一噺 始動
初めまして、円柱と申します。
お楽しみ頂ければ幸いです。
ゴテルのお婆さん、そう呼ばれた魔女をご存知だろうか。
彼女は『ラプンツェル』という童話に登場する魔女である。
ラプンツェルという少女を塔に幽閉し、王子との恋路を邪魔した、典型的な悪役。
強大な力を持つとされ、世間から恐れられていた存在。
しかし、彼女は本当に悪者なのだろうか。
自分の子ではないラプンツェルを育てたのは、どうしてだろう。
これは、そんな魔女ゴテルの物語。
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蝋燭だけが灯る暗い部屋。赤いテーブルクロスの敷かれた机。
その中央に置かれた、透明な水晶の球を覗く。
大きな水晶玉の中に映るのは、母親に抱えられた一人の赤ん坊。
「これは……」
自らの額に汗が浮かぶのが分かる。
それは、持つ者を茨の道へと誘う、絶対的な力。
その力の持ち主は、ある時は勇者と呼ばれ、ある時は魔王と呼ばれた。
そう、これは人の身に余る力。人一人が持つには、あまりに大き過ぎる。
初めは強大な力から皆に称えられ、求められる声に応じ皆を助けた。
だが、過ぎた力は次第に妬まれ、恨まれ……非難の声から逃げるように、城に引きこもった。
それでも手を尽くし、人々の危機や事件に暗躍した。しかしそれらの出来事さえも、その責任を押し付けられた。
私が『魔女』と呼ばれるようになるまで、そう時間はかからなかった。
そんな危険を孕んだ力が、これから産まれてくる赤子の身に宿ろうとしている。
私と同じ結末は、避けなければならない。
私の名はゴテル。
遥かなる時を生きる、嫌われ者の魔女だ。
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占いにより見えた未来。それは、私の住む城の近辺にある小さな家、そこで暮らすとある夫婦の未来だった。
今から半年の後に、その二人の間に産まれることとなる娘が、神の加護と呼ばれる希代の力を持つこととなる。魔法を使うための不思議な力、魔力を大量に有して産まれてくるのだ。
その力は膨大であるが故に、様々な者に目を付けられる。心優しい穏便な者ならいざ知らず、過激な魔法使い、悪魔や魔王といった奴らに捕まれば未来はない。
それに私がそのような輩から守ったとしても、彼女がここに住み続けるのは良くない。私のせいで、この城の周辺で人知を超えた出来事が起こると、魔女の仕業、魔女の呪いと忌み嫌われてしまうからだ。
そしてもう一つ、懸念すべきことがある。
どうやらその夫婦の男の方が近頃、私の庭に侵入し作物を奪っているようなのだ。
そんな奴の娘に強大な力が宿ればどうなるかは、最早明白であろう。
彼女が人としての道を歩めなくなるのだけは、阻止せねばなるまい。
夜空に満月が輝く夜、ラプンツェルという緑の作物が並ぶ庭で、私は盗人を待ち構えた。そして、畑を囲う塀に手をかけ、乗り越えてきた男に向かってこう言った。
「どうしてお前は塀を乗り越えてまで、私が丹精込めて育てたラプンツェルを取るのだ?」
薄汚れた男は私を見て、驚愕を顔に浮かべた。
「ど、どうかお許し下さい! 好き好んで盗んでいた訳ではないのです」
男は震えた声で謝ると、膝を折り、庭の土に手を付いてひれ伏した。
そんな彼の態度を前にして、少し違和感を覚えていた。私にはその男が、人の作物を奪って悦に浸るような卑劣な輩には見えなかったからだ。
すると、男は訝しむ私を見て何か勘違いしたのか、恐怖に染まりきった顔で必死に言葉を紡いだ。
「魔女様の庭のラプンツェルを見た私の妻が、『あのラプンツェルが食べたい』と死にそうになってしまい……」
ああ、そういうことだったのか。理由を聞いて納得がいった。
私の庭で育てているラプンツェルには、魔法の力――魔力がこもっている。
男の妻は腹の子に多くの力を取られ、それを補うべく私のラプンツェルを欲したのであろう。死にそうになったという発言もおそらく比喩ではない。
「そうだな……」
確かに不可抗力ではあるが、人の作物を盗むのはいかがなものか。
せめて譲ってくれと頼み込むくらいはして欲しい。まあ、魔女が怖いというのは分かるが、人として道を踏み外していい理由にはならない。
そう結論付け、私は一つの提案を口にする。
「お前の言うことが本当なら、ここにあるラプンツェルは好きなだけ持って行っていい。その代わり、もうすぐお前達の間に産まれるであろう、子供を貰うことにする。母親のように世話をし、幸せにすると約束しよう」
男は悩んだ末、ゆっくりと頷いた。
半年後、私の城に新しい住人が増えた。
名はラプンツェル。神の加護を持つ碧眼の赤子だ。
……名付けの才がないのは、自覚している。
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紅く澱んだ空、燃え盛る大地。太陽は禍々しいまでに真っ赤に染まり、風に揺らめくのは草木ではなく火炎。この場所を目にした人間がいたならば、口を揃えてこう言うだろう。
地獄だ、と。
ここは炎の悪魔だけが生きられる炎魔の国。生きるものを悉く灰へと変える業火、それに耐えうる物質のみが存在出来る世界。
現実味のない地獄のような光景の中に、炎に包まれし黒き城が一つ。焼け焦げた灼熱の廊下にて、二つの影がゆらゆらと蠢く。
「深緑の魔女が動いたそうだな」
一人は使い古されたマントに身を包んでいた。その隙間から覗くのは、炎に溶け込むような赤い肌。髪は黒に近い茶色で、側頭部からは上向きに一対の鋭い角が伸びている。
「はい、何でも人間の子供を城へ連れ去ったそうです」
声に応じ、廊下の奥の闇から浮かんできたのは漆黒の身体。燃えるように赤い髪の隙間からは、やはりと言うべきか短い角が生えていた。
拷問のような熱量など何でもないかのように、平然と会話をしている二人。
人間からは逸脱した身体の色、そして角。この二人こそ、人ならざる者、炎の悪魔である。
「何故今になって動きだしたのかは知らんが――」
赤き悪魔はマントを翻し、火の止まぬ廊下を歩き始める。
「借りを返させて貰うぞ、ゴテル」
大きく見開かれた目が、ギラリと輝いた。