22 切られた火蓋
「ちょっと退屈よねぇ……」
前線の様子を遠くの丘から眺めていたアストレイアがそう漏らした。
「いいじゃないっすか、楽で」
「まあ、そうなんだけどね……」
いつものように王国軍がこちらの陣地近くまでやって来てはいたが、ただ見せびらかすように旗を振りかざすばかりで、戦闘に発展する気配など全くない。
いっそ攻撃を仕掛けてくるのなら話も早く済むのだが、自分たちの領地を主張する素振りを見せるだけで、それ以上の行動に出ようとはしない。
「そもそも最初からあんな土地取る気なんて無いのよね、こっちには……」
「そうなんすか?」
レギンが不思議そうに尋ねる。
「ええ、だってそうでしょ? 邪竜が好き勝手やってくれたせいで、今は植物さえロクに生えて無いのよ? こんな凸凹の荒れ地、一体何に使うのよ?」
「でも元は緑豊かな土地だったんでしょ? んだったらちゃんと手入れしてやれば……」
「そうかもだけど、じゃあそのお金は一体どこから出るのよ?」
「そりゃぁ……」
そこでレギンは言葉に詰まる。
この小さな国にそんな余裕などない事に思い至ったからだ。
「資金の問題をクリアしたとして、実際に整備するのだってまた大変よ。すぐ傍に敵国の領地があるんだから、危険過ぎて人手を集めるのだって一苦労じゃない?」
「けど……。んじゃ、みすみすあっちに譲るんすか?」
「別にそうはならないと思うわよ。整備が大変なのは向こうだって同じだし、これまで通り中立の緩衝地帯ってことで落ち着くんじゃないかしら? もうすぐやって来る中央からの使節団だって、そう考えてると思うわよ?」
「んじゃ、あの連中は何やってんすかねぇ?」
「さぁ……?」
もしかしたら王国側の指揮官も、こっちと同様に無能なのかもしれない。
だとしたら向こうの兵たちも可哀想だなと考えながら、アストレイアはボーっと状況を見守っていた。
だが今日に限ってはいつもの光景に変化が訪れる。
「あら、見かけない旗を持った騎士たちね」
これまで見かけたラグランジュ王国旗は、翼の生えた王冠の回りに5つの星が不規則に配置されたデザインをしていた。
対して今視界にある旗には、その王冠を背に乗せた獅子が描かれていた。
「ありゃー、噂のハーシェル侯爵の旗じゃないすっかね?」
「へぇ、だったらあの先頭のゴツイおじさまが、ハーシェル侯爵本人なのかしら?」
新たにやってきた騎士たちの中でも、一際目立つ格好をした大男へと視線を向ける。
「じゃないっすかね? 一人だけやけに豪華な鎧着てますし……。どうすっかお嬢? なかなか強そうっじゃないっすか?」
「そうねぇ。顔はまあ悪くはないけど……好みじゃないし、やっぱり歳を食い過ぎてるわね。それに……」
「それに、なんすか?」
「正直、負ける気がしないわ」
「ですよねー」
なんてお気楽な会話を交わしていたが、徐々に雲行きが怪しくなる。
「んん? 連中なんか言い争いを始めたみたいっすよ?」
「敵の目の前で仲間割れとか……。あっちも随分呑気なことよね」
「まあ、どうせこっちにゃ戦う気がないって、タカをくくってるんでしょうねぇ……」
「実際にそうなんだから、別に何も間違ってはいないんだけど……。何かちょっとムカつくわよね」
連邦が王国との戦いを避けている理由は主に二つ。
仮に勝利してもメリットが少ないのと、邪竜の帰還を恐れてのことだ。
なので戦って負けるなんてつもりは連邦側にもアストレイア自身にも毛頭なかった。
「まあ、どうせあと数日の辛抱っすよ」
レギンがそう慰めるも、アストレイアは不機嫌な表情のまま。
そうなると結局彼ら兄弟が一番不利益を被る訳で、それを宥めるべく彼が口を開こうとした――その矢先の出来事だった。
アストレイアの視界で、ピシュンと矢が飛びハーシェル侯爵のすぐ傍を通り過ぎていった。
「え?」
