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34 面の皮が厚い男

「はぁ、大分ダメになっちゃたわね。これけっこう高いのに……」


 兵たちの死体から剣翼を回収したアストレイアは、その思わぬ被害の大きさに目をくらませていた。

 

「ま、まあ別にいいわ。……それよりもさっさとこの不毛な戦いを終わらせなきゃね」


 両軍共に指揮官を失ったにもかかわらず、いまだ戦闘は続いていた。


 その理由はおそらく指揮系統の杜撰さに依る。

 どうも指揮官の死亡が各部隊へと伝わっていないようなのだ。


 そのせいで彼らは止まりたくても止まれずにいた。


「まあ、どっちも何十年も他国と戦った経験がないみたいだし、こんなものなのかしら?」


 普通の軍ならば――少なくとも連邦の正規軍ならば、指揮官が死んだところで次へと指揮権が移るだけであり、この状況ならば停戦を目指そうとするはず。


 しかし、今のところどちらにもそういった動きは見当たらない。

 

「そう考えると、あの男をつい殺しちゃったのは失敗だったのかしら? でも生かしといてもそれはそれで面倒そうだったし仕方ないわよね」


 やってしまったことを後で悔やんでも意味はない。

 それよりも次善の策を実施すべきだ。


 そう思い、一歩前に踏み出そうとしたアストレイアの頭上に影が過ぎる。


「なに!? 敵の奇襲!?」


 慌てて大きく後ろへと跳んだ彼女の目の前に何かが落ちてきた。


 衝撃と共に砂が大きく巻き上がる。


「もう! なんなのよ一体!」


 砂ぼこりが晴れると、そこには一人の大男が立っていた。


「よぉ、おめぇがアストレイアって奴か?」

「ううっ、また吐きそうです……」

「うぷっ、多分あってるよ彼女で」

 

 いや一人ではない。

 その肩には少女二人を抱えていた。


「あ、あなた……誰?」


 全身真っ黒のその恰好に、すわ暗殺者かと身構えるアストレイア。


「なんだぁ、綺麗なねーちゃんじゃねぇか」

「綺麗……? えっ、えっ!? そ、そうかしら?」


 その男が彼女好みの顔立ちをしていたこともあり、頬に手を当てながら一瞬舞い上がる。


「やっぱりオルトって、ああいうのが好みなんだ……」

「ううっ。ちょっと負けてるかも……?」


 だが隣の少女二人が胸に手を当てながら、こそこそと何かをささやき合う姿を見て、すぐに我を取り戻した。


「ゴホン。じゃなくて、質問に答えなさい! あなた何者よ!」

「俺かぁ? 俺はオルト・エッジワース。おめぇと戦いに来たのさ」

「そう……やっぱり王国のアサシンなのね。なら、そっちの二人は何かしら?」


 戦闘モードに入ったアストレイアにとってより気になるのは、男ではなく少女二人の方だ。

 なんだか少しやつれているようにも見えるが、どちらも稀に見る高い魔力を有しているのが分かる。


「ボクはテティス。テティス・オルバースだよ」

「わたくしはフローラ・ハーシェルと申します」


 杖を持った小さいの方の少女はぶっきらぼうに言葉だけ、素手の少女はドレスの端をつまんで軽くお辞儀をしてくる。


 初めて聞く名前だったが、その家名はどちらも王国の有力貴族のモノと同じだ。

 となると彼女たちは、その縁戚の優秀な魔導師である可能性が高いと判断を下す。


「ふぅん、3対1って事かしら。なら悪くないわね。ちょっとは楽しめそう」


 目を細めながら、剣を構えるアストレイア。


 背中の剣翼は小さくなっているが、特に問題はない。

 彼女にとってあんなもの、所詮はただの高いオモチャに過ぎない。


「おいおい誤解すんなよ。やんのは俺一人さ」

「あなたが私と1対1? 魔力も持たないくせに? バカを言わないでちょうだい」


 見た目は好みだったが、そんな妄言を吐かれた事ですぐに男への興味を失っていく。


「なぁ、お前ら魔導師って連中はよぉ、ちっとばかし人間の底力ってもんを舐めすぎなんじゃねぇか?」


 一方オルトの側もこの星に来てから何度も見くびられたことで、少しばかり苛立ちを感じていた。


 魔術が凄いというのは、彼もちゃんと理解はしている。

 

