20 家出娘
「シェゾー様、その……本当によろしいのですか?」
配下の騎士が、不安そうな顔で問い掛ける。
「ううん? なんの話かな?」
「その……少しばかり強く出すぎなような……」
防衛のため、この地に派遣されたラグランジュ王国正規軍。
その一部が現在国境を越え、かつて邪竜がいた荒野へと踏み入り、連邦軍の陣地近くで活動をしていた。
その名目は邪竜捜索としていたが、本当の狙いは別にある。
シェゾーは彼らに王国旗を掲げさせ、支配者不在となったその土地を自分たちのモノだとアピールさせていた。
「ダメダメ、全然分かってないねぇ君。下手に出ても相手をつけあがらせるだけさ。それよりも、こっちの強さを見せつけて、格の違いってモノを教えてあげた方が逆に安全なんだよ」
「は、はぁ……」
自信たっぷりにそう告げるシェゾーに対し、何と答えて良いか分からず、その騎士はただ曖昧に頷く事しか出来ない。
その様子を見たシェゾーは、ニヤけ顔を寄せながらその肩をポンと叩いた。
「安心しなよ。どうせ戦争にはならないさ」
荒野の終わり――遠くに見える小高い丘の上には、連邦軍が布陣している。
数で言えば恐らく向こうが上。しかし攻めて来ることはまず無いと彼は踏んでいた。
「それにさぁ、君だって見ただろう? 相手の指揮官の顔をさぁ。こっちを攻めてくる勇気なんて、ないない」
へらへらした顔でそう告げるシェゾーだが、その目は笑っていない。
そこに浮かぶのは侮蔑の一色だ。
少し前に彼が小勢を率いて近くまで赴いた時、敵の指揮官と視線が交差した。
その際に少しばかり睨みを利かしたところ、相手はすぐに顔を逸らし項垂れてみせた。
それがなんとも情けない姿であったのは事実である。
「国境防衛なんて大事な役目を、あんな老いぼれに任せちゃうなんてさぁ。連邦も案外大したこないんじゃない?」
「なるほど……?」
分かったような分かっていないような微妙な表情だが、これ以上の説明をシェゾーはする気は無い。
そのまま部下たちが立ち去るのを見届けた後、彼はひっそりと呟いた。
「それに、ね。向こうが仕掛けて来るなら、それはそれで楽しいじゃない? だからさ、僕としてはどっちに転んでも別に構わないんだよねぇ」
それこそが彼の偽らざる彼の本音だった。
この戦いが終われば、テティスとの婚約が成立する約束ではある。
しかしそれは飽くまでも口約束に過ぎず、反故にされる可能性もまったくの0とは言えない。
なのでより確実なモノとするため、確固たる成果を彼は求めていた。
このまま事態が硬直したまま停戦交渉へと移れば、旗を立てさせた土地を王国領へと併合し、それがそのまま成果となるだろう。
もし仮にあちらが攻めてくるなら、その時こそは実力を示せばいい。
オルバース伯爵の手前、自ら攻め入るつもりは流石に無かったが、相手側から攻めて来たのなら、なんとでも言い訳は利く。
「ふふっ、やっぱり僕って天才だよねぇ? あははははっ!! 待っててねぇ、ママぁ! 君の坊やがもうすぐいくよぉ!」
そんな不気味な高笑いが、寒風の吹きすさぶ荒野に溶けていく。
◆
「ぬぐぐっ、我が領内で好き勝手やりおって! おのれシェゾーの奴め!」
シェゾーら国軍の挑発的な振舞いに対し、ハーシェル侯爵は酷く苛立っていた。
今連邦と事を構えれば、被害をもっとも受けるのは領地の近い彼であり、それだけは絶対に避けねばならない事態だ。
彼の懸念はそれだけではない。
「オルバースの奴も何を考えておるのだ! あのような若造など寄越しおって! 邪竜の死亡はまだ確認されておらぬのだぞ!」
彼はフローラからの報告を聞いた後、すぐさま部下に確認調査を命じていた。
テティスの手前、ああは言ったものの、実際はその重要性をきちんと認識していた。
しかし邪竜が星の彼方へと消えてしまったせいで調査は難航しており、まだ安全が確認されたとは言いがたい。
「この状況でどうして連邦へ攻め入ろうなどと考えられるか! このわしを愚弄しおって!」
現時点で連邦へと攻め入るのは、あまりにリスクが大きい。
仮にこの機に乗じ領土をいくらか奪い取れたとしても、もし死んだとの証言が間違いであり、邪竜が巣へと舞い戻れば退路を失ってしまう。
そうなれば全滅は必死だ。
「魔術バカは部屋に籠って研究でもしておれば良いのだ! 素人のくせにでしゃばりおってからに!」
邪竜の帰還を恐れているのは連邦側だって同じはず。
だから下手に刺激さえしなければ、戦闘など起こりはしない。