呆気に取られつつもその発射源を探すと、そこにはダグラスの将軍の姿があった。
「な、何やってるのよ、あのバカは!?」
顔を酷く紅潮させ、その目を血走らせながら、その老人は必死に叫んでいた。
「何をボケッとしておる! お前たちも早く矢を放たんか! でないと悪鬼共に皆殺しにされてしまうぞ! 急げ急げ急げぇ!!」
「で、ですが……」
突然の凶行に走ったダグラスに戸惑った様子の部下たち。
だが彼は、その態度を反逆だと受け取った。
「悪鬼を庇うとは……おのれ貴様、王国のスパイだな! 死ねぃ!」
「がはっ!」
ダグラスが腰から剣を抜き放ち、近くにいた部下がその凶刃によって倒れる。
「しょ、将軍、何をなさるのですか!?」
「貴様も王国のスパイか!?」
「い、いえ、違います!」
「ならさっさと矢を放たんかぁ!!」
しわがれたダグラスの顔が、今は鬼のように歪んでいた。
その気迫に当てられ、部下たちはそれ以上何も言えなくなってしまう。
「くそぅっ、将軍からの命令だ。みんな矢を放て! 放つんだ!」
「お、おう!」
上官の命には従うのが兵士の役目だ。
それ抜きでも下手に歯向かって斬り殺されるよりは、間違った命令でも従った方がマシだと彼らは判断してしまった。
その結果――
「ぐぬぬぅ! 連邦めぇ、何を考えておる! この状況で戦うなど正気か!?」
突然飛来した矢に驚愕の表情を浮かべるハーシェル侯爵たち。
そんな彼らに、今度は複数の兵たちから次々と矢が飛んでいく。
「くそっ、下がるぞ!」
彼が今この場に連れてきているのは少数の騎士たちだけ。
近くにはシェゾーの配下もいるが、彼らを味方だとは思っていない。
である以上、今ここで応戦すれば自分の身が危険だ。
そう判断したハーシェル侯爵は、部下たちに撤退を命じ、本人もまた馬を駆り前線から走り去っていく。
「おのれぇ! 馬を寄越せ! 奴らを逃がすなぁ!」
その背中に追撃を掛けんとダグラスたちも動き出す。
その光景を後方の馬上から見守っていたシェゾーは、手で顔を覆いながらも笑いを堪えきれずにいた。
「ぷくく、伯爵閣下からは戦うなとは厳命されてたけどさぁ? 向こうから仕掛けてきたんじゃぁ、仕方ないよねぇ?」
そう部下たちへと問い掛ける。
「そうですな。我らに与えられたのは国境の防衛任務ですので、ここは応戦するのが適切かと」
「だよねぇ? よし、じゃあ全軍に命じるよ! 連邦に僕らの強さを存分に見せつけてやるんだ!」
「「はっ!」」
かくして戦端はなし崩し的に開かれていく。
(ふふふっ、この戦いで僕の名声を大陸にまで知らしめてあげるよ! そして彼女との婚約を確固たるものにするのさ! 待っててねテティス――いやママ。もうすぐ君の坊やが帰ってくるよぉ)
そんなシェゾーの歪んだ思惑を乗せて。
◆
「……なんてこと」
その光景を遠くから見守っていたアストレイアは、愕然と肩を落とす。
相手が攻めてこない限りは極力交戦は避ける。
そういう話のはずが、何故かこちらから戦闘を仕掛けてしまっていた。
「あーあ、こりゃもう止まんないっすね」
しかも王国側も負けじと応戦を始めてしまっている。
結果、争いが荒野のあちこちにまで拡大しており、もう簡単には収拾がつきそうもない状況だ。
「……こうなった以上は、私たちも戦うしかないわね」
向こうが挑発めいた行為を繰り返していたとはいえ、先に仕掛けたのは連邦側だ。
である以上、このままなんの成果もなしに停戦交渉を行えばこちらが不利となる。
ならもう後は勝利を得るしかない。
「んで、うちらはどう動きます、お嬢?」
「私は正面から援護に向かうわ。あなたたちはその隙に後方に回り込んで、相手が降伏しやすい状況でも作っときなさい」
「了解っす。んじゃ行くぞファフナー」
「うっす!」
かくして連邦側の魔導師三人が行動を開始した。




