二十噺 ラプンツェル
ソルマとの決闘から半年と少しが経った。商人の娘に変装しラプンツェルの出産を手伝った後に自分の城に戻った私は、書斎で椅子に持たれかかって一息吐いた。
「ふぅ、どうにか無事に終わったな……」
私が王子との子を公認するような行動をとるのは不自然だと思い、ここ半年程は商人という肩書で接触を図っていた。
彼女の出産の前後には、育児についての話など色々と世話を焼いたが、辛抱強く物覚えのいい彼女なら大丈夫だろう。一応育児の本も置いてきてはあるし、商人の姿で物資を運ぶついでに必要なことを教えてやればいい。
二人もいるので大変だろうが……。
「初産で二人とは、な」
そう、彼女が産んだのは二人だったのだ。赤ん坊の魔力反応は小さく精密な判断は難しかったというのもあるが、まさが双子だとは思わなかった。どうりで腹部の膨らみが不自然に大きかった訳だ。
出産時はかなり辛そうにしていたし子育てする苦労も二倍になるだろうが、一緒に暮らす上での幸せも二倍になるだろう。母親として一生懸命子育てに励んで欲しい。
「まあラプンツェルなら大丈夫だろう……人付き合いが少し心配ではあるが」
か弱そうな女性の商人の姿だったとはいえ、私を小屋の中に入れてしまったのは良くないだろう。王子や私と違って、悪意を持った他人が本心を隠して近付いてくる可能性は十二分にあるのだ。
他人に対する警戒心の無さは、今まで出会ってきた人数の少なさの弊害だろうか。その辺りは王族であるアルベルトにでも期待するとしよう。
そういえば見知らぬ商人である私に、どうしてああも抱き着いて来たのだろうか……流石にあの小屋でずっと一人なのは寂しかったのだろうか。砂漠への引っ越しは彼女の自業自得ではあったが、出産を控えたあの時期の孤独は少し酷過ぎたかもしれない。
「ああ、あの涙の魔法は凄かったな」
そして、私の傷を修復したラプンツェルの涙――すなわち彼女の魔法はもの凄い効果だった。
そもそもあの傷はソルマとの決闘の際、ダンという悪魔の攻撃で受けてしまったものだった。いくら平和ボケしていたとはいえ、あの程度の不意打ちを受けてしまったのは不甲斐ない。いや、私の敵ではないと高を括ってダンの力を見誤っていただけか。
ちなみにソルマは私がナイフで刺された直後、決闘の邪魔をしたダンを思いっ切り殴り飛ばし、「今回は私の負けだ、そしてこのことは貸しにしておいてくれ」と気絶したダンを担いで夜の地平線へと消えた。刺された私の心配など全くしていなかったな、あの男は。
ともかくあの時ダンは私を刺したナイフに特殊な毒を塗っていたらしく、そのせいか傷の治りがかなり遅かったのだが……ラプンツェルの魔法はその傷を完璧に治してしまった。私は様々な毒に耐性を付けているためあまり重症にはなっていなかったのだが、それでもあの回復力は異常だと思われる。
つまりラプンツェルの魔法は傷を癒す、実に彼女らしい優しさに溢れたものだったのだ。そして魔法を使っても無駄な魔力が漏れることはなかったため、邪な輩に探知され狙われることもないだろう。ラプンツェルの努力は確かに実を結んだのだ。
ようやく、ラプンツェルを巣立たせる準備は整った。後は王子の方がどうなるか。
塔で出会った時は青く腰抜けだった少年は、ラプンツェルの未来を託せるほどに成長出来るだろうか。
少し前に時間を作ってちらりと様子を見た限り、視力は回復していないらしく苦労はしていた。だが私の確認していない間に何かがあったようで、彼は覚悟と自信に満ちた目をしていた。
彼の目が濁ってしまわないか、彼女を生涯守り通す覚悟があるか、確かめる期間が必要だろう。
「ラプンツェルにはもう少しだけ待ってもらうことになるが……」
例え幾年か待つことになろうと、孤独で苦しい出産を乗り越えたラプンツェルなら大丈夫だろう。そしてきっとアルベルトも、彼女の期待に応えてくれるに違いない。最早私の手など借りずとも、二人は立派に歩んで行けるのかもしれない。
だが、まあ……。
「差し入れくらいは、してやろうか」
そう遠くないはずの未来に期待を寄せて、商人としての荷にラプンツェルの好きな歌の本と、緑色の葉野菜を詰め込んだ。
~
それから一年半が経ち、王子アルベルトは立派な青年へと成長した。
どこか垢ぬけて静謐な顔付きになった王子。その身体は逞しく育ち、剣の腕も上達した。これならば、きっとラプンツェルを国へ連れて帰って幸せにしてくれるだろう。
