64 去る竜、飛来する竜
故郷との間に横たわる遥かな断絶を知り、頭を抱えるオルト。
そんな彼へと、アリオトが優しく声を掛けた。
『のぅ、人間よ。我らと手を組まぬか?』
「ああん?」
『このままではお主、故郷には帰れぬぞ? 結界もあるしの』
「おいおい、アレはおめぇの仕業かよ?」
オルトをこの星へと縛り付けていた結界、その原因はお前かと睨み付ける。
だがその威圧を軽く受け流して、アリオトは言葉を続ける。
『我ではない。が、どうにかする方法になら心当たりはあるぞ』
「へぇ……」
その言葉には興味を引かれ、姿勢を正すオルト。
『なに、いますぐに答えをくれる必要はないぞ。また改めて訪ねるとしよう』
『……ああ』
覇気のない声で、どうにかそれだけ返すオルト。
少しだけ気の毒そうな視線を向けてから、アリオトはその巨体を翻し海中へと潜っていく。
他の海竜たちもそれに追随し、潮が引くようにして一斉に去っていった。
後に残されたのはオルトとデスピナ――それから呆然と浮遊するしかない風竜たちの姿であった。
「なぁ、おめぇは行かなくて良かったのか?」
オルトが隣でふよふよと泳ぐデスピナへとそう尋ねた。
『うん。いまさら戻ってもね……』
デスピナは少しだけ寂しげな声でそう答える。
仲間の肉を喰らったことで、良くも悪くも仲間たちとは異なるステージへと辿り着くことなった。
しかしこれまでの確執から、彼らを率いる立場に収まる気にもなれずにいた。
それに……向こうだってまず歓迎はしてくれないだろう。
「……そうかい」
常ならぬ静かな声でオルトはそう答える。
その瞳は遠くの空へと向けられていた。
◆
テティスたちからの報告を受け、パリスの街から調査のための船団が出港していた。
その先頭を進むのはテティスが改装した小型魔導帆船であり、船首に立つのは黒いドレスを風になびかせた銀髪の少女だ。
「ねぇ、なんでキミがこの船に乗ってるのさ?」
その少女――ピティアへと向けるテティスの視線は非常に鋭い。
それは隣に立つフローラも同じことだ。
唯一、アストレイアだけがこの険悪な雰囲気をどうすればよいかと視線を左右に彷徨わせていた。
「一応この一帯の責任者は僕ってことになってるからね。そりゃみすみす放ってはおけないさ」
「……そうじゃなくてさっ! よくも僕らの前にそんな堂々と姿を見せれたね!」
テティスが顔を真っ赤にしてそう叫んだ。
オルトに対し、直接手を下したのは天空竜ドゥーベだが、彼女もまた大きくかかわっている。
彼女の事情は――置かれた立場はテティスにも想像は出来るし、同情もしている。
なのでそのことに対し、今更あれこれ言うつもりはない。
……だからといって簡単に割り切れる話ではなく、何食わぬ顔のピティアに対し怒りを抑えきれずにいた。
「………僕の謝罪が欲しいのなら、頭なんていくらでも下げてあげるよ。でも、それは後にしてくれないかな?」
テティスらの怒りを涼し気に受け流しながら、ピティアが指を前へと向ける。
そこでは既にドラゴン同士の大決戦が始まっていた。
「……まずいですわね。このまま戦闘が拡大していけば、いずれ沿岸部にまで被害が……」
アストレイアがそう歯噛みをする。
魔法を操る巨大生物――ドラゴンたちが多数集まっての一大決戦だ。
規模としては人間同士が万集まった戦いよりも遥かに大きく、周辺へと及ぼす影響もまた甚大だ。
なんとか止めに入りたいところではあったが、しかし戦闘の余波で既に海面は酷く荒ぶっており、これ以上は近づけそうもない。
いや仮に近づいたとして、彼女らに何が出来るというのか。
無力感ばかりがただ募っていく。
「はぁ、なんだってこんなことに……。もしかして、ドゥーベ様の留守を狙った陰謀? でも誰が……」
冷や汗を流しながら、ピティアがそんな焦った声を零した。
◆
合計千頭を超えるドラゴン同士の戦いは、非力な人間たちの介入を許してはくれない。
テティスらに許されたのは、遠くの船上から歯噛みしながらその推移を見守ることだけ。
永遠にも思えるそのハラハラとした長い時間が、ようやく終わりの時を迎えようとしていた。
「な、何あれ……」
唖然と口を開いたテティス。
視線の先では、山のような巨体が鳴動していた。
「海竜王アリオト様だね。もう何年も御姿を見て無かったけれど、まだ生きていらっしゃったみたいだね」
しかし健在とは言い難い。
一瞬だけ見えたその姿だが、いつ死んでもおかしくない程に老いていた。
だがそれは無用な心配に終わる。
「す、すごい。たったの一声で戦いを止めちゃった」
老いたとて八大竜の威光はまだ現役だったらしい。
巨大な一喝を響かせ、あっさりと戦いを終結へと導いていく。
その光景を見て、皆がペタンとその場に座り込み、ホッと息を吐いた。
「……ふぅ、ホント助かったよ。これ以上は危なかったからね」
時間の経過と共に戦闘区域は拡大しており、調査船団も1kmほどの後退を余儀なくされていた。
このまま戦いが続いていけば、遠からず沿岸部へと被害が生じていたことだろう。
いや……沿岸部だけで済めばいい。
多数の巨体の荒ぶりによって生じた波が、もし悪い形で合成を果たしたならば、内陸部にも浸食するほどの大津波を生んでいたかもしれない。
皆が安堵している中、ピティアがふと空を見上げながら呟きを漏らす。
「おっと、あの方もお越しになったようだね」
巫女たる権能によって、主の飛来を察したようだ。
「……ドゥーベ様が」
アストレイアが不安げな呟きを漏らし、他の二人の表情もまた一気に強張っていく。
それから程なくして、その言葉は現実のものとなった。