 だがこれまで努力して磨いてきた力が――肉体がそれに劣るとは考えてはいない。

 それだけのモノを積み上げてきた自信と自負が彼にはあった。


「痛い目を見ないと理解してくれないようね。いいわ、なら掛かって来なさい」

「油断してっところをぶん殴んのは性に合わねぇ。先にそっちから来な」

「そう……だったらお望みどおりにしてあげるわ!」


 先手を逆に譲られたことで、少しムキになった彼女は、背中に残る剣翼を全て展開させる。


「危ねぇから下がってな」

「うん、でも無理だけは絶対にしないでよね?」

「そうですよ。いざとなったらわたくしたちもお手伝いしますから!」


 まだ少し不安そうな顔のテティスと、やる気満々で拳をぶんぶんと振ってみせるフローラ。


「はは、必要ねぇよ」


 そんな二人に、オルトはヒラヒラと手を振ってみせる。


 それに頷き、本当に後退していく少女二人。


 その様子をジッと見守っていたアストレイアの表情が、不快げに歪んでいく。


「……『剣舞姫』の名前もこの国じゃまだまだみたいね。魔力も持たないただのアサシン如きに、ここまで舐めた口を叩かれるなんて思ってもみなかったわ」

「はぁ、言っとくけどなぁ。俺の名前だって、そこそこなんだぜ?」

「知らないわよ! あなたの名前なんて!」

「そうかい、そいつぁ残念だな。まあいいさ、掛かって来な」

「言われなくとも!」


 宙に浮いた大量の剣たちが、その声に合わせて彼を取り囲むように飛翔する。


「へぇ、やっぱ面白れぇな、その技」

「自分の愚かさがようやく理解できたのかしら? これが最後の通告よ。降参しなさい。そしたら命だけは助けてあげるわよ?」

「しつけぇ奴だな。いいから来いって」

「……分かったわ。ならもう死になさい!」


 気遣いを無下にされたことで、彼女も迷いを捨てた。


 陽光を反射した剣たちが銀白色に煌めきながら、一斉にオルトへと切っ先を向ける。


 だがそれでも彼は動かない。避ける素振りさえ見せずつっ立ったまま。

 完全に正面から受けて立つ姿勢だ。


「どこまでも馬鹿にしてっ!」


 この屈辱を晴らすには、もはや完膚なきまでに打ちのめす必要がある。

 一切の手加減もなく最高出力で剣たちが飛翔する。


 そして、それらが次々とオルトへと突き刺さる。

 その肉体は瞬く間に剣の山によって覆い尽くされ、ハリネズミと化してしまった。


「ああっ……オルトぉ!」


 視界の奥で、少女の悲鳴が上がる。


(ごめんなさいね。でもその男の自業自得よ)


 大人しく引き下がってくれれば、命まで奪うつもりはなかった。


 見たところかなり鍛えているように見えるが、所詮は魔力も持たないただの雑兵に過ぎない。

 殺したところで名が上がる訳ではないし、そもそも敵の指揮官を討ち取った時点で大勢(たいせい)はほぼ決したも同然。

 ならそこに大した意味はなく、少しムカついたからと無意味に殺したがる少女ではなかった。


「ふぅ、今日は流石にちょっと疲れたわ。そういえば、この国って確か温泉が有名だったわよね? せっかくだし後で入らせて貰おうかしら」


 ダグラス将軍の思わぬ暴走のせいで、予定外の働きをさせられる羽目になった。

 ならそのくらいの役得はあってもいいだろうと、結果も見ずにそう呟く。


 その態度は己の魔術に対する絶対の自信の表れだったが、今は慢心と呼ぶ他なかった。


「へぇ、温泉かよ。いいじゃねぇか。なんか酸やら砂やらで随分汚れちまったからな。俺も入らせてもらうとすっかな」

「っ!?」


 剣山の内側から聞こえた男の声に、彼女はビクッと身体を震わせながらそちらへと顔を向ける。

 

 そこには剣が全身に刺さった男が立っていた。

 いや良く見れば、それらは全て突き立っただけであり、一本たりとて刺さってなどいなかった。


「防御魔術? いえ、違うわね……」


 一瞬、ファフナーと同様の魔術かと疑うが、すぐに否定する。

 

 もしそうなら肉体に触れる前に弾かれるはずであり、魔術同士が干渉した手応えからもっと早くに気付けたはずだ。

 状況から推察する限り、単純にその皮膚を剣が貫けていないだけという結論しか出てこない。


「そんな、有り得ないわ……。まさかドラゴンでもあるまいし、私の剣翼を皮の厚さだけで防げるはずが……」


 己の常識と目の前の現実との間に何か大きな齟齬(そご)が生じている。

 思わず思考停止しかけたアストレイア。


 だが――


「はっ、やっぱただの大掛かりな手品じゃねぇか。あの野郎、ハッタリかましやがったな」


 レギンの思わせぶりな態度から、もう少し驚かせてくれるものかと期待していた彼だったが、予想通りの結果に終わったことであからさまに肩を落としていた。


 その姿を見たアストレイアは、かつてない屈辱にわなわなとその身を震わせていく。

 

「ゆ、許さないわよ……! 殺す殺す! あなただけは絶対にぃ!」


 そんな少女の叫びが赤い大地に木霊(こだま)する。


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