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一噺 再起


 ことり。


 本棚に戻した本が倒れ、隣の本へと寄りかかる。

 木製の椅子に座った私は、傾いた本をぼんやりと眺めていた。


 先日、私はある男と交わしていた約束を果たし終えた。

 城の庭から作物を盗み出していた男の子供は、『神の加護』と呼ばれる膨大な魔力を持ってしまう運命にあった。このまま育ってしまってはまっとうに生きられないと判断した私は、その子の世話をし幸せにするという魔女らしからぬ約束をして、夫婦から産まれたばかりの子供を引き受けた。

 かくしてその子供――ラプンツェルは修行を乗り越え魔力を操作する術を習得し、人と変わらない普通の生活を送れるようになった。


 十七年……随分とかかってしまったが、私が彼女にしてやれることは全てしてやったつもりだ。そしてラプンツェルはそれに応え、立派に成長し巣立っていった。

 普通の人間として普通に生きて、料理人という夢に邁進する日々。そんな当たり前さえ享受出来ない存在として生を受けた彼女は、ひたむきに努力を重ね幸せな未来を掴み取ったのだ。

 彼女の望む『皆と過ごす日常』が、ようやく手に入れられるはずだ。


 ラプンツェルが生きている間は、彼女を巻き込むような戦争や事件が起きなければいいが。

 せめて彼女の夢が実現するまでは、平和な世の中であって欲しい。


「……いや」


 違う。もし本当に、ラプンツェルの幸せを想うのなら。

 いるかどうかも分からない神に、ただ願っているだけでいいのか。

 ラプンツェルは努力を重ね、私から自立し旅立った。勇気を出して世界へと、自分の足で前へと進んだ。ならば次は、私が立ち上がる番ではないのか。


「平和であって欲しい、ではなく」


 ラプンツェルが幸せを掴む前に彼女の身に何かあったら、それは男との約束に背いてしまっているのではないか。

 残念なことに、今回の私の起こした騒動を感知した者が、彼女の存在に気付きそれを狙う可能性は非常に高い。

 ――そして、そんな悲劇が彼女に降りかかるのを、それをただ見ているだけで何もしないのを、私自身が許せるのか。


「私が、彼女の幸せを守らなければならない」


 何を終えた気になっていたのだろう。

 きっと、答えは初めから分かっていた。


 ふと部屋の角に置いてある姿見を見ると、無気力に椅子に座った私の姿が映っている。

 育てた娘の旅立ちに寂しさを覚える、一人の人間がそこにはいた。


 無様なものだ。結局、人としての心を捨てることなど出来なかったのだから。いや、ラプンツェルを引き受けたその日から、そんなことは分かっていただろう。

 ならば、やるべきことは決まっている。だがかつての記憶が、私の人としての心を惑わせ、痛ませる。

 仲間を思い国を守り、そして虐げられた自分。守っていたはずの人々に妬まれ、恨まれ、仲間をも失った魔女。

 ほんの少しだけ震える掌を見つめ、それを閉じてぐっと力を込める。


「――!!」


 その時、近くの森で大きな魔力の反応を察知した。これだけの魔力、自然現象の類ではないだろう。

 悪魔か魔法使いか、あるいは魔力を持った獣である『魔獣』か。いずれにせよ放置していれば人間に危害が加わる可能性が高いだろう。


 行こう。今までみたいにこっそりと解決するのではなく、「私がやった」と言い張れるような結果を残してやろう。

 表面上は沈黙を保ってきた私が派手に動けば、他の悪魔や魔法使いだって黙ってはいない。だが、最早そんなことに気を張るつもりはなく、そしてその必要もない。

 構うものか。ラプンツェルの幸せと比べれば、そんなもの天秤に乗せるまでもない。

 私が動けばそれだけラプンツェルが狙われる可能性も減る。皆に恐れられしこの力、存分に振るってやろうではないか。


 椅子から立ち上がった私は黒いローブを纏い、そのフードを目元まで深く被る。机の上の歪曲した杖を持ち、等身大の姿見に映るのは、かつて悪魔を殲滅した『深緑の魔女』の姿。


 気付けば手の震えは止まっていた。魔力反応のあった地点は、この城からそう遠くはない。

 玄関に立てかけてあった箒を手に取り、私は城の重厚な扉を開いた。




~~~




 青より黒き海の底、雲のように流れていく魚群。

 繁茂する海藻の奥に、怪しげに佇むは古びた城塞。


「エンデ様、ご報告です」

「あらネイ、何か進展があったのかしら? 魔力を多分に含む金の髪の毛が、例の塔の中に落ちていたのよね」


 結界により空気で満たされた城の中、王座のある一室で会話する二人の悪魔がいた。


「はい、その後の調査で周囲の森に同じ色の髪が落ちているのを発見しました。そこから足取りを辿ったところ、王都で金の髪を持つ若い女の姿を発見したとのことです」


 その内の一人、白き悪魔のネイは表情が抜け落ちたかのような顔で、ただ淡々と言葉を紡いでいた。彼女の青い髪の奥には、小さな一対の巻角が隠れるように生えている。


「アハハ! 深緑の魔女が神の愛し子を手放したのは本当のようねえ!」


 一方報告を聞き腹を抱えて笑っているのは、青い肌の悪魔エンデ。

 豪華な宝石のドレスを身に纏い、真っ赤な王座にもたれかかっていた。黒い髪の上に乗った華美な銀のティアラ、その横に生えた大きな巻角は前へと突き出ている。


「所詮『魔女』と言っても人の子、あんな強大な力を手放すなんてバカが過ぎるわ!」


 荒々しい口調で叫び興奮を露わにするエンデ。その長い黒髪は乱れティアラはずれ落ちるが、彼女は意に介さない。


「いいわ、アイツが手放すならワタシが貰ってやろうじゃない!」


 見えているのは自らの欲望のみ。人間を支配し、恐怖に染まる人間の魔力を喰らう、その日を夢見て。


「人間ドモには勿体ない代物、ワタシが有効活用してさしあげましょう!」


 悪意の塊のような妄想に身を震わせるエンデ。その様子を冷ややかな眼差しで見つめるネイの存在もまた、エンデの意識の外であった。

 無辜の民を悲劇に染めるため、黒き青はその魔の手を伸ばし始めた。


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