後は彼が砂漠の小屋へと赴くように仕向け、国へと連れて帰ってもらうだけだ。
アルベルトのいる流れ者の村にラプンツェルの居場所について噂を流し、彼がその噂を聞きつけ村を出る決心をした翌日。荷物を背負った彼が森に入ろうとするのを見計らい、私は声の変わる飴玉を使って話かけた。
「出発なさるのですね」
「うん、今までありがとう」
私の声に反応したアルベルトは、こちらの方へと向き直って一礼する。
「そのままお国へ帰っても、誰も咎めはしませんよ」
私は最後の確認をするために、わざと意地悪な提案をする。まあ、心の中でこの提案に乗るなどあり得ないと思っているからこそ、今ここで彼に問うたのだが。
「本当に帰りたいなら、塔から落ちたあの時に帰ってるさ。それに……」
「それに?」
「俺を信じてくれてるかもしれない、ラプンツェルを置いては帰れないよ」
微笑みを湛えて再び一礼したアルベルトは、確かな足取りで森へと消えていった。
「……あれなら大丈夫だろう」
王子はその肩書に相応しいような心身を手に入れ、ラプンツェルもまた母親らしい慈愛に満ちた目をするようになった。塔から飛び降りた軟弱な少年も、塔から出られないか弱い少女ももういない。
二人の幸せを確信した私は口の中の飴を噛み砕き、薬草の苦みに顔をしかめながらゴクリと飲み込んだ。
ふわり、と彼の背中を押すような心地よい風が森へと吹き抜ける。ふと天を仰ぐと、二匹の鳥が朗らかに鳴きながら、追い風に乗って空高く舞い上がっていった。
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ラプンツェルが砂漠の小屋に移され、またアルベルトが塔から落ち失明してから二年。
風の噂でラプンツェルの居場所を聞いたアルベルトは、見渡す果てまで草木の無い砂漠を歩いていた。
彷徨うように歩く王子はやがて小さな小屋の近くまでやってくるが、目の見えない彼にはその存在を把握することは出来ない。
しかし、その小屋の中で二人の赤子をあやす、美しい金髪を肩まで伸ばした女性――ラプンツェルが歌っていた子守歌が、小屋の壁越しにアルベルトの耳に入った。
「この声は……ラプンツェルなのか!?」
「えっ……アルベルト!?」
ラプンツェルは突如聞こえてきたアルベルトの声に驚愕し、アルベルトはラプンツェルの変わることのない美しい声を聞いてその方向に駆け寄っていく。
ラプンツェルは小屋の外に出ると、駆け寄ってくる彼の逞しくなった身体をふわりと抱きしめる。アルベルトは彼女のぬくもりをその身で感じ、がっしりと優しく抱き返した。
だがしばらくしてラプンツェルは、アルベルトの両眼の焦点が合っていないことに気が付いた。
「アルベルト……?」
「ごめん、俺、目が見えなくなって……」
「ううん……大丈夫、大丈夫だよ、アルベルト」
疲労からかふらつき倒れそうになったアルベルトの身体をそっと支え、ラプンツェルは震えた声で返事をしながら彼の頭を撫でた。
「ちゃんと私を迎えに来てくれて、ありがとう」
少女の涙が頬を伝い、王子のまぶたにポタリと落ちた。
その時、眩い光が彼を包む。
「……ラプンツェル? ラプンツェル!!」
「アルベルト!」
突然の発光が収まった後、アルベルトが目を開ける。そして彼はラプンツェルの顔を見て、彼女の名前を何度も呼んだ。
アルベルトの双眼は、しっかりとラプンツェルを捉えていた。ラプンツェルの魔法が奇跡を起こし、アルベルトの眼は再び世界を見られるようになったのだ。
視力を取り戻したアルベルトはラプンツェルを連れ、確固たる足取りで国へと帰った。
シュバルツシルト王国はアルベルトの帰還を喜び、また王子が魔女から救い出したというラプンツェルの美貌と快活さに融和し、この二人を迎え入れた。
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魔女ゴテルの物語、いかがだっただろうか。
童話としての『ラプンツェル』は、ここで幕切れとなっている。
実際、童話『ラプンツェル』のゴテルの行動は、悪役としては不可解なものばかりである。
彼女の視点を追うことで、物語の新たなる可能性が見えた方もいるのではないだろうか。
気になるゴテルの行方だが、童話では「魔女の行方を知る者は誰もいない」と幕を閉じている。
だが彼女は本当に、この世界から姿を消したのだろうか。
ここまでは、ゴテルと呼ばれた魔女の物語。
そしてここからは、魔女と呼ばれたゴテルの物語。




