23 泥沼の戦場
ダグラス将軍の暴走に端を発した連邦と王国との会戦。
その舞台となった乾いた荒野の内側では、泥沼の争いが繰り広げられていた。
「な、なぁ! 俺たち何のために戦っているんだ!?」
国同士の戦争の多くは、利害の衝突によって生じる。
そして子供の喧嘩ではない以上、例えば敵拠点の破壊や占領だとか、敵将の捕縛や殺害などといった目標設定がきちんと為された上で行われるのが常だ。
しかし今回はそれらが漠然としており、しかも下の者たちへの共有がほとんど行われなかったせいで、多くの混乱を招いていた。
「わかんねぇよ! ただ目の前の敵を倒せとしか……」
「くそっ、何考えてんだ、上の連中はよぉ!?」
兵士たちの憤る声があちこちから噴出する。
こうなった一番の原因は両軍の指揮官にあった。
どちらともが敵軍への大雑把な攻撃命令を下した以降は、指揮を放棄し好き勝手に動き回っていたせいだ。
「おのれぇ悪鬼めぇ! どこへ逃げたぁ!!」
「しょ、将軍! あまり深入りしては危険です!」
「うるさい! ここで奴を逃がせば皆殺しにされてしまうぞぉ!!」
連邦側の指揮官ダグラス将軍は、逃走したハーシェル侯爵らを追いかけて敵陣のど真ん中を突き進んでいた。
その無茶な行軍のせいで配下の兵が次々と脱落し、気が付けば孤立しつつあった。
そんな中、彼らの目の前に立ち塞がったのは王国側の指揮官――シェゾーとその配下の一団だった。
「おや、連邦の指揮官殿だね? あはは、君にはすっごく感謝してるよぉ。ええっと……名前なんだっけ?」
「そこをどけぇ! 悪鬼を殺さねばお前たちも殺されるのだぞ! 分かっておるのかぁ!」
皮肉めいた感謝の言葉を投げかけるもダグラスがそれを理解した様子はなく、ただハーシェル侯爵を殺すことだけを壊れた機械のように叫び続ける。
「ねぇ? 何を言ってるんだい、このご老人は?」
「血生臭い空気に当てられたのか、頭がおかしくなってしまったようですな」
「ああ、それは可哀想に。でも戦場なら良くある話だよねぇ。ならこれ以上苦しまないように早く引導を渡して上げないとね」
狂人の相手をするのは御免だと言わんばかりに、シェゾーが剣を向ける。
「おのれぇ、貴様も悪鬼を庇い立てするかぁ!」
それを見たダグラスは狂ったように叫びながら、剣を抜く。
「お、お待ちを!? 危険です!」
部下の制止の声も聞かず、目をぎらつかせながら独り隊列から飛び出し、突貫を仕掛けていく。
「死ねぇい!」
馬上で剣を振りかざしながら、そう雄叫びを上げるダグラス。
だが――
「はぁ、汚らしい老人の返り血なんて僕は浴びたくないからね。君たちに任せるよ」
「はっ! シェゾー様をお守りするぞ!」
両隣から進み出てきた部下たちが、それを阻むように前に立ち、そのまま剣を突き出した。
「がはっ!?」
剣は鎧の隙間を縫って、老人の腹部へと穴を開けた。
血を吐き出し、前のめりに馬上から転げ落ちていく。
心臓を突かれもはや瀕死となったダグラス。
それでも何かを探すように顔を上げ、憎しみに満ちた瞳をギョロギョロと動かし続ける。
「おのれ、おのれぇ! どこだぁハーシェルめぇ! どれだけわしから奪えば気が済むのだぁ!!」
「……そんなの僕に言われても困るんだよねぇ。もう、うるさいから君、さっさと死んじゃいなよ」
心底どうでも良さそうな表情を浮かべて、シェゾーがその胸へと剣を突き立てる。
かくして戦争の引き金をひいた老将軍の命は、呆気なく終わりを迎えた。
「あーあ、結局汚れちゃったよ、もう」
懐から白布を取り出し、血をサッと拭いながらシェゾーは前を見据える。
「さてと、これで敵の指揮官は倒したし……僕らの勝利はもう決まったも同然かな?」
赤く濡れた布をぞんざいに投げ捨てながら、そう勝ち誇る。
眺める限り、最前線の状況はまだ混沌しており、どちらが有利かは判別がつかない。
だがそれも彼らが本格的に参戦するまでの話だろう。
