67 決着
『そういえば……まだ貴様の名を問うておらぬかったな』
ふと思い出したようにそう呟くドゥーベ。
もちろんオルトに関しては、事前にピティアらから情報を得ており、その名を知らないなんてことはない。
ただ久方ぶりの全力戦闘を前にし、礼儀としてそう尋ねただけだ。
「俺はオルト。オルト・エッジワースだ」
『オルトか。その名、しかとこの身に刻むとしよう。それとそこな海竜よ。そやつに足場を用意してやって欲しい』
『……よろしいのですか?』
『うむ。これ以上、我が眷属を蹴り落とされては堪らぬからな。それにだ、そう何度も足蹴にされてはそなたも辛かろう』
『あはは……』
気遣いに溢れたドゥーベのその言葉に、デスピナの口から苦笑が漏れ出ていく。
実際、オルトにとってはただの軽い跳躍であっても、風竜が一撃で墜落してしまう程の衝撃なのだ。
ドラゴンの中でも頑丈さを誇る海竜だからこそどうにか耐えきれているが、やはり痛いことに変わりはなかった。
そうしてデスピナが魔法を発動する。
『ではお言葉に甘えまして。《フィンブルヴェト》』
デスピナを中心に猛烈な冷気が四方に拡散していく。
一帯の海面が次々と氷結していき、即興の広い足場が形成されていく。
『ほぉ、これはまた洗練された魔法制御だな。そなたのような若く優れた竜がおるのならば、海竜たちの未来もさぞ明るかろう』
そう感心すると同時に、ドゥーベは一抹の寂しさを覚えてしまう。
これほどの才能を持つ眷属にいない。
少なくともドゥーベは知らない。
この進歩のなさに対し、風竜という種族全体に対し、行き詰まりを感じてしまう。
「助かったぜぇ、デスピナ。ったくホント便利な力だよな、その魔法ってのはよぉ」
そう弾んだ声で礼を述べながら、氷の大地へと降り立つオルト。
コンコンと軽く足でその強度を確かめてから、ファイティングポーズをとる。
「うっし、じゃあ第3ラウンドといこうぜ? ドゥーベよぉ!」
『よかろう! かかってこい、オルト・エッジワース!』
◆
『ふっ、どうした? 先程より動きが遅いのではないか?』
「ちぃっ!」
広い足場を得たことで、一気にオルト有利に傾くかと思われた戦いだが、現実は違った。
氷上をジグザグに駆け回りながら、空を飛ぶドゥーベを撃ち落とさんとジャンプして飛び掛かる隙を伺うオルト。
だがドゥーベの空間切断魔法の連打が、それをなかなか許してはくれなかった。
今のところ致命傷は避けているものの、ドゥーベの魔法がもう何度も掠めており、その度に氷の大地が赤に染まっており、確実に体力を削っていく。
『そろそろ限界が近い様子だな? 息が上がっておるぞ?』
「はっ、勝ち誇んのは俺を殺してからにしやがれ。じゃねぇと、また恥かくことになるぞ?」
ぜぇぜぇと肩で息をしつつも、オルトの表情から戦意はまったく失われてはいない。
『……口の減らぬ人間だな。よかろう。ならば、貴様が這いつくばるまで続けるだけだ』
このような状況となったのにはいくつか理由がある。
一つはドゥーベの言った通り、疲労のせいだ。
デスピナとの戦いにおいて、オルトは何度となく肉体再生を繰り返し、補給無しでのこの戦いへと突入した。結果、大量の食い溜めによって蓄えられたエネルギーが、とうとう底を見せ始めていた。
また足場の不安定さもそこには大きく関係していた。
一見して、デスピナが生み出した氷の大地は透明で分厚く、とても頑丈に思える。
だが実際のところ、オルトが足場とするにはまるで強度が足りておらず、少しでも力加減を間違うとあっさり壊れかねない状況にあった。
これはデスピナの生み出した氷が、特別柔らかいという訳ではない。
むしろ生成過程の関係で、海水に含まれるミネラルや空気などの不純物を一切含まないため、普通の氷よりも結晶が大きく非常に硬いとさえ言える。
