3 邪悪なドラゴンといけにえの少女
本日更新3回目です。
超磁力を帯びた中性子星――マグネターで修行していた男。
その名をオルト・エッジワースという。
地球生まれ地球育ちの彼は、己の肉体を鍛えることに余念がない。
そのために星々の海さえも渡り歩き、その身を過酷な環境へと晒し続けていた。
だがある時、彼の滞在していた星に、地球大ほどの白色矮星が秒速1200km(音速の約3500倍)で衝突した。
その結果、縮退中だった白色矮星の核融合の火が再点火し、超新星爆発を引き起こしてしまう。
超新星爆発が起こると、強烈なガンマ線が周囲へと一斉に放たれる。
このガンマ線の威力は凄まじく、5光年以内の生命体は絶滅し、25光年以内の生命体でもおよそ半数が死滅する程の壊滅的影響を受けることとなる。
そんな大惨事の中心にいたオルトは、眩い光の中で意識を失ってしまう。
そして次に目覚めた時、彼は星の重力に引かれ自由落下の真っ最中であった。
「ちょっ!? ここどこだよ……」
眼下に広がるのは、見知らぬ青い星。
「……地球? んなわけねぇか……」
その色合いから一瞬故郷の星と見間違えるも、すぐに首をふる。
彼がいた星との間には、光であっても1万年以上もかかる遥かな断絶が横たわっており、超新星爆発がどれ程の規模であろうと、流石にそこまで吹き飛ばされたなんてことは考えづらかった。
そのまま降下を続ける彼の肉体は、成層圏の結界を突き抜け、やがて多くの雲が浮かぶ真っ赤な夕空へと辿り着く。
「ああ、すっげーキレイな夕日だな……」
久しぶりの懐かしくも美しい光景を目にしたオルトは、真っ逆さまに落ちている真っ最中であることも忘れて、すっかり見惚れてしまう。
◆
ここはラグランジュ王国の辺境――邪竜の棲み処と呼ばれる赤く薄寂れた荒野だ。
草木はしおれ川の水さえ枯れ果てたこの地には、人間はおろかその他の小動物でさえ生息しておらず、棲むのはただの一頭だけ。
渇いた岩石が無秩序に立ち並ぶその一角に、場違いな人工建造物が存在していた。
それは真っ白で荘厳な外観をしており、いわゆる祭壇と呼ばれる代物だ。
用いられている石材も、白く滑らかな肌ざわりをしており高貴さを感じさせる。またその中には細やかな結晶がちりばめられており、神聖さを増すことの一助ともなっていた。
一般的には、信仰する神々への貢ぎ物を供えるための建造物だが、この場所では少し意味が異なっていた。
「うううっ……」
生命の気配が感じられない静かなこの場所で、すすり泣く声が響く。
見れば祭壇の上には金属製の檻が置かれており、中には一人の少女が囚われていた。
少女の名はフローラ。
白無垢の儀式装束を身に着け、全てを諦めたように顔を両手で覆い隠している。
ふわふわな長い銀の髪と、柔らかな表情でいつも周囲を和ませた彼女だが、今はその顔に笑みはない。
この先に待つ絶望を嘆き、ただ泣いていた。
彼女を閉じ込めた金属の檻はとても頑丈な造りをしており人間の力では――少なくともフローラの細腕では、どうやってもこじ開けることは叶わない。
周囲に他の人影もなく、彼女に檻の外へと逃れる術はない。
しかしフローラがそのまま餓死するのを待つだけかと言えば、違う。
それとは別の、でもやはり悲惨と呼ぶしかない運命が彼女を待ち受けていた。
◆
泣き続けるフローラの頭上から、バッサバッサと翼をはためかせる音が聞こえて来る。
顔を上げるとそこには、夕暮れに染まる空と――漆黒の巨大な影があった。
「ああ、ついにこの時が来てしまったのね……」
影がゆっくりと降りていく。
間近へと迫ったその巨体を前に、フローラの絶望はより深まっていく。
その影こそが、彼女の未来を喰らうものだと知っているからだ。
そしてついに影が祭壇の前へと降り立つ。
檻ごと丸のみ出来そうな巨体に、全てを吸い込むような漆黒の鱗。
そのシルエットは食物連鎖の頂点に立つ偉大な種族――ドラゴンと呼ばれる姿であった。
「……フェクダ様」
少女がそのドラゴンの名を口にする。
邪竜フェクダ――この国においてもっとも畏怖される存在の名前だ。
過去、この漆黒のドラゴンを討伐すべく数多の英雄たちが挑み、そして散っていった。
結果、今では邪竜のご機嫌取りのために、人間たちは多くの犠牲を割く羽目に陥っている。
『ほぉ……。上質な魔力をたっぷりと蓄えておるのぉ』
