59 根競べ
『ふぅ、安心したよ』
「てめぇ……俺の拳に何しやがった?」
デスピナの風の魔法によって、空中に拘束されたオルト。
言う事を聞かない干からびた右腕をジッと見つめながら、そう問い掛ける。
『どれだけ頑丈な君でも、魔力を持たない以上は、魔法による直接干渉に対しては無力。そう推測した僕の考えが正しかったってことさ』
ドゥーベとの戦いについての話を聞いた時から、ひっそりと温めていた戦法だ。
デスピナたちリヴァイアサンがもっとも頼りにするのは水を操る魔法だ。
大海を棲み処とする彼らは、常に傍にあるそれらを操って、先程のような大津波などを起こし敵を打ち倒す。
それらは大抵派手な結果を伴うため誤解されがちだが、実は彼らが本当に得意としているのは、大規模な魔法ではなく――より繊細な制御が必要とされる魔法であった。
『生物の体内にある液体へと直接作用する魔法――これがまた実に難しくてね。今の僕以外に扱えるのなんて、他には精々アリオト様くらいじゃないかなぁ?』
デスピナが勝ち誇った声でそう告げる。
元々デスピナは、細やかな魔法制御に関してはとりわけ強い自信を持っていた。
実現に足りなかったのは魔力だけ。
今でこそいじめられっ子のデスピナだが、幼少の頃は実はそうでもなかった。
ドラゴンパレスでは飛び抜けて優秀な成績を収めており、むしろ将来を嘱望された海竜ですらあったと言える。
あるいは――だから、いじめられたのだろう。
自分こそが海竜王の座を継ぎたいと願っていた仲間たちは、その才能を恐れ、ライバルの成長を妨害するという道を選んだのだ。
『ホントバカでグズな奴らだよねぇ。そんなに海竜王になりたかったのなら、さっさとボクを殺して食べればよかったんだよ。そしたら、なれたかもしれないのにねぇ。まあ……その選択が出来ない程度の奴らだったってことなんだろうけど……』
かつて自分をイジメていた連中を罵倒しつつも、苛立ちは増していくばかりだ。
封印を解き、彼らの愚かさ無能さが理解できていく程に、そんな連中にいいように扱われていた自分の情けなさが際立ってしまう。
だからだ。
そんな過去の弱い自分と決別するため、真の強者だと認めた彼のことを喰らう決意をしたのだ。
『オルト。僕は君を殺して食べて、そしてアリオトの名を継ぐんだ』
「はんっ。ちょっと前まで俺の後ろでビビッてた奴が良く言うぜ」
口調こそキツイが、オルトはこの変化をそう悪いモノだとは思ってはいない。
少しやり過ぎな感はあれど、自己主張はこれくらい強い方がいいと考えていた。
……だからと言って、自らがその犠牲になって殊勝さなど持ち合わせはいないが。
『おっと、時間稼ぎなら無駄だよ。君の再生能力は知ってるからね。このまま何もさせずに倒させてもらうよ』
右拳に続いて、今度は右脚までもが干からび始める。
不可視のその干渉に対し、オルトは抗う術を持たなかった。
しかし――そのまま黙ってやられるほど甘い男でもなかった。
「ちっ! ったくよぉ、魔法ってのはホント厄介だな。おらよっ!」
そう吐き捨てたオルトは、生気を失った自らの右腕を掴み――おもむろに引き千切った。
『なにを!? ……ああ、そういうこと。君も恐ろしいことを考えるね』
その非常識な自傷行為を見て、デスピナがひきつった声を漏らした。
オルトは使い物にならなくなった右腕をあっさりと破棄し、持ち前の再生能力によって新しい右腕を生やそうとしていた。
「はんっ、なんだぁ? もうビビっちまったか?」
『はぁ……分かったよ。こうなったらどっちが先に値を上げるか、根競べだね』
「はぁん、なら俺の勝ちで決まりだな。根性なら誰にも負けねぇ自信があっからな!」
『ふんっ、言ってなよ!』
◆
(おかしいね。なんで四肢以外に魔法が通じないのかな?)
