61 海竜王
『はぁ……いくら君でも、これだけ全部を相手にするのは流石に無茶なんじゃない?』
「そうかぁ? まあ普通にいけっだろ?」
『あんまり彼らを舐めない方が……と言いたいとこだけど、君ならホントに大丈夫な気もしちゃうから怖いよね』
「ははっ、そう褒めんなよ。照れんじゃねぇか」
『……別に褒めてないけどね』
実力を大きく増した今のデスピナにさえ、オルトの底は変わらず知れないままだ。
一度は見切ったつもりになっていたが、あっさりと一度覆されてしまったので、測ることを諦めていた。
『とはいえさ。多勢に無勢なのは事実なんだし、何より僕も当事者なんだし、ここは協力させてもらうよ』
「いいのか? お仲間と戦うことになっちまうぜ?」
『何をいまさら……別に構わないさ。どのみち今の僕の実力を、一度彼らにちゃんと示さないといけなかったんだし。……なら早いか遅いかの違いだけさ』
「そうかい。オメェが構わねぇってんなら、こっちとしても助かるぜ」
そう言って、オルトは破顔した。
例え一人で戦ったとして負けるつもりなど一切なかったが、しかしここは海の上だ。
空を飛べない彼にとって、足場を造り出せるデスピナの協力は大変ありがたかった。
『この数を敵に回し、まだ勝てるつもりか! ぐぬぬっ、我らも舐められたものよ!』
そう歯噛みをする風竜らに対し、海竜の側から提案の声が飛ぶ。
『おい、風竜さんらよ。ちとムカつくが、ここは共同戦線といこうぜ?』
『……そうだな。万が一にも敗北は許されぬ。ここは確実を期すとしよう』
風竜たちにとってオルトらは同胞の仇だ。
何より人間ごときに良い様に踊らされた事実を放置していれば、彼らの沽券にかかわる。
ならば何が何でも屈服させる必要があった。
一方、海竜たちにとってはデスピナの存在こそが一番の問題となる。
少し顔を合わせないうちに、彼らの誰よりも大きく強く成長してしまった。
このまま放置すれば、次期海竜王の座はデスピナのモノとなってしまうだろう。ならばこの混乱に乗じて始末したいと考えていた。
思惑が一致した両者が手を取り合う。
かくしてオルト&デスピナ対海竜・風竜連合という構図が出来上がったのだ。
「向こうもやる気満々みてぇだな」
『堂々とあんなこと言われたら、そりゃ引くに引けないよね……』
数だけで見れば千倍近い戦力差だ。
だが圧倒的不利なはずのオルトらに怯む気配はない。
そのことが彼らのプライドをいっそう刺激してしまい、そこかしこから怒りの咆哮が上がっていく。
一触即発の空気が広がり、後はどちらが先手を取るか。
この場の誰もがそう思っていた中、全てをかき消すように大きく甲高い警笛音が一帯へと響いた。
「ああん? なんだぁ? うっせぇぞ?」
『うそ? な、なんで……?』
鼓膜を十回くらいぶち抜くようなその大音量に対し、不快気に顔をしかめるオルト。
だが下のデスピナの身体がガタガタと震えているのに気付き、首をかしげる。
また音が鳴る。
『双方とも引けぃ!』
良く聞けば、今度のはただの音ではなく声であった。
威厳に満ち溢れたその言葉を聴いたドラゴンたちはぴたりと動きを止め、巨体を縮こまらせていく。
『こ、この声は……膨大な魔力の波動はまさか……』
発信源へと視線を向ければ、水平線の向こう側から巨大な影がゆっくりと近づいて来ていた。
程近くまでやって来たところで、大量の水を押しのけながら、海面が大きく盛り上がっていく。
そうして姿を現したのは、デスピナよりも更に巨大な――全長100mを超える巨体を有した化け物クジラであった。
その姿を見て海竜たちが叫ぶ。
『あ、アリオト様!? なぜこのような場所に!』
いくら海竜たちが総じて巨体を持つとて、ここまで大きな個体は他にはいない。
この化け物クジラこそが海竜王アリオト――海竜リヴァイアサンを統べる八大竜の一であり、彼らを統べる存在であった。
