四噺 悪意
「魔法を使った輩は……流石にもういない、か」
大きな魔力の反応があった付近へとやって来たが、既に魔法を使った者の存在は消えていた。
ここは行き場を無くしたり国を追われた者達が、魔女の森の奥深くでひっそりと暮らす流れ者達の村。一応シュバルツシルト王国の領地ではあるが、魔女の名前とその立地から誰も治めようとせず、税もない代わりに自給自足の生活が前提となっている。
重犯罪者など本当に危ない人間は私が寄せ付けないようにしているため、住人の大半は優しい者である。
「ま、魔女様! お助け下さい!」
そんな村に辿り着いた私を見るなり飛ぶように駆けつけてきたのは、どこか見覚えのある一人の男だった。先程まで魔物に飛びかかられていたので、危うく植物の魔法で捕まえてしまうところだったが、その顔を見て何とか思い留まる。
「お前は……ラプンツェルの父親か」
「妻が、妻がいなくなったんです!」
必死の形相でそう訴えるのは、かつて私の作物を盗んでいたラプンツェルの父親であった。
ラプンツェルを受け取った十七年前と比べ、少し老けて痩せこけた印象になっている。そんな彼の訴えは奇妙なものだった。
「妻がいない、だと?」
「畑仕事を終え家に戻った時には、誰もおらずもぬけの殻だったのです」
目線を下に向け唇を引き結ぶ男からは、悲壮感と焦燥感がにじみ出ている。
「最近お前の妻に、何か変わったところはなかったか」
「魔女様に娘をお預けしてから妻は我儘になって、最近は私だけでなく他の人にも迷惑をかけるようになりました……ですが特に変わったところなどございません」
あの女は自分の娘を取られて、ただでさえ我儘だった性格が更に悪化したらしい。最近の我儘は最早犯罪まがいの要求だったという話で、確かこの夫婦は軽犯罪でこの森に逃げ込んできたのであったかと思い出した。
妻も妻だが従うこの夫も夫である、ラプンツェルを受け取ったのもその辺りが原因の一つであった。
だがそれ自体は十七年も前のことであるし、今回の事件に直接関わっているとは思えない。
「何も言わずに急にいなくなるなんて、流石におかしいと思うのです」
「ああ、私も気になることがあるからな、ついでに探しておこう」
「……ありがとうございます」
善処はするという私の言葉に頭を下げた男は、力なくトボトボと家の方へと帰っていった。
「我には何のことかさっぱりなのだが、どういうことだゴテルよ」
人間に配慮したのかそれとも弱者に興味が無いだけか、木の陰に隠れていたソルマが姿を見せる。
「先程の魔力を放った奴は、ラプンツェルの母親をさらった可能性が高い」
「ここにはわざわざ狙うような奴はいない、という話ではなかったのか」
「そのはずなのだがな……神の加護を持つ子を産んだのだから、当然特殊な体質ではあるが、連れ去って一体どうするつもりだ?」
神の加護を持つ子を産んだからと言って、本人が魔法を使えるわけではない。
一応特異な体質としての価値はあるのかもしれないが、少なくとも私には彼女を狙う理由が分からない。
「ともかく、魔法の痕跡を探そう」
未だ見えざる敵の不可解な行動に、嫌な予感は膨らむばかりであった。
~
「やはりこの家か……ん? 地面が湿っているな」
魔力の残滓が感じられる方向に向かうと、やはりと言うべきかラプンツェルの両親が住む家があった。
雨が降った訳でもないのに地面が少し濡れているのを見つけた私は、しゃがみ込んでその地面を調べる。玄関の扉に近付くほど魔力が濃くなっている事から、例の魔法――おそらく水の魔法は家の中で唱えられたと推測出来る。
「これは、水の魔法の形跡か」
「水の魔法? まさか、奴か?」
私の推測を聞いたソルマが口元に手を当て、心当たりがあるような口振りで呟く。
「何か知っているのか、ソルマ」
「我の知る過激派の生き残りの内で水の魔法を使うのは、エンデという水魔だけだ。その狡猾さは過激派の中でも随一で、我も手をこまねいていたのだ」
苦虫を噛み潰したような顔をしているソルマの話によると、エンデという水魔の率いる派閥があるらしく、過激派の中でもしぶとく存続しているらしい。
「最近は自らの居城から出てくることもなかったのだがな、神の愛し子に釣られたか」
「ラプンツェルは餌ではないぞ」
失礼な例えをする赤い男を半目で睨み付けながら、残念ながらラプンツェルに引き寄せられたのは事実だろう、と溜息を吐く。
ともかく犯人はその悪魔でほぼ間違いないだろう、今はラプンツェルを狙う敵の情報が欲しい。
「そのエンデとやらがどういう悪魔なのかは知っているか」
「何やら魔物やその死体を集めていた、というのは聞いたことがあるが……滅多に表舞台に立たない奴だからな、そこまでの隙があったなら我が先に倒している」
どうやら裏で悪事を働くのを好む奴であるようだ。今回は少し派手な行動を取っているようだが、それだけの価値をラプンツェルに見出しているのか。
そして魔物を集めるという奇怪な行動は、今回の誘拐事件にも重なっているような気がする。何かを成すために収集しているのであろうが、どうせろくな事ではあるまい。
「私が始末するべきなのだろうな」
「貴様以外に悪魔を始末する実力者は早々いないであろうよ」
「お前が手伝ってもいいんだぞ」
決闘の分は手伝えと言おうとすると、ソルマは言葉に詰まったような何とも言えない表情から重々しく口を開いた。
「……残念だが、今回は協力出来ん」
「何?」
日が沈み暗闇に浮かぶ灼熱の悪魔は、苦々しい顔をしながら私を見下ろしていた。
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洞窟の中の岸壁で出来た暗闇の空間に、ぽつりと小さな火が灯っている。揺らめく蝋燭が照すのは、薄汚れた黒のローブを纏った皺だらけの老人。
「ああ、機が熟しつつある」
深く被ったフードの奥には、濡れた土のように茶色い顔。生気の感じられないくぼんだ目は、ただひたすらに蝋燭の火を見つめていた。
「熟れた実を食す瞬間が、もうすぐそこに」
火に照らされた髪は濃い緑色で、側頭部から顎先に向けて一対の大きな角が伸びている。
「神の愛し子の最後、とくと味わおうぞ」
ひび割れた唇から紡がれる呪詛が、静かな洞窟に反響して消えていく。おもむろに伸ばした骨ばった腕は、彼の生きた年月を物語っていた。
濁った眼差しで見つめるその先にあるのは、邪悪な欲望に歪んだ幻想。
「全ては儂の、掌の中に」
土の悪魔は醜悪な笑顔を浮かべ、開かれた掌をゆっくりと閉じた。




