60 ドラゴン包囲網
オルトとデスピナの戦いが始まってから4日後の朝、ついに決着の時を迎えようとしていた。
「おっ? ようやく限界かぁ? まあまあ頑張ったじゃねぇか」
平然と宙に浮いたままのそう告げるオルトに対し、デスピナはぶしゃぁ、ぶしゃぁと噴き出す潮を荒ぶらせながら嘆いた。
『な、なんで……? 何も食べてないはずなのに、どうしてそんな平然としてられるのさ……』
デスピナが勝利を確信していた一番の理由――それは人間の持つ特性ゆえだ。
あるいは限界だと言い換えても良い。
今に至るまでデスピナの魔法によって空に縛り付けられていたオルトはずっと何も――水分さえもまったく口にしていなかった。
どころか肉体の再生を幾度となく繰り返し、かなりのエネルギーを消耗し続けていたはずなのだ。
にもかかわらず彼に疲れた様子が見えることはなく、なぜか自分の方が先に魔力が尽きかけていた。
『ホント意味わかんないね、君って奴は……』
生命力に溢れた海竜とは違い、人間とは飢えればすぐに力を失ってしまう脆弱な生き物だ。
もちろんオルトが普通の人間とは異なることは、デスピナだって百も承知だ。
だがそれでも人間という種族である以上は、どこかに必ず限界点が存在するとも考えていた。
その考え自体は、まったくの間違いとも言えない。
しかし大きな誤算があった。
「まあ……おめぇの狙いも全くの的外れって訳じゃねぇと思うぜ? 俺だって腹が減っちまえば力は出ねぇ。そればっかは他の連中とそう変わんねぇさ。……けどなぁ、最初に言っただろよ? 俺は今満腹だってな」
『……満腹だったから何だって言うのさ?』
それはもう4日も前の話だ。
その分のエネルギーなどとっくの昔に尽きているはずだ。
そんなデスピナに対し、オルトはどう言ったら良いもんかと、頭をかきながら言葉をひねり出していく。
「なんつうかさ、俺はよぉ……他の連中よりも食い溜めって奴が効く方なのさ。んで、てめぇに付き合ってあんだけ食いくまくりゃ、そりゃ当分は腹も空かねぇってもんなのさ」
腹の内に収まり、異次元に消えたのかと思われていた膨大な肉たちだが、実はそれら全てが余す事無く彼の糧となっていた。
だからこそ延々と肉体の再生を続けられたのだ。
『……食い溜めって。ただそれだけのことで、僕の計算が狂ったっていうの?』
「生き物それぞれの個性ってのは、案外馬鹿にならねぇってことさ。なんでも下手に一括りに考えちまうと、痛いしっぺ返しを食らう。ただそれだけの話だぜ」
『君のそれは……個性なんて生易しい言葉で片付けて良いものじゃないと思うけどね。はぁ……でもまあいいさ。僕の負けだよ。煮るなり焼くなり好きに食べるといいさ』
呆れかえった――でも少しだけホッとしたような声を漏らして、デスピナは自らの敗北を認めた。
オルトを拘束していた風を解除し、用意した氷塊の上へと下ろしていく。
それから巨体をひっくり返して腹を上へと向け――自らの肉体を差し出した。
相手を喰らうべく戦いを挑んだ以上、負ければ逆に喰われる。
それはデスピナにとっては必然の流れだ。
だが――
「はっ、あほか。白旗上げた奴に手出しなんかしねぇよ」
デスピナへと飛び乗ったオルトは、突き出されたお腹をぐりぐりと押しながら、そう笑い飛ばした。
「てかよ、随分と落ち着いてんな? やっとで酔いも醒めたみてぇだな」
『っ! なにさ、僕を酔っぱらいみたいにっ! ……いや、そうかもね。そうだ、たぶん僕は力に酔ってたんだろうね』
もっともそれは最初のうちだけだ。
途中からはすぐに冷静さを取り戻していたが、過去の自分の情けなさを払拭したいという想いが、ここまでデスピナの奮闘を支え続けて来た。
「良く分かんねぇけどよぉ、正気に戻ったんならそれで構わねえさ」
そう言ってオルトが屈託ない笑顔を浮かべてみせる。
『……まったくもう、君にはかなわないね』
それを見たデスピナの巨体から、スッと力が抜けていく。
ずっと戦いっぱなしで気が張っていた反動から、警戒心も何もかもが霧散していく。
だがその時、周囲から咎める声がいくつも聞こえて来た。
『我らの同胞を喰らったのは貴様らだな?』
『デスピナぁ! よくも俺らをダシにしやがって! 許せねぇ! ぶっ殺してやる!』
周囲を見回せば、あらぶっていた海は静まり返り、大量の視線がオルトらへと集中していた。
いつの間にか休戦していた風竜と海竜、それらの大群によって取り囲まれていた。
その総数は千を超えており、逃げ道など海空共に見当たらない厚い包囲網だ。
「……なんだぁ?」
『ありゃりゃ、バレちゃったみたいだね』
「バレた? ああ、そういやそんなんもあったな」
言われたオルトは僅かに頭を傾け――ようやく思い出した。
自分たちが風竜を次々と狩って喰らい、この一大決戦の引き金を引いた事実を。
「まあいいさ。喧嘩売るってんなら、いくらでも買ってやんよ。うっし、お前ら全員まとめて掛かってこいやぁ!」
理由はどうあれ、闘争自体は彼としても望むところだ。
起き上がったデスピナの背中の上に真っ直ぐ立ち拳を掲げ、取り囲むドラゴンたちへと堂々とそう宣言した。