口では根競べと言いつつも、デスピナは短期決着を狙っていた。
頭部、もしくは胴体などの生命活動を支える主要な器官を干からびさせて潰せば、それで勝ちだと楽観視していた。
だがその思惑は外れてしまう。
(考えられるとすれば……)
大抵の生物は、水分なしでは生命活動を維持できない。
それを奪うアクアドレインは決まりさえすれば、強力無比な魔法だと言える。
しかしその強力さゆえか、欠点も多い。
その一つに相手の状態に応じた繊細なコントロールが要求されることがあった。
(あれだけの魔力餌を食べたんだ。となると、僕には感知できなくとも、もしかしたら多少の魔力を手に入れているのかもしれないね)
デスピナはオルトが魔力を全く有していないという前提のもと、魔法を発動した。
だがその前提に間違いがあれば……
(やっぱり一筋縄ではいかない相手だね。……とはいえ、肉体の再生なんて真似、いくら彼でも何の対価もなく出来るはずがないんだ。ならこの勝負、例え時間がかかっても僕の勝ちという結果に変わりはないはず……!)
理屈の上においては己の勝利を確信しつつも、なぜか不安は消えてくれない。
理由は単純だ。
オルトが全く動じておらず、堂々とした姿を見せているからだ。
「へっ、てめぇの考えはだいたい読めてんぜ? 俺がへばっちまうのを待ってんだろ? けどワリィな、今の俺は珍しく満腹なんだよ」
『何が言いたいのさ……』
「だからよぉ、いくら粘ったって無駄つぅことさ。てめぇにゃ俺は殺せねぇ。その前に間違いなくテメェが先にへばっちまうからよ」
『……言ってなよ。この勝負、僕が絶対に勝つ! 勝って君を喰らうんだ!』
纏わりつく不安を振り払うようにして、そう強く叫ぶデスピナ。
今のデスピナの保有する魔力は膨大だ。
アクアドレインによる消費は決して少ないとは言えないが、だからといって肉体再生ほどではないはず。
そう考えていたデスピナだが、しかしオルトの再生に衰えの気配は伺えない。
どころか――
『……どういうこと? 再生がドンドン早く……』
「ああん? そりゃ同じこと繰り返せば慣れるに決まってんだろが?」
『……』
そんな次元の話かとデスピナは呆れるが、現実として彼の言う事に大きな間違いはない。
間違っているのは彼という存在そのものだろう。
「俺の心配よりもそっちの調子はどうだよ?」
ニヤリと笑うオルトを見て、デスピナはハッとする。
『うそ……消費魔力が上がってる? なんで……?』
気が付けばオルトの四肢一つを干からびさせるために必要な魔力が、ほんの僅かずつだが確実に増えていた。
疲労し魔力制御が崩れるにはまだまだ早過ぎる。
かといって魔法の扱いを下手になった訳でもない。
むしろ少しずつだが上達していると言ってさえも良い。
となれば、考えられる理由はただ一つだけ。
『僕の魔法への抵抗力が増している?』
「多分それで正解だぜ。その魔法とやらに、コイツもようやく適応してきたってことだろうさ」
そう言って握りこぶしを――自慢の筋肉を見せつけるオルト。
今でこそ人外の力を持つ彼だが、その成長過程は意外と地味なモノだ。
過酷な環境へとその身を晒し、それに身体が慣れるまで黙って耐え続ける、ただそれだけであった。
今回も同じだ。
デスピナの魔法を何度も受け続けたことで、それに対する耐性を少しずつだが獲得しつつあった。
『くぅっ、思った以上に厳しい状況なのは理解したよ! けどね、最期には僕が必ず勝ってみせる!』
「いいぜぇ、その意気だ。なら、とことんまで見せてくれよ、おめぇの根性をよぉ!!」
洋上で咆哮する巨大クジラと、宙に浮かび獰猛に嗤う人間。
彼らの戦いは、風竜と海竜たちの争う端で、三日三晩にも渡り続けられた。