邪竜がその醜悪な口を大きく開け広げ、よだれを垂れ流しながら、少女の肉付き良い身体を嘗め回すように見つめる。
「ふぇ、フェクダ様……ど、どうか……わたくしを食べて、そ、その怒りをお鎮め下さい……」
フローラは教えられた通りの言葉を、震える声で告げる。
そう。彼女は邪竜への貢ぎ物――生け贄としてこの地へと送り込まれたのだ。
『フフン。それはお主が本当に美味かどうか、そこにかかっておるのではないか?』
決死の想いで吐き出したその言葉にも、邪竜はニヤニヤと舌なめずりするばかり。
そのドブのように濁った瞳は、少女を劣等種族として――ただの餌として完全に見下していた。
『さて、どのように食してやろうかの? 丸のみが良いかな? それとも一度炎で炙るか? ふむぅ……生のまま踊り食いというのも悪くはないのぉ』
ワザと大声で話すことで、恐怖を煽っていく邪竜。
思惑通りに少女の震えは増し、身体がいっそう縮こまっていく。
邪竜が満足げに喉を鳴らす。
『グハハッ! よし決めたぞ! 焼いて刻んでから、ゆっくりと味わってやるとしよう!』
邪竜が翼を大きく広げて、遠吠えを上げた。
それからズシンズシンと巨体を揺らしながら、一歩一歩ゆっくりと檻の方へにじり寄っていく。
(ああ、一度くらい恋とかしてみたかったわ……)
諦めの笑みを浮かべてフローラは、その瞬間が来るのを待つ。
だが空の向こうで、何かが光った。
『むぅ! なんだこの気配は!?』
振り向いた邪竜の眼前には、いつの間にか一筋の彗星が迫っていた。
『ヌォォォォ!?』
驚愕の表情で固まる邪竜。
その巨体へと彗星が突き刺さった。
鼓膜を突き破るほどの衝突音が生じ、周囲に強烈な爆風が発生した。
大量の砂ぼこりが巻き上がり、邪竜の姿が覆い隠される。
「キャァァァー!」
爆風の影響は、とうぜん祭壇の方にも及んでいた。
フローラが入った檻も弾かれ、祭壇からゴロゴロと転げ落ちていく。
檻そのものが壊れることはなかったが、落下の衝撃によって扉が開き、中から砂まみれの少女が這い出てくる。
「けほっ、けほっ……」
幸いにして骨なども折れておらず、動くのに支障はない。
しかしフローラに与えられた役目は、邪竜フェクダの生け贄だ。
それを果たさずに逃げ帰る訳にもいかず――そして果たせばやはり帰れない。
扉が開き檻の外に出られたからと、決して解放された訳ではなかった。
「な、何があったのかしら……」
轟音が聞こえた時、フローラの視界には何かが落ちて来る姿が映っていた。
その正体こそ不明だが、この異常事態は間違いなくその落下が原因だろう。
より詳しい状況を知るため、まだ砂ぼこりが舞い散る中をゆっくりと見回していく。
「どこにいったのかしら……?」
フローラが探しているのは邪竜の姿だ。
いくら自分を食らう憎い相手でも、その機嫌を損ねれば最悪国ごと滅んでしまう。
ならどれだけ不本意であっても、そんな心配を彼女はせざるを得なかった。
そのうち砂ぼこりが徐々に収まっていき、周囲の状況も段々と見えて来る。
「……こんな大きな穴なんてなかったわよね? なんだか隕石が落ちた後みたい……」
目の前には巨大なクレーターが広がっていた。
砂ぼこりのせいで底までは見渡せないが、かなり深い様子だ。
フローラは昔、近くの裏山で似たような光景を見た事があった。
ここまで大きくはなかったが、あれは隕石の仕業だと祖父から聞いた覚えがある。
「ならさっきのは宇宙からやって来たの? まさかね……」
などと推測する彼女だが、肝心の邪竜の姿はまだ見つからない。
だが改めて探すまでもなく、その居場所はすぐに判明した。
『グオォォォォァ!!』
クレーターから少し離れた場所で、竜の咆哮が上がった。
そのあまりの大音量は一帯の地面を震わせるほどで、痛みと怒りと何より強烈な憎しみの感情に満ち満ちていた。
「ひ、ひぃぃ!?」
それを間近で聞いたフローラは思わずその場で立ちすくんでしまう。
国を滅ぼしかねない相手の逆鱗に触れてしまった、その事実を本能的に察したせいだ。
フローラが何かした訳でもないのに、事態は思いもよらぬ方向にドンドン突き進んでいく。
この先どうなってしまうのか、フローラにはまるで予想もつかない。
今の彼女に許されたのは、あの光の正体がどうか希望の星であって欲しいと、震えながら祈ることだけだった。