『……なぜだと?』
この場の誰よりも強者たる風格を有していたが、しかしその身体は精強さとはかけ離れていた。
全身のあちこちが染みだらけであり、その表皮は酷くしわがれていた。
海竜リヴァイアサンは人間よりも遥かに長命な種族ではあるが、それを考慮してもこの老クジラは長く行き過ぎていた。
その老いぼれたいつ朽ちてもおかしくない姿は、アリオトの寿命がもう目前へと迫っていることの証に他ならない。
それでもなお、この場のドラゴンたちをひれ伏させるだけ実力と威厳を有していたが。
『このたわけどもが! わしに無断で風竜と抗争などしおって!』
姿を見せた後、その圧力はまず彼の眷属たちへと向けられた。
それを聞き、海竜たちは一斉に巨体を震え上がらせる。
ガタガタと巨体を震わせ、大きな瞳を左右にさ迷わせていく。
そのせいで、海上に大波が生じてしまうほどだ。
『で、ですがアリオト様! お言葉ですが、先にしかけてきたのは奴らなのです!』
そんな中、若い海竜の一頭が勇気を振り絞って異議の声を上げた。
しかしそれはアリオトの怒りに油を注ぐだけに終わる。
『見くびるでないぞ! 我が何も知らぬと思うたか? お主らが同胞を――デスピナめを囮とし、抗争の火種を作ろうしておったことなど、とうにお見通しであるのだぞ!』
その一喝によって、反論の声はすぐにしぼみ、彼らの震えは大きくなり、海面はますます荒ぶっていく。
『あ、アリオト様! いくらあなた様でも、同胞の仇を庇い立てするのであれば、容赦は致しませぬぞ!』
続いて今度は風竜たちの方から抗議の声が上がった。
だがそれもアリオトは一笑に付していく。
『庇うだと? ……まだ現実を理解しておらぬのか? 我が庇ったのはこの者たちではない。むしろお主らの方よ』
オルトの方へとチラリと視線を向けてから、アリオトは言葉を続けていく。
『この者達の戦いを見ておったのだろう? なのに何故まだ理解できぬ? このまま戦えば全滅したのは確実にお主らの方ぞ?』
『な、何をおっしゃいますか! 我らが人間如きに破れるとでも?』
『……嘆かわしいことだの。その人間たちによって追いやられたのが、他ならぬ我らが祖であるのだぞ? なのになぜそのような無意味な自信を誇れる? ドゥーベめ、教育を間違いおったな』
それから自らの眷属へと視線を向け、それは我も同じかと悲しそうに潮を吹く。
『デスピナよ。よくぞ厳しき試練を乗り越えたな』
『あ、アリオト様……』
一転して穏やかな瞳を向けられ、デスピナはどう反応してよいのか分からず言葉に詰まってしまう。
『……我のことを恨んでおるか? お主が同胞たちより迫害されておったことは無論、我も知っておった』
「おいおい? 知ってたんなら、なんで止めなかったよ?」
戸惑うデスピナより先に、オルトが憤りの声を上げた。
『お主の言う事にも一理あることは認めよう、人間よ。だが我らを人間の感性で測ろうとしても無駄であるぞ。同じ言の葉を用いようとも、我らの間には深き断裂が横たわっておるのだからな』
種族が違えば当然、常識も異なってくる。
突き放すようなその言葉に、オルトは沈黙する。
『デスピナよ。封印を解いた今のお主ならばもう理解できていよう? その人間がこの星へと降り立った以上、審判の時はもう近い。我らは人間たちとどのように相対するか定めねばならぬ。ドゥーベめは時間稼ぎの道を選択したようだが――』
『あ、アリオト様。なぜ今その話を僕に……』
『無意味な問いを発するでない。聡いお主のことだ。本当は分かっておるのだろう? 我の死はもう目前だ。ならば次の海竜王アリオトはお主となる。デスピナよ、今後は我に代わりお主が眷属らを導かねばならぬのだぞ?』
『ぼ、僕は……』
突然押し付けられたその重責を前に、デスピナの瞳が答えを――助けを求めて宙を彷徨っていく。




