魔法
「おばあちゃーん」
トテトテ、と可愛らしい足音を立てて駆け寄ってくる少女。腰まである金色の髪が、その動きに合わせてふわふわと揺れている。
私の側までやって来たラプンツェルは、くりっとした青い目で私を見上げる。手に持つ小さな本を持ち上げ、透き通るような高い声でおねだりをする。
「このほん、よんで!」
彼女の頼みを聞き入れ、私は書斎の隅にある椅子に座る。膝にラプンツェルを乗せ、ドラゴンの描かれた本の表紙をめくる。
古ぼけた絵本のタイトルは『魔法使いの王子』。主人公の王子が様々な魔法を駆使して囚われの姫を助ける、勧善懲悪に沿ったお伽噺だ。
挿絵と文字を交互に睨み付けるラプンツェルに合わせ、物語をゆっくりと読み進めていく。王子がドラゴンと戦う場面になると、ラプンツェルは待ちきれないのか自分でページをめくり始めた。
〜
「はい、おしまい」
王子と姫が結ばれる場面の後、パタン、と本を閉じる。読み終わるや否や、膝の上のラプンツェルはその青い双眼をキラキラと輝かせた。
「『まほう』って、すごいんだね!」
「ああ、だからこそ気を付けないといけない」
――魔法は便利だ。ミルクを温め、水を生み、空を飛ぶことが出来る。だが過信してはいけない。決して万能ではないのだ。魔力がなくなれば魔法は使えないし、人によって使える魔法は違う。
「ふーん……わたしは、どんな『まほう』がつかえるようになるのかな?」
ラプンツェルが首を傾けると、金色の髪がふわりとなびく。
神の加護を持つ目の前の幼子は、やがて私のように魔法を行使できるようになる。この子が秘める強大な力は、一体どこへ向かうのだろうか。
悪用されないために、魔力の扱い方や隠し方を教えて、この城から出てもその力が見つからないようにしなければならない。また悪用しないよう、人の心を教える必要があるだろう。
だが……人の心を忘れた私に、人の子が育てられるのか。
浮かんだ疑問を忘れようと、私はそっとラプンツェルの頭を撫でた。
「たとえどんな力が使えるようになったとしても、その力を自分のためだけに使ってはいけないよ」
――魔法は強大だ。その力は、誰かの剣を止めることが出来る。だが同時に、誰かの命を燃やすことも出来る。
「『まほう』って、あぶないの?」
「確かに危険だが、それをどう使うかが大切だ」
――魔法の力そのものに善悪はない。使う者次第でどちらにもなりうる。利己的な者が使えば、周りの人々は大いに傷付く。傷付けた分だけ、幸せは遠くなる。
「自分が痛いのは、悲しいのは嫌だろう? 人を不幸にすると、いずれ自分に帰ってくる」
そんなことをラプンツェルに話しながら、ふと自分の記憶を思い返す。
道を外れた魔法使いや、力に溺れた悪魔の末路を、私は悲しいほど見てきた。この子にはどうか、笑顔のためにその力を使って欲しい。
だが人のために力を使うことは同時に、私と同じ道を歩む危険性を孕んでいる。強大な力は恐れられ、避けられ、やがて人と共に歩めなくなって。
「それじゃあ、『まほう』でみんなをたすければ、みんなしあわせだね!」
その果てに、私は。
そう言いかけ、ぐっと言葉を飲み込んだ。
この子の未来を、可能性を否定しては、絶対にならないと。
ならば、せめて。
「その『みんな』の中に、自分も含まれていないといけないよ」
自身の幸せを忘れない、そんな日々を過ごさせよう。
「むー、むずかしい……」
膨れっ面をするラプンツェルの、長い髪の毛をクシャクシャと乱す。膝から降りた彼女は「なにするの!」と叫びながら、本を抱えて書棚へと走って行った。
本をしまおうと背伸びをして、フラフラと倒れそうになるラプンツェルを支え、その身体を持ち上げてやる。本を元に戻したことを褒めながらそっと床に降ろすと、彼女はてくてくと書斎を出て行く。
本を整理する私の所へと帰ってきた時には、コップを手に持っていた。
「おばあちゃん! あったかいミルク、ちょうだい!」
かわいらしいおねだりに頷くと、彼女を抱えて部屋を移る。