そのために目立った軍事行動を避けていたというのに、その気遣いは全て水の泡だ。
湧き上がる怒りに次々と文句が噴出していく。
「ふんっ、これだから戦場を知らぬ男はダメなのだ! 机上の空論ばかり並び立て、人の感情というモノをまるで知らぬ!」
そこにはオルバース伯爵が南部の出身であり、邪竜フェクダの姿を直接見た事が無いのも影響していた。
彼とて邪竜の恐ろしさを知らないわけではないのだろうが、あくまでそれは人伝に聞いた話であり、本当の意味でその脅威を理解してはいなかった。
「……そういえば、フローラはどうした? まだ部屋に引き篭もっておるのか?」
一通り吐き出し終え少し冷静さを取り戻した彼は、邪竜に関する一件の聞き取りをして以降、娘の姿をまだ一度も見ていなかったことを思い出す。
そこに執事の一人から報告が上がる。
「大変です! フローラ様が屋敷のどこにもおられません!」
「なんだと!?」
「旦那さま、部屋にこんな置手紙が……」
「貸せ!」
侍女から手紙を奪い取り、その文面へと目を通す。
そこには短くこう書かれていた。
『お父様の言いつけ通りに、オルト様に嫁入りしたいと思います。今まで御世話になりました。フローラ』
「あ、あのバカ娘め……っ! くそっ、どいつもこいつもこのわしをコケにしおってぇ!!」
手紙を握り潰しながら、ハーシェル侯爵は怒りにわなわなと震えるのだった。
◆
「ふぅ……なんか遅くねぇか?」
テティスを送り出し一人屋敷で筋トレに勤しみながら留守番をしていたオルト。
しかし夕暮れ時になっても帰宅の気配はない。
「お、やっとか?」
そんな中、玄関の方へと現れた気配を察知し、ダッシュで出迎えへと向かう。
「ったく遅かったじゃねぇか! って……なんだ嬢ちゃんかよ」
だが、そこにいたのはテティスではなく、その親友の少女――フローラの姿だった。
「あらオルト様……わたくしだとなにか不服のようですね。ちょっと酷くはありませんか?」
せっかく自慢のドレスで着飾ってきたというのに、そう言われたフローラは不満に頬を膨らませる。
「わりぃわりぃ、別にそんなつもりじゃねぇんだ。……てかよ、テティスの奴がどこいったか知らねぇか?」
「いつの間に呼び捨て!? ……って、え? テティスいないんですか?」
「ああ、朝から軍からの呼び出しとかなんとかで出てったきり、全然帰って来ねぇんだよ」
「軍からの呼び出しですか。もしかして……」
途端にフローラの表情が険しくなる。
「ああん、なんか心当たりがあんのか?」
「ええ、実は……」
そう言って、フローラは知る限りの事情を語る。
王都から邪竜に関する調査隊――を装った軍が派遣されてきたこと。
その指揮官であるシェゾー子爵について――こじらせた童女趣味を持ち、何人もの平民の少女がその毒牙に掛かったという噂があること。
そんな男がテティスをつけ狙っているという噂があること。
そして――テティスが囚われた可能性についてだ。
「はー、んな変態野郎に好かれってとはな。テティスも大変なんだな」
「あの子ってば、自分が可愛いって自覚がないんですよ。昔から魔術の研究ばかりに夢中で……」
だから軍からの呼び出しに、ロクに警戒もせずにホイホイと応じてしまう。
やれやれと首を振りつつもフローラの表情は暗い。
「ああなんか、んな感じだよな。……んでよぉ、連れ戻すにゃどうすりゃいい?」
オルトとしてもテティスが戻らないのは困る。
結界突破のための準備がまだ途中であり、このままでは星からの脱出が出来ないためだ。
……という事情を抜きにしても、色々と気に食わない事も多かった。
それにテティスには何かと世話になっているとも感じており、その恩返しの意味もあって救出を決意する。
「わたくしも助けに行くこと自体に異存はないのですけど、ちょっと難しいですね……」
テティスはシェゾーが所属する派閥の長の養女であり、それを誘拐するなんて真似、いくら彼が変態であっても何の手回しもせずに行うとは考えづらい。
である以上、その行動にはオルバース伯爵からの同意がある可能性が高いと考えたのだ。
家格としてはフローラの実家の方が上だが、派閥の力関係を考えれば実質的な立場としては微妙なところだ。
それに今の彼女は家出した身である。
ならどのみち実家は頼れない。
「うっし、それなら俺にいい考えがあんぞ?」
「へっ?」
テティス救出のためにあれこれ頭を悩ませるフローラに対し、オルトはグッと親指を立てて自信満々にそう言った。




