49 海竜
天空竜ドゥーベの空間魔法によって身体を引き裂かれ、海へと叩き落されたオルト。
その身体は現在、絶賛沈没中であった。
しかも流れ出た血が呼び水となり、この海の支配者にして捕食者たる海竜たちを呼び寄せてしまう。
その内の一頭が、彼の目の前へと姿を現した。
「おいおい、こいつぁ……」
驚きに目を見開きながら、そう呟くオルト。
恐怖からではない。
その姿に見覚えがあったからだ。
一言で表現するなら、そうクジラだ。
大きく肥大した頭部が特徴的な、地球の原生種に例えるならばマッコウクジラにほど近い見た目をしている。
しかしマッコウクジラとは異なり、下だけではなく両方のアゴに鋭く巨大な歯を備えており、彼らはその見た目に違わぬ獰猛さを持ち合わせた生物だった。
何より一番の違いはそのサイズだ。
マッコウクジラは大きい個体ともなれば、その全長は20m近くにまで達する。
だが目の前を泳ぐクジラは、更にその倍――40m近い巨体を有していた。
そして今、その口が大きく開かれ彼を喰らわんと迫っていた。
◆
この星の海の支配者たる巨大生物――海竜リヴァイアサン。
彼らは八大竜の一、海竜王アリオトの眷属たる種族だ。
見た目こそクジラだが、性格的には大変凶暴だ。
不用意に群れへ近づけば、即座に襲い掛かって来る。
ドラゴンの一種として数えられるだけあり、巨大な肉体とそれに見合った頑強さを有しており、何より魔法を操ることが出来る。
しかも群れ単位で行動し連携にも優れているため、他のドラゴンでさえも彼らのテリトリーには近寄ろうとはしない。
まさに大洋の覇者と呼ぶべき存在だった。
そのうちの一頭――オルトの目の前に姿を見せた若い個体だが、群れからのはぐれモノ――有体に言っていじめられっ子であった。
『ううっ、僕が何したって言うんだよぉ……』
いつも仲間の海竜たちから身体の小ささを馬鹿にされ、食事を奪われてしまう。
そして栄養が十分でないから、なかなか身体が大きくなれない。
そのせいでイジメが止まらない。
完全な悪循環へと陥っており、そんな己の境遇をただ嘆く事しか出来ずにいた。
そんな時だ。
突然空から降ってきた餌の匂いを嗅ぎ付けたのは。
急いでそちらまで潜行すると、そこには下半身を失った人間の死体がゆらゆらと漂っていた。
どうにも筋張って見え、しかも魔力を全く感じられない。
とても御馳走だとは言いがたいが、腹ペコの現状、そんなわがままを言ってはいられない。
『今なら近くには誰もいないよね? よ、よしっ!』
意を決したその海竜は、口を大きく広げてその肉を食べようとする。
「おい、てめぇ。何しようとしてやがる?」
だがそこに待ったの声が掛かった。
『わぁ!? 死体がしゃべったぁ!?』
「誰が死体だよ……。ちゃんと生きてるっつうの。ほらよ」
そう言って握りこぶしを見せつけてくる。
『え、えぇ? 何で生きてるの……?』
「ああん? たかが下半身がぶっ飛んだ程度で死ぬかよ。んなヤワな鍛え方してねぇっての」
見れば血の漏出はすっかり止まっており、肉が蠢きめくように猛スピードで増殖していた。
『な、なんなのさ君……』
「俺か? 俺はオルト。オルト・エッジワースだ」
『へ、へぇ?』
別に名前を尋ねた訳ではなかったため、反応に困ってしまう。
「おい、人に聞いといてそっちは名乗らねぇのかよ?」
『あ、ぼ、僕? 僕はデスピナ。見ての通り、リヴァイアサンだよ』
「ああん? リヴァイアサンだぁ?」
リヴァイアサンと言えば、普通おとぎ話の中に出て来る怪物のことをさす。
だが彼が思い浮かべたのは、その名を冠した巨大肉食クジラ――リヴァイアサン・メルヴィレイについてだった。
そして今、彼の目の前を泳ぐデスピナは、記憶の中にあるその姿ととても良く似ていた。
『そうだよね……。小さいから分かんないよね』
「いや、別に小さかぁねぇと思うけどよ……」
しかし彼の知っているリヴァイアサン・メルヴィレイとは明らかに異なる点も存在する。
それは言葉をしゃべっている点だ。
確かに頭の良い生物ではあったと思うが、人語を解するほどでは無かったはずだ。
となると姿形は似ていても、やはり別の種族なのだろうか?
そんな風にオルトが頭を悩ませていると、横から声が掛かる。
『おい、デスピナ! 何をしている!』
気が付けば彼らは、巨大クジラの群れ――海竜たちによって取り囲まれていた。
しかも、そのどれもがデスピナよりも更に一回り以上の巨体を有している。
「ああん? なんだぁ、てめぇの仲間かぁ?」
しかし押し寄せてくる強烈な圧力などどこ吹く風、オルトはそう問い掛ける。
『ああうん……まあ……』
同じ種族かという意味では確かにイエスだ。
しかし仲間だと胸を張って呼べる関係にはなかった。
歯切れの悪い答えにオルトは訝しむも、続く声が彼の思考を邪魔してくる。
『おい! デスピナのくせに、俺らの断りもなしに餌を食べようとしてんじゃねぇよ!』
『そうだそうだ! お前は一生プランクトンだけ食って生きてりゃいいんだよ!』
『ぎゃははっ! そうだよなぁ! テメェみてぇな雑魚に肉は勿体ねぇぜ!』
オルトになど目もくれず、デスピナに対し笑いながら罵声を浴びせ続ける海竜たち。
「……事情はサッパリだけどよ。なんかムカつく奴らだってのはすげー分かるわ」
そう呟いたオルトは、右拳を胸の前へと引き寄せ、それからおもむろに前へと突き出した。
右ストレートだ。
それを一瞬のうちに向きを少しずつ変えながら七回ほど繰り返す。
瞬間、周囲の水が弾け、巨大な渦がいくつも巻き起こった。
『な、なんだこれ!?』
『お、おい!? 誰だよ魔法使ったやつぅ!?』
驚愕の声が海竜たちから次々と上がる。
大渦は強烈な波へと変じ、あっという間に彼らを遠くの方まで押し流してしまった。
『……え?』
唯一それに巻き込まれなかったデスピナは、つぶらな瞳を大きく見開きながらその光景をただポカンと見送った。