台所まで来ると彼女を降ろし、棚からヤギの乳が入った壺と魔法の藁を取り出して、魔力を込めて温度を上げる。温かくなったミルクをコップに移し手渡すと、ラプンツェルはありがとうと喜んで受けとり、フーフーと息を吹きかけながら飲み始めた。
「おばあちゃんの『まほう』は、あったかいね!」
チビチビとミルクを堪能していたラプンツェルが、不意にそんなことを言った。私は壺を包んでいた藁を摘みながら答える。
「それは、温める魔法だからな」
「ちがうよ、こう、こころのなかがあったかくなるの。おばあちゃんの『まほう』で、わたしはしあわせだよ!」
はっ、と息を呑んだ。魔法の力を疎まれることはあっても、褒められることは久々だった。暖かいと言われたのは初めてかもしれない。
魔法で自分も幸せに、などと正論を口にしたところで、実際はそんな使い方は殆どしたことがなかった。かつて戦いに明け暮れていた私に、そのような発想はなかったのだ。
そんな気付きを知ってか知らずか、ラプンツェルは青く輝く目を私に向ける。
「おばあちゃんは、しあわせ?」
「ああ、お前の笑顔で私も幸せだよ。これが正しい魔法の使い方だ」
私も、正しく魔法を使わねば。何より、この子のために。
よかった、とニッコリ笑ったラプンツェルはミルクを飲み干し、椅子に座る私の膝に飛び乗った。足をプラプラとさせながら、彼女は幼い思考を展開する。
「そうだ、『まほう』で、ニンジンもやっつけられないかな?」
「……人参は悪くないだろう」
その発想に思わず笑いそうになりながら、罪もなく倒されそうな人参の擁護に回る。
ラプンツェルは人参が嫌いで、スープに入れてもそれだけ取り出してしまう。葉野菜――あえて名前は言わないが――はあんなによく食べるのに、これだから育児は分からない。
「あの人参は私が一生懸命育てたのだぞ? 魔法で皆を幸せにするのではなかったのか」
「……でも、おいしくないんだもん」
しょんぼりとした彼女に、私達両方が幸せになる方法はないか尋ねたところ、うーんうーんと必死に頭を捻り始めた。
彼女が人参を美味しく食べるため、料理という『まほう』を覚えるのは少し先の話である。
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夜という闇を抱えた荒野。草木は背が低くまばらで、至るところに大きな岩が転がっている。
そんな荒んだ砂利道を、並んで歩く影が二つ。
「深緑の魔女――奴は植物の魔法を使うのですよね」
影の片割れ――頭に一対の小さな角を生やした、黒色の悪魔が口を開く。
「炎を生み出すソルマ様の魔法なら、簡単に燃やし尽くせるはず――」
「甘いな、ダンよ」
ダンと呼ばれた黒き悪魔の言葉を即座に否定する、もう一つの影。闇夜へと伸びる大きな二本の角を携えた、赤き悪魔のソルマが低い声を返す。
「何故我が奴に負けたのか、分かっていないらしい」
マントをなびかせ歩みを進めるソルマと、彼に付き従いその声に耳を傾けるダン。
「その程度、遥かなる時を生きる奴が対策をしていないとでも? 奴は水を生み出す植物を作り出していたのだ」
ダンは驚愕を顔に浮かべるが、それを見たソルマは目を細めた。
「だからこそ」
口元に笑みを浮かべ、赤き悪魔は自らの赤い掌を見やる。
「この時を、奴が動き出すのを待っていたのだ。待っていろ、ゴテル」
その手を握りしめ、双眼をギロリと道の先へ向ける。
ダンはその姿を見て、そっと自らの目を閉じた。
「ところで、深緑の魔女の庭から飛んできたとされる藁ですが……」
ダンは歩きながら、小さな藁の切れ端を取り出す。
「魔力を通すと温かくなるそうです」
ダンがその黒い手に魔法の力を込めると、藁の破片がほんわりと熱を帯びる。温かくなった藁を摘まんだソルマは、興味深そうにその藁を見つめる。
「ほう、それで」
「いえ、それだけです」
「……何に使うのだ」
「……見当も付きません」
炎の悪魔である二人には、ミルクを温めるという発想はないようであった。