ただその強度であっても、ドラゴンの頑丈さには及ばないというだけの話だ。
そしてもし力加減を間違い足元の氷を砕いてしまい、海に沈むなんて事態になれば、この楽しい戦いに水を差してしまうことになる。
それだけは避けたいオルトの動きは、必然慎重なものとなってしまい、速度も跳躍力も大きく削がれることとなった。
しかも足場の問題はそれだけではない。
風竜たちとは違い、今の足場は平面にしかないという点も不利に働いていた。
氷上を走り回るだけでは、どうしたって動きが平面的とならざるを得ず、読まれやすくなってしまう。
加えて、空中での軌道修正も効かないため、迂闊に仕掛れば大きな隙を晒すことにも繋がりかねない。
それらもまた攻めあぐねる一因となっていた。
そして一番の理由は……
『随分と粘ってくれたが、そろそろ幕引きとしよう!』
ドゥーベの魔力もかなり消耗していたが、先に力尽きるのはオルトの方だと見切っていた。
その形勢判断自体は、おおよそ間違ってはいない。
このまま進んでいたならば、十中八九そうなっていただろう。
『《ディメンションブレイド》!』
空間を断絶する不可視の線がいくつも放たれ、オルトに止めを刺さんと飛翔する。
それに対しオルトは、その場に直立したまま動こうとはしなかった。
『もはや避ける力さえ尽きたか』
「はっ、んなわけねぇだろうが! おらぁ!」
腰に拳を溜めたポーズをとり、全身に力を込めて己の筋肉を肥大させるオルト。
そこにドゥーベの魔法が突き刺さり、肉を切り裂かんとする。
……が、ドゥーベの予想に反し、そこから血飛沫があがることはなかった。
『なっ!?』
「あんがとよ。ようやくそいつにも適応できたぜ。ああ、これで俺はまた一つ強くなれたんだな……」
両の拳を天に掲げながら、感慨深げにそう呟くオルト。
それに対し、ドゥーベは口をあんぐりと開けたまま呆然とする。
『ディメンションブレイドを生身で受け止めただと!? あ、有り得ぬ!?』
空間を引き裂くという性質上、どれだけ硬かろうがそこに意味はない。
対抗する術があるとすれば、それは魔力を用いた手段のみだが、オルトがそれを有している気配は変わらずないし、そもそも魔力同士の干渉が起こった様子もなかった。
放った魔法は彼に接触するまでは十全に機能しており、ドゥーベがミスを犯した訳ではない。
にもかかわらず、なぜか筋肉の鎧を貫くことが出来ずにいた。
そのあまりの意味不明さに驚愕し、ドゥーベは戦闘中に有ってはならない大きな隙を晒してしまう。
「はっ、ボケッとしてんじゃねぇぞ!」
そして、それを逃すような甘い男ではなく――というよりも元から彼はこのタイミングを狙っていた。
迷いなく地を蹴り、一直線にドゥーベの元へと飛翔していくオルト。
『しまっ――』
反応が遅れ、ドゥーベが気付いた時には、オルトの振りかぶった拳がもう目前にあった。
生半可な速度のパンチではない。
いまさら回避など間に合うはずもなく――
『ぐはっっ!?』
結果まともに喰らってしまい、鳥顔の骨を大きく軋ませながら、ドゥーベの巨体が吹き飛ばされていく。
『ぐぅぅ……』
強烈な衝撃によって脳みそを激しく揺さぶられたドゥーベは、ついに己が身を空に留めて置くことさえできなくなってしまう。
結果、浮力を失ったその巨体は、ふらふらと氷の上へと墜落していく。
『ま、まだだ……』
それでも、どうに身体を起こし、再び空に戻ろうと足掻くドゥーベ。
だが傷つき疲弊した身体は、なかなか言う事を聞いてはくれない。
そこに声が掛かる。
「よぉ、俺の勝ちみてぇだな?」
オルトが拳をバチンバチンと打ち鳴らしながら、目の前に立っていた。