「ええ、これで連邦との停戦交渉もこちらの有利に進められるのでは?」
「そうかもね。でも念には念を入れておくとしようか」
「……と申しますと?」
「こんな荒れた土地を奪うだけじゃ、ちょっと物足りないじゃない? どうせなら、さ……」
見据えた先にあるのは――緑豊かなエウレカ公国の領地であった。
「でも、その前にまずは彼らを始末しないとね」
「ひぃ!?」
そうして狂人の凶刃が、この場に残された連邦の兵たちへと振るわれていく。
◆
互いの指揮官が指揮を放棄した結果、どちらも引くに引けないまま泥沼と化していた前線。
後方の陣地でその様子を見ていた王国の部隊も、それを黙って見過ごしていた訳ではない。
各々その異変を察知し救援へと向かっていた。
その内の一つの進路に、一人の小男が立ち塞がる。
「おい、そこのチビ! 止まれ! 何者だ!」
「んん? そういうあんた方は、王国の兵士っすね?」
立ち止まった小男がそう問い返す。
三十路前後と思しきその男は、頭にバンダナを巻き、どこか飄々とした雰囲気を纏って見える。
そして、その手には美の女神を象った杖が握られていた。
「っ!? まさか貴様は……連邦の魔導師なのか?」
「おおっ、分かるんすか? こんな田舎の兵士にまで知られてるとは……。うんうん、オレっちも案外捨てたもんじゃないっすね」
小男が――レギンが満足気にうんうんと頷く。
「……魔導師と言えど相手はたった一人だ。数で押せば我らにも勝機はある!」
「おお、すごい気迫っすねぇ。けど悪いことは言わないっす。諦めて投降してくんないっすか? 無駄な殺しはオレっち嫌いなんで」
「くっ、バカにしやがって! お前たち、やるぞ!」
隊長の叫びに、30名近い兵たちが一斉に動き出す。
「ありゃま残念。まあ、戦場だからしゃーないっすかね。けどこっちも仕事なんで恨まないで下さいっすよー」
そう軽く言いながら杖を掲げたレギンが魔術を発動した。
王国兵らの頭上に、直径1mほどの橙赤色をした液状の球体が浮かび上がる。
「なんだこれは……水の魔術か? そんなちんけな技で俺たちを倒すつもりか? 舐めるなぁ!」
「そうっすかね? 俺っちの魔術はちょっとばかし刺激的っすよ。いけっす《ベノムレイン》」
その言葉と共に彼らの頭上で球体が弾けた。
小雨が降り注ぎ、兵たちの身体をじんわりと濡らしていく。
「何だよこれ。ははっ、ビビらせやがって!」
「おい? もしかしてこいつ、全然大したことねぇんじゃねぇか?」
「ホント笑えるぜ! こんなしょんべんぶっかけたみたいな魔術で、誰がやられるかってんだ!」
などと余裕ぶる彼らだが、すぐにその表情は苦痛に歪むこととなる。
「あれ……なんだこれ……俺の指が……うぎゃぁぁぁぁ!」
兵の一人が水滴に濡れた胸当てを拭おうとして、自分の指が真っ黒になっていることに気付く。
状況を自覚し、遅れてやってきた痛みに叫び声を上げる。
その叫びは、すぐにその場の兵たち全てに連鎖した。
「あああ……脚が腕がぁぁ焼けるぅぅ……」
「痛ぇ、痛ぇよぉ……」
「だ、誰か助けてくれぇ……このままじゃ死んじまうぅ……!」
レギンに与えられた二つ名は『毒雨』。
そう、彼らに降り注いだのはただの水などでなく――毒。
それも皮膚を侵すのみならず、金属にさえも穴を開けてしまう程の猛毒だ。
彼らの身に着けた粗末な防具などモノの役にも立たず、やがてその毒は全身へと浸食していく。
そうなってしまえば、残るのは地獄の苦しみだけだ。
もはや戦うどころではなくなった彼らは、武器を落とし悲鳴を上げながら地面へと転がっていく。
「悪いっすね。あんま手加減が利かない魔術なんすよ、これ。せめて苦しまないように、楽にしてあげるっすね」
苦痛にのたうち回る彼らに対し、慈悲の心でもって止めを刺して回るレギン。
「ふぅ、じゃあ次っすね」
こうして遭遇した敵部隊をあっさりと壊滅させたレギンは、新たな獲物を求めてまた戦場を彷徨っていく